モフセン・マフマルバフ

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モフセン・マフマルバフ
Mohsen Makhmalbaf
Mohsen Makhmalbaf
本名 محسن مخملباف
生年月日 1957年5月29日(59歳)
出生地 State flag of Iran 1964-1980.svg イラン テヘラン
国籍 イランの旗 イラン
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1981年 -
配偶者 マルズィエ・メシュキニ
著名な家族 サミラ・マフマルバフ(長女)
ハナ・マフマルバフ(次女)
公式サイト Makhmalbaf Film House
主な作品
『サイクリスト』
『カンダハール』

モフセン・マフマルバフمحسن مخملباف, ラテン文字転写:Mohsen Makhmalbaf, 1957年5月29日 - )はイランテヘラン出身の映画監督脚本家映画プロデューサーである。イランでも最も人気のある監督の1人。20本以上の長編映画を制作し、『カンダハール』はタイム誌が選ぶ「ベスト映画100本」に選ばれている[1]

人物[ソースを編集]

1957年にテヘランに生まれる。10代半ばでイスラム主義に傾倒し、15歳でパフラヴィー朝を倒すための地下活動に参加、17歳の時に警察官を刺傷し逮捕され死刑判決を受ける。4年半に渡り獄中生活を送り、1979年のイラン革命の際に釈放される[2][3]。釈放後は政治から遠ざかり、作家となり1981年にマルチェス・ハハニパラストの『Towjeeh』の脚本を担当し、1983年に『Tawba Nasuh』で監督デビューする。1996年に映画製作者の育成を目的として、マフマルバフ・フィルム・ハウスを設立する。

2001年には彼のスピーチやレポートを集めた『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』が日本でも出版された。また、アフガニスタン難民キャンプに住む子供達の識字・衛生教育やアフガニスタン国内の学校建設などを熱心に支援している。

イラン政府による検閲に抗議し、2005年イラン大統領選挙後にイランを離れ、2009年イラン大統領選挙以降はパリに居住している[4]。マフマルバフによると、イラン出国以降の10年間で4回イラン政府から暗殺されそうになったという[5]

個人と社会的・政治的環境との関係に主眼を置いた作品が多く、自身の政治活動を参考にした作品も見られる[6]。また、1991年の『Nobat e Asheghi』以降はロマン主義的な作品も製作するようになった[7]

家族全員が映画に関わる仕事をしており、長女サミラ、次女ハナはいずれも映画監督となった。妻マルズィエ・メシュキニもモフセンの作品で助監督を務めるかたわら、自らの監督作品も撮っている。長男のメイサムもプロデューサーなどで活動している。マフマルバフが映画を製作する際は家族全員が製作に参加するが、家族が製作する映画にはマフマルバフは一切参加させてもらえないという[8]

作品[ソースを編集]

特記なき場合は監督作品。

受賞[ソースを編集]

金自転車賞を受賞した2009年ヴェズール国際アジア映画祭にて、次女ハナ(左)および妻マルズィエ(中)とともに

脚注[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]