ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
初代ノーサンバーランド公爵
ヒュー・パーシー
Hugh Percy
1st Duke of Northumberland
Hugh Percy (né Smithson), 1st Duke of Northumberland by James Scott, after Thomas Gainsborough mezzotint, 1871.jpg
初代ノーサンバランド公の肖像画(ジェイムズ・スコットとトマス・ゲインズバラ画)
生年月日 1714年
没年月日 1786年6月6日
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党 トーリー党
称号 初代ノーサンバーランド公爵、第2代ノーサンバーランド伯爵ノーフォーク公爵、第2代ワークワース男爵、初代パーシー伯爵、初代ロヴェイン男爵英語版ガーター勲章士(KG)、枢密顧問官(PC)

内閣 グレンヴィル内閣
在任期間 1763年4月27日 - 1765年6月5日

グレートブリテン王国の旗 庶民院議員
選挙区 ミドルセックス選挙区英語版
在任期間 1740年 - 1750年2月7日

グレートブリテン王国の旗 貴族院議員
在任期間 1750年2月7日 - 1786年6月6日
テンプレートを表示

初代ノーサンバランド公爵ヒュー・パーシー: Hugh Percy, 1st Duke of Northumberland, KG, PC1714年 - 1786年6月6日)は、イギリスの貴族、政治家。

スミソン準男爵家英語版の生まれだが、1740年ノーサンバランド伯爵パーシー家の血を引く第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアの娘エリザベス英語版と結婚した関係で岳父の7代サマセット公が新規に叙されたノーサンバーランド伯爵位を1750年に継承してパーシー姓に改姓した。さらに1766年にはノーサンバーランド公爵に叙せられた。

2016年現在まで続くノーサンバーランド公パーシー家の祖である。

経歴[編集]

初代ノーサンバランド公ヒュー・パーシー(エドワード・フィッシャー画)

1714年12月頃にラングデール・スミソン(第3代準男爵英語版ヒュー・スミソンの息子)とその妻フィラデルフィア(旧姓リヴリー)の唯一の息子として誕生[1][2]

スミソン家(Smithson)は内戦の際に王党派として行動した功績で王政復古後に準男爵に叙された中規模の地主の家柄である[3]

オックスフォード大学クライスト・チャーチで学んだ[1]

1733年3月2日に祖父が死去し、第4代準男爵位を継承した[1][2]1738年にはヨークシャー州長官英語版に就任した[1]

1740年にパーシー男爵アルジャーノン・シーモア(後の第7代サマセット公)の娘エリザベス英語版と結婚した[3][2]。エリザベスの父アルジャーノンは第6代サマセット公チャールズ・シーモアとその妻エリザベス・パーシーの息子であるが、このエリザベス・パーシーは中世以来の貴族である第11代ノーサンバーランド伯爵ジョスリン・パーシー英語版の娘だった(ノーサンバーランド伯爵家はこのジョスリンを最後の当主として1670年に廃絶している)[4]

スミソン家は代々カトリックだったが、この結婚に際して彼はプロテスタントイングランド国教会)に改宗した[5]。これにより議会に入れるようになり、1740年から1750年にかけてミドルセックス選挙区英語版から選出されてトーリー党庶民院議員を務めた[1][2]

1744年に7代サマセット公の息子ジョージが急死。これにより妻エリザベスがサマセット公家の財産の一部を継承する見込みとなった[6]。さらに1749年にサマセット公は母の家系に由来するノーサンバーランド伯爵位とワークワース男爵位を与えられたが、この2つのグレートブリテン貴族爵位は娘婿ヒューへの特別継承権を認めていた[7]

これにより翌1750年2月7日のサマセット公の死去に際してヒューは第2代ノーサンバーランド伯爵位を継承し(サマセット公位は遠縁のエドワード・シーモア英語版が継承)、貴族院議員に転じた[2][8]。さらに1750年4月12日の議会の法律によりスミソン姓からパーシー姓に改姓した[1][2]

1753年から1763年にかけて寝室侍従長英語版を務めた。1753年から死去までノーサンバーランド統監英語版大英博物館管理人、また1755年から死去までノーサンバーランド副提督英語版を務めた[1][2]

1756年にはガーター勲章を受勲し、1762年枢密顧問官に列した。1762年から1763年にかけてはシャーロット王妃宮内長官英語版を務めた。また1762年から死去までミドルセックス統監英語版も務めた。1763年から1765年にかけてはアイルランド総督を務めた[1][2]

1766年10月22日にグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド公爵とパーシー伯爵に叙された[1][2]

1778年から1780年まで主馬頭英語版を務めた[1][2]

1784年6月28日に次男アルジャーノン・パーシー英語版への特別継承を規定したロヴェイン男爵英語版に叙された[1][2]

地主としては優秀な人物であり、領地開拓と鉱山開発を盛んに行い、ノーサンバーランド公パーシー家が国内有数の富豪貴族となる基盤を固めた[9]

1786年6月6日に死去した[1][2]。ノーサンバランド公位はエリザベスとの間に生まれた長男のヒューが継承。ラヴァイン男爵位は次男のアルジャーノン英語版が継承した。アルジャーノンは1790年にビバリー伯に叙されている[10][11]。また、庶子のジェームズ・スミソンは科学者としての道を進み、死後アメリカに遺贈された資金を元にスミソニアン博物館が設立された[12]

栄典[編集]

爵位/準男爵位[編集]

1773年3月2日の祖父ヒュー・スミソンの死により以下の準男爵位を継承した。

  • (ヨーク州におけるスタンウィックの)第4代準男爵英語版
    (4th Baronet "of Stanwick in the County of York")
    (1660年8月2日の勅許状によるイングランド準男爵位)

1750年2月7日に岳父アルジャーノン・シーモアから以下の爵位を継承した。

  • 第2代ノーサンバーランド伯爵
    (2nd Earl of Northumberland)
    (1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンバーランド州におけるワークワース城の第2代ワークワース男爵
    (2nd Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)
    (1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

1766年10月22日に以下の爵位を新規に与えられる。

  • 初代ノーサンバーランド公爵
    (1st Duke of Northumberland)
    (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 初代パーシー伯爵
    (1st Earl Percy)
    (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

1784年1月28日に以下の爵位を新規に与えられる

勲章[編集]

家族[編集]

1740年7月16日に第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアの娘エリザベス英語版と結婚。彼女との間に以下の3子を儲けた[1]

婚姻関係にないエリザベス・ケイトとの間に以下の庶子を儲けた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Lundy, Darryl. “Hugh Percy, 1st Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Heraldic Media Limited. “Northumberland, Duke of (GB, 1766)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月1日閲覧。
  3. ^ a b 海保眞夫 1999, p. 107.
  4. ^ 海保眞夫 1999, p. 59.
  5. ^ 海保眞夫 1999, p. 110.
  6. ^ 森護 1987, p. 69-70, 海保眞夫 1999, p. 109
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Somerset, Duke of (E, 1546/7)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月1日閲覧。
  8. ^ 海保眞夫 1999, p. 109.
  9. ^ 海保眞夫 1999, p. 111.
  10. ^ Heraldic Media Limited. “Beverley, Earl of (GB, 1790)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月1日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Algernon Percy, 1st Earl of Beverley” (英語). thepeerage.com. 2016年2月1日閲覧。
  12. ^ 海保眞夫 1999, p. 119-120.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
サー・フランシス・チャイルド英語版
ウィリアム・プルトニ―英語版
ミドルセックス選挙区英語版
選出庶民院議員

1740年–1750年
同一選挙区同時当選者
ウィリアム・プルトニ―英語版 1740–1742
サー・ロジャー・ニューディゲート準男爵英語版 1742–1747
サー・ウィリアム・ビーチャム=プロクター準男爵 1747–1750
次代:
サー・ウィリアム・ビーチャム=プロクター準男爵
ジョージ・コーク英語版
公職
先代:
新設
寝室侍従長英語版
1753年–1763年
次代:
第6代デンビー伯英語版
先代:
第3代マンチェスター公英語版
シャーロット王妃宮内長官英語版
1762年–1763年
次代:
初代ハーコート伯英語版
先代:
第2代ハリファックス伯英語版
アイルランド総督
1763年 - 1765年
次代:
第3代ウェイマス子爵英語版
先代:
第3代アンカスター=ケステヴェン公英語版
主馬頭英語版
1778年 - 1780年
次代:
初代モンタギュー公英語版
名誉職
先代:
マーク・カービィ
ヨークシャー州長官英語版
1738年
次代:
ジョージ・クック
先代:
第2代タンカーヴィル伯英語版
ノーサンバーランド統監英語版
1753年–1786年
次代:
第2代ノーサンバーランド公
ノーサンバーランド主席治安判事英語版
1753年–1786年
空席
最後の就任者
サー・ジョン・デラヴァル英語版
ノーサンバーランド副提督英語版
1755年–1786年
先代:
初代ニューカッスル公
ミドルセックス主席治安判事英語版
1762年–1786年
空席
次の就任者
ヘンリー・ダンダス英語版
ミドルセックス統監英語版
1763年–1786年
委員会制
グレートブリテンの爵位
新設 初代ノーサンバーランド公爵
1766年–1786年
次代:
ヒュー・パーシー
先代:
アルジャーノン・シーモア
第2代ノーサンバーランド伯爵
1750年–1786年
新設 初代ロヴェイン男爵英語版
1784年–1786年
次代:
アルジャーノン・パーシー英語版
イングランドの準男爵
先代:
ヒュー・スミソン
第4代準男爵英語版
(スタンウィックの)

1733年–1786年
次代:
ヒュー・パーシー