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ジェームズ・スミソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェームズ・スミソン
1816年の肖像(ヘンリー・ジョセフ・ジョーンズ画)
ワシントンD.C.国立肖像画美術館所蔵
生誕 1765年
 フランス王国 パリ
死没 1829年6月27日
 サルデーニャ王国 ジェノヴァ
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 鉱物学化学
出身校 オックスフォード大学・ペンブルック・カレッジ
プロジェクト:人物伝
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ジェームズ・スミソンJames Smithson FRS, 1765年 - 1829年6月27日)は、鉱物学化学の分野における功績の他に、自身の全遺産アメリカ合衆国政府寄付し、スミソニアン協会設立の基金となったことで有名である。

彼の研究ノートや科学コレクション日記と手紙は1865年にスミソニアン博物館本部ビルの火災で失われた。

イギリスの初代ノーサンバーランド公爵ヒュー・パーシー私生児という立場でパリにて生まれ、後にを父の元の姓であるスミソンに変更し、イギリスに帰化した。母はエリザベス・ハンガーフォード・キート(Elizabeth Hungerford Keate)。1782年5月7日にオックスフォード大学ペンブルック・カレッジに入学、1786年5月26日にM.A.の学位を修得した[1]。1787年4月19日に王立協会フェローに選出された[2]

ジェノヴァで死去した[1]。スミソンは生涯独身であり、正式な財産相続人がなく、その意思により遺産はアメリカ合衆国に寄付され、1836年アメリカ合衆国議会に承認され受け入れられた。

生涯アメリカ合衆国を訪問したことがなかったが、死後その意志により、遺骸のみアメリカ合衆国上陸を果たしている。棺はワシントンD.C.にあるスミソニアン協会本部ビル一階に安置されており、自由に拝観することができる。

菱亜鉛鉱(smithsonite、ZnCO3)は当時「カラミン」と呼ばれて同一視されていた異極鉱とこの鉱物とを別の鉱物だと分析したスミソンの名に由来する。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). "Smithson, James" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 4. Oxford: Parker and Co. p. 1323. ウィキソースより。
  2. ^ "Smithson; James (1765 - 1829)". Record (英語). The Royal Society. 2024年7月12日閲覧

外部リンク

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