フランツ・フリーデル

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フランツ・フリーデル
出生名 本名:相場フランツ
別名 津川晃
生誕 1943年2月21日
出身地 ドイツの旗 ドイツハンブルグ
死没 2006年6月8日
ジャンル ロカビリー
ポップス
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1960年 - 2006年
共同作業者 ブルー・コメッツ
ブルー・ファイア

フランツ・フリーデル(本名:相場フランツ (あいば フランツ[1])、1943年2月21日[1][注釈 1] - 2006年6月8日[4])は、日本歌手ドイツハンブルク出身[2]渡辺プロダクションに所属していた[2]

来歴[編集]

ドイツ人の父と日本人の母の間に生まれる[1]1958年にドイツから来日し[1]1960年ロカビリー歌手として本格的にデビュー。1961年に、ポール・アンカのカバー曲「電話でキッス」がヒット。ロカビリーブームのなか、その歌唱力と端正なマスクで人気を博した。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツの兄弟バンドであった「ブルー・ファイア」のリーダーとしても活動、ブルー・コメッツとはレコードなどで共演歴がある。

楽曲には、「フランツ・フリーデルとブルー・ファイア」「津川晃」名義でリリースされたものもある。

晩年は糖尿病等幾つかの持病と闘いながら、銀座を拠点に最後まで歌手活動を行った。2006年6月8日、東京都内の病院で死去[4]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

特記なき楽曲はフランツ・フリーデル(Franz Friedel)名義
c/w『シンデレラ』
  • 『嵐を呼ぶ恋』 (EB-7046:キングレコード)
  • 『さらばふるさと』 (EB-7051:キングレコード) ドイツ民謡/訳詞
  • 『ラ・パロマ・ツイスト』 (EB-7109:キングレコード) 編曲:宮川泰
  • 『青春に恋しよう』 (1965年)
  • ドゥ・ユー・ノウ』(1966年、LL-10003-JC:CBSコロムビア) 作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義
c/w『マリナによせて』 作詞:Hooser Herbert M/作曲:小田啓義
  • 『夕陽のはてに』(1967年9月10日、CBSコロムビア) 作詞:橋本淳/作曲:すぎやまこういち (フランツ・フリーデルとブルー・ファイア名義)
c/w『恋はやさしい』 作詞:橋本淳/作曲:野島美樹[5]
c/w『しあわせの涙』
c/w『愛の嵐』作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
  • 『ドゥ・ユー・ノウ』 (1973年、Fairy Records) - 再録音、作詞:湯川れい子/作曲:小田啓義
c/w『SEVEN NIGHTS』 (マリナによせて) 作曲:小田啓義
c/w『黒い花びら』作詞:永六輔/作曲:中村八大

アルバム[編集]

  • 『フランツ・フリーデル/ポピュラーを唄う』 (DR-1502:大映レコード)
  • 『別離 フランツ・フリーデル』 (1974年頃、E4137)

映画出演[編集]

舞台[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 生年を1944年としている資料もある[2][3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d フリーデル フランツ』 - コトバンク
  2. ^ a b c 『タレント名鑑』《NO2》芸能春秋社、1963年、81頁。 
  3. ^ 「付録 オールスター名鑑」『芸能画報』1月号、サン出版社、1962年。 
  4. ^ a b “F・フリーデル氏死去 歌手”. 47NEWS. 共同通信. (2006年6月9日). オリジナルの2014年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140302033451/http://www.47news.jp/CN/200606/CN2006060901003198.html 
  5. ^ 「ブルー・ファイア」ギター担当