ベンジャミン・オール

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ベンジャミン・オール
Benjamin Orr
出生名 Benjamin Orzechowski
生誕 (1947-09-08) 1947年9月8日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州レイクウッド
死没 (2000-10-03) 2000年10月3日(53歳没)
ジャンル ロックニュー・ウェイヴ
職業 ミュージシャン、歌手、ソングライター
担当楽器 ボーカルベース
活動期間 1965年 - 2000年
レーベル エレクトラ

ベンジャミン・オールBenjamin Orr1947年9月8日 - 2000年10月3日)は、ロック・バンド、カーズのベーシスト、共同創設者、および共同リードボーカリストとして最もよく知られているアメリカのミュージシャン、歌手。

彼は、「燃える欲望 (Just What I Needed)」「レッツ・ゴー」「ドライヴ」など、カーズの最も有名な曲のいくつかでリードボーカルを歌った。また、シングル「ステイ・ザ・ナイト」でソロ・ヒットを記録した。

オールは死後、2018年にカーズのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした[1]

略歴[編集]

人生とキャリア[編集]

ベンジャミン・オルゼコウスキは、オハイオ州レイクウッド[2]、ポーランド、ロシア、チェコスロバキア、ドイツ系の両親のもとに生まれた。彼の家族は彼の音楽活動を積極的に支援した。彼は、ギター、ベース、キーボード、ドラムなど、いくつかの楽器に習熟した[3]

地元では「ベニー・11・レターズ (Benny 11 Letters)」として知られる彼は、オハイオ州レイクウッドとオハイオ州パルマで育ち、ヴァレー・フォージ高校に通った後、1964年にリードシンガー兼ギタリストとして地元のバンド、グラスホッパーズ (Grasshoppers)に参加した[4]。1965年、グラスホッパーズはサンバースト・レーベルから「Mod Socks」と「Pink Champagne (and Red Roses)」という2枚のシングルをリリースし、後者はオルゼコウスキによって作曲された。

グラスホッパーズは、クリーブランドのWEWS-TVが制作した音楽バラエティ・テレビ番組『ビッグ5・ショー』[3]のハウス・バンドも務めた。グラスホッパーズは1966年に解散し、バンドメンバーの2人がアメリカ陸軍に徴兵された後、オルゼコウスキはミックスド・エモーションズ (Mixed Emotions)に参加し、後にカラーズ (Colours)に参加した。

その後、オルゼコウスキも徴兵されたが、陸軍での約1年半の後に徴兵猶予を受けた[5][6]

オールが1960年代にクリーブランドで初めてリック・オケイセックに出会ったのは、オールが『ビッグ5・ショー』でグラスホッパーズと共演しているのをオケイセックが見た後のことだった[7]。数年後、オールはオハイオ州コロンバスに移り、1988年にカーズが解散するまでの間、オケイセックと音楽的パートナーシップを結ぶこととなる。ボストンに移った後、2人はギタリストのジェームス・グッドカインドと、ミルクウッドと呼ばれるフォーク・バンドを結成した。

1973年に、グループは1枚のアルバム『ハウズ・ザ・ウエザー』をリリースした。チャート入りには失敗した。ボストンに残り、オケイセックとオールは別のバンド、キーボーディストのグレッグ・ホークスをフィーチャーした「リチャード・アンド・ザ・ラビッツ (Richard and the Rabbits)」を結成し、続いてギタリストのエリオット・イーストンを含む別のバンド「キャップン・スウィング (Cap'n Swing)」を結成した。グループが1976年に解散した後、4人とドラマーのデヴィッド・ロビンソンは、カーズを結成した。

カーズのメンバーとして、オールはバンドの最も有名な曲のいくつかでリードボーカルを歌った。これには、トップ40での最初のヒット「燃える欲望 (Just What I Needed)」、「レッツ・ゴー」、およびアメリカでのチャート最高位となったシングル「ドライヴ」が収録されている。

オールは、1986年に自身唯一のソロ・アルバム『ザ・レース』をリリースした。その音楽と歌詞は、長年のガールフレンドであるダイアン・グレイ・ペイジ (Diane Gray Page)と共同で作成した。彼女はバック・ボーカルでも参加しており[8]、アルバムのバック・カバーにも登場している。このアルバムには、トップ40に入るポップ・ヒット曲「ステイ・ザ・ナイト」が収録されていた。この曲はアルバム・ロック・チャートでもトップ10のヒットとなった[9]。この曲のミュージックビデオは、MTVでヘビー・ローテーションされた[10]

2枚目のシングル「Too Hot to Stop」もリリースされたが、アルバム・ロック・チャートで25位に達したものの、Billboard Hot 100には入らなかった。オールは、1988年にグループが解散する前に、もう1枚のアルバム『ドア・トゥ・ドア』とツアーのためにカーズと協力し続け、その後、彼と他のメンバーはソロ活動を続けた。1990年代中頃、オールはギタリストのジョン・カリッシュと共に『ザ・レース』に続く未発表曲を録音した。

1998年から2000年に亡くなるまで、彼は自身のバンド「オール (ORR)」と、2つのサイドバンド、ミッキー・トーマスとジョン・キャファティとのヴォイス・オブ・クラシック・ロック[11][12]と、パット・トラヴァース (パット・トラヴァース・バンド)、ジェフ・カーリッシ (38スペシャル)、デレク・セント・ホームズ (テッド・ニュージェント)、リバティ・デヴィート (ビリー・ジョエル)とのカバー・バンドであるビッグ・ピープル[2]で、パフォーマンスを続けた。

オールは、2回結婚し、息子が1人いた[13]

病と死[編集]

2000年4月、オールは膵臓癌と診断され、入院した[14]。しかしながら、彼はその夏の間、音楽フェスティバルや、州による見本市において、ビッグ・ピープルでパフォーマンスを続けた。彼はアトランタで最後の1回となるカーズでの再結成を果たし、ライノ・エンタテインメントからのコンサート・ビデオ『The Cars Live』に収録されたインタビューを行った。

オールが最後に公の場に姿を現したのは、2000年9月27日、アラスカ州アンカレッジで開催されたビッグ・ピープルのコンサートであった。仲間のビッグ・ピープル・バンドのメンバーであるジェフ・カーリッシ、デレク・セント・ホームズ、ロブ・ウィルソンに囲まれながら[15]、彼は10月3日にアトランタの自宅にて53歳[16][17]で亡くなった。

リック・オケイセックはオールへの音楽での追悼として「Silver」という曲を書いて録音した[18]。これは、オケイセックの2005年のソロ・アルバム『ネクスタデイ』に収録されている[19]。カーズは、オールの死から10年後に再結成し、2011年5月に7枚目 (そして最後) のスタジオ・アルバム『ムーヴ・ライク・ディス』をリリースした[20]。オールはライナーノーツで特別な賛辞を受けている。「ベン、あなたの精神は我々と共に、ここにある」と[21]

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • 『ザ・レース』 - The Lace (1986年、Elektra) ※全米86位

ソロ・シングル[編集]

  • 「ステイ・ザ・ナイト」 - "Stay the Night" (1986年、Elektra)
  • "Too Hot to Stop" (1987年、Elektra)

グラスホッパーズ[編集]

  • "Mod Socks" b/w "Twin Beat" (1965年、Sunburst)
  • "Pink Champagne (and Red Roses)" b/w "The Wasp" (1965年、Sunburst)

ミルクウッド[編集]

  • 『ハウズ・ザ・ウエザー』 - How's the Weather? (1973年、Paramount)

カーズ[編集]

出典[編集]

  1. ^ The Cars” (英語). Rock & Roll Hall of Fame. 2017年12月17日閲覧。
  2. ^ a b Benjamin Orr | Biography & History”. AllMusic. 2022年8月11日閲覧。
  3. ^ a b Zaleski, Annie. “Benjamin Orr Before the Cars”. Ultimate Classic Rock. 2022年8月11日閲覧。
  4. ^ Scott, Jane. "Meet the Men with Green Feet" The Plain Dealer January 30, 1965: 34
  5. ^ Scott, Jane. "The Cars take off fast in record derby" The Plain Dealer June 9, 1978: Friday 28
  6. ^ Adams, Deanna. Rock 'n' Roll and the Cleveland Connection (2002): 50–52
  7. ^ Scott, Jane. "Cars are roaring back; Blossom is a sell-out" The Plain Dealer August 7, 1984: 5-C
  8. ^ The Lace - Benjamin Orr | Credits | AllMusic”. 2022年8月11日閲覧。
  9. ^ Whitburn, Joel. Rock Tracks (2002): 103
  10. ^ "MTV Programming" Billboard December 13, 1986: 42
  11. ^ “Rock musician Benjamin Orr dies”. Spartanburg Herald-Journal: p. B2. (2000年10月5日). https://news.google.com/newspapers?id=aq0nAAAAIBAJ&pg=2436,2364910&dq=the-voices-of-classic-rock&hl=en 2010年11月20日閲覧。 
  12. ^ Voices of Classic Rock & Rockforever.com – Presents BEN ORR” (2008年3月24日). 2008年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月21日閲覧。
  13. ^ Reformer, Chris Mays, Brattleboro. “'Let's Go': Book gets behind wheel with Benjamin Orr of The Cars”. Bennington Banner. 2022年8月11日閲覧。
  14. ^ The Cars' Benjamin Orr hospitalized”. Mtv.com (2000年5月24日). 2018年9月17日閲覧。
  15. ^ Saidman, Sorelle (2000年10月4日). “MTV reports Benjamin Orr's death”. Mtv.com. 2011年7月18日閲覧。
  16. ^ Friends and Bandmates Pay Tribute to Ben Orr”. Rolling Stone (2000年11月13日). 2020年12月3日閲覧。
  17. ^ Petkovic, John (2000年11月10日). “A Rock Star Who Stayed True to his Roots”. The Plain Dealer (Cleveland, Ohio) 
  18. ^ The Mystery of Ric Ocasek: 'He Tried for Happiness, But Underneath Was a Lot of Pain'”. Rolling Stone (2019年10月18日). 2022年8月11日閲覧。
  19. ^ Nexterday - Ric Ocasek | Songs, Reviews, Credits | AllMusic”. 2022年8月11日閲覧。
  20. ^ Spitz, Marc (2011年5月5日). “Q&A: Ric Ocasek of the Cars”. 2022年8月11日閲覧。
  21. ^ Ben Orr” (2012年12月28日). 2022年8月11日閲覧。

外部リンク[編集]