マックス・ラインハルト

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マックス・ラインハルト

マックス・ラインハルト(Max Reinhardt、1873年9月9日 - 1943年10月31日)は、アメリカ合衆国ドイツで活躍したユダヤ系オーストリア人演出家プロデューサー

本名をマクシミリアン・ゴルトマン(Maximilian Goldmann)といい、1873年9月9日にニーダーエスターライヒ州バーデンで生まれ、1943年10月31日に亡命先のニューヨークで死去。

略年譜[編集]

1901年、フリードリヒ・カイスラーとともにベルリンカバレット「シャル・ウント・ラウフ(響きと煙)」を立ち上げた。

1903年、「ノイエス・テアター」の監督となり、『サロメ』(ワイルド)、『どん底』(ゴーリキー)、『エレクトラ』(ホーフマンスタール)、『幽霊』(イプセン)などを上演した。1906年には「ドイチェス・テアター」の監督となった。ドイチェス・テアターでオッフェンバック作曲の『天国と地獄』を上演した際には、クレンペラーが指揮した[1]

1911年、リヒャルト・シュトラウスの歌劇『薔薇の騎士』(台本:ホーフマンスタール)の初演を演出。12月にはロンドンのオリンピア・ホールでカール・フォルメラー作の『奇蹟』を上演し、国際的な名声を得た。

1920年、ホーフマンスタールらに呼びかけ、後のザルツブルク音楽祭の原形となる「ザルツブルク・フェスティヴァル」を始めた。この年には、ラインハルト演出のホーフマンスタールの演劇「イェーダーマン」のみが上演された。

1920年代のベルリンで活躍し、演劇界の「皇帝」と呼ばれた。

1927年、シェークスピアの『真夏の夜の夢』をアメリカで上演。

1929年、作曲家コルンゴルトの協力を得てヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇『こうもり』をベルリンでミュージカルとして上演。

1932年、オッフェンバック作曲の歌劇『ホフマン物語』をベルリンで上演。この公演をベルメールが観たことが、彼が人形をつくるきっかけとなった。

1935年、アメリカで映画『真夏の夜の夢』を監督。この映画は、作曲家のメンデルスゾーンと監督のラインハルトがユダヤ人であるという理由でドイツでは上演されなかった。

1938年、ナチスによるオーストリア併合のため、イギリスに亡命し、後にアメリカに亡命。

1943年、アメリカで死亡し、ウェストミンスター・ヒルズ墓地に葬られた。

映画[編集]

・『真夏の夜の夢』(1935年)

  1. ^ 『オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽的人生』(ヴァイスヴァイラー著、明石政紀訳、みすず書房、2011年、pp.35-36)