ミハイル・ドリヴォ=ドブロヴォルスキー

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Mikhail Osipovich Dolivo-Dobrovolsky

ミハイル・オシポヴィチ・ドリヴォ=ドブロヴォルスキーロシア語: Михаи́л О́сипович Доли́во-Доброво́льский; ドイツ語: Michail von Dolivo-Dobrowolsky or Michail Ossipowitsch Doliwo-Dobrowolski; ポーランド語: Michał Doliwo-Dobrowolski; 1862年1月2日ユリウス暦 1861年12月21日)1919年11月15日ユリウス暦 11月3日))は、ロシア工学者電気工事士発明家

サンクトペテルブルク近くのガッチナで、Mazowszeに起源を持つ祖父の家系であるポーランド貴族ロシア人貴族の家系の間のつながりを通した混ざった起源を持つ家族のもと生まれた。ロシアのアレクサンドル2世の暗殺(1881年)ののち、その政治的視点の迫害によりドイツに移住した。ドイツのダルムシュタット工科大学で学び、1887年からAEGで働いた。

22歳のときのドブロヴォルスキー

多相電気システムの創始者の1人であり(他はニコラ・テスラガリレオ・フェラリス、Jonas Wenström)、三相発電機や三相電動機を開発し(1888年)、Y-Δ結線を研究した。三相システムの成功は1891年のInternational Electro-Technical Exhibitionで展示され、ドリヴォ=ドブロヴォルスキーはこのシステムを用いて176kmの距離を75%の効率で電力伝送を行った。1891年には三相変圧器や短絡(リスかご誘導電動機を作成した[1][2]

1891年に世界初の三相水力発電所を設計した。生涯で60以上の特許を取得した。

1911年、ダルムシュタット工科大学から名誉学位を授与された。ドイツハイデルベルクで57歳で亡くなった。

脚注[編集]

  1. ^ Woodbank Communications Ltd.'s Electropaedia: "History of Batteries (and other things)"
  2. ^ Gerhard Neidhöfer: Michael von Dolivo-Dobrowolsky und der Drehstrom. Geschichte der Elektrotechnik VDE-Buchreihe, Volume 9, VDE VERLAG, Berlin Offenbach,

出典[編集]