メアリー・ベル事件

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メアリー・ベル事件1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した殺人事件。11歳(初犯は10歳)の少女が3歳と4歳の男児を殺害した。マリー・ベル事件とも言われる。

メアリー・フローラ・ベルと友人のノーマ・ベルが関わった事件で、両者は同姓の他人である。ノーマはメアリーによって犯行後の現場を見せられたり、説明を聞かされたりしたが、犯行には加わっていない。

概要[編集]

1968年5月25日、4歳の男児を絞殺。子供の力で絞めたため跡が残らず、突然死として処理された。メアリーはこれに反発し、保育所を荒らし警察に対し挑発的なメモを残した。その後もメアリーは遺族を嘲笑したり、犯行現場を描いてみせるなど露骨な行動を取ったが、虚言癖があるため深刻には捉えられなかった。7月31日、3歳の男児の絞殺死体が発見され、微弱な絞殺跡から少年犯罪の可能性が浮上。これまでの聞き込みや本人の行動から、メアリーが疑われた。メアリーの虚言癖はここでも捜査を混乱させたが、ノーマの証言(当初は関与を否定していた)によって犯行の経緯や物的証拠の隠し場所などが判明し、逮捕となった。

メアリーは取調官に暴力の楽しみを語るなど、サディズムの傾向が強くあった。劣悪な家庭環境などが犯行の遠因とされたが、詳細は不明。母親のベティは売春婦をしながら未婚のまま17歳でメアリーを産むが、ベティは娘に愛情を抱かなかった。ドラッグの常用者でもあり、メアリーがそのドラッグを誤って服用し、生死をさまよったこともあったという。継父のビリーはベティのヒモで、一家はベティの稼ぎと生活保護で暮らしていた。ベティからは、ビリーを「叔父」というように躾けられていた。父親となると、生活保護が減額させられてしまうからである。

1968年12月17日、故殺の罪で有罪判決を受け服役(ノーマ・ベルは無罪)。1977年に仲間のアネット・プリーストと共に刑務所から脱走するが、3日後に捕らえられる(この間に身篭った)。1980年5月14日に出所。名前を変えて生活していたが、子供の成人を機に実名に戻り、1998年に自伝『魂の叫び』を出版した。

関連書籍[編集]

  • ジッタ・セレニイ 『マリー・ベル事件―11歳の殺人犯』 林弘子訳、評論社、1978年、ISBN 4566052109 - 裁判記録。
  • ジッタ・セレニー 『魂の叫び―11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白』 古屋美登里訳、清流出版、1999年、ISBN 4916028678 - 出所後に書かれた伝記。
  • 山岸凉子 「悪夢」『天人唐草』 - メアリー・ベル事件をもとにしたフィクション。