ノーマン・ベチューン

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カナダ時代(1928年)

ノーマン・ベチューン(Henry Norman Bethune、白求恩、1890年3月4日 - 1939年11月12日)はカナダ人の外科医カナダ共産党員であり、延安に渡って医療活動に従事した。

延安に渡るまで[編集]

ベチューンはオンタリオ州グレイヴンハーストで医師の祖父と牧師の父親を持って生まれた。1909年トロント大学に入学し、医師への道を歩みだしたが、1914年第一次世界大戦が勃発、衛生兵として出征した。そこで彼は銃弾に傷ついた多くの兵士を治療した。1916年大学を卒業し医師となると、デトロイトに移住、診療所を開設した。そこで多くの労働者が結核を患い、しかもその治療をすることさえ出来ずに多数死んでいくのを目の当たりにし、患者たちを無料で治療するようになった。次々とやってくる患者を前にベチューンは医師としての限界を思い始める。いくら患者を治療しても貧困の中にあれば結核は容易に蔓延し、人々の命を奪っていく。結核を根絶するには医療活動ではなくて貧困を撲滅しなければいけないと考え始めるようになった。1935年、ベチューンはカナダ共産党に入党し、共産主義社会の実現に力を注ぐようになり、翌1936年のスペイン内戦にも反ファシスト側として参加した。

延安時代[編集]

華北軍区烈士陵園のベチューン像

1938年、ベチューンは中国共産党が本拠地にしている延安に渡る。そこでベチューンは医療活動を行い、中国共産党の活動を支援した。しかし、彼は手術中に指を切ったことが原因で敗血症に罹り、1939年11月12日に死亡した。ベチューンは同様に中国共産党の地域で医療活動を行ったインド人ドワナト・サンタラム・コートニス英語版(柯棣華)とともに中国国内で高く評価されている。

毛沢東は、ベチューンの死後、「ベチューンを記念する」(「紀念白求恩」)を発表して彼の国際主義による無私の活動を高く評価した。文化大革命の時期に、この文書は「人民に奉仕する」「愚公山を移す」とあわせて「老三篇」として、広く読まれた。

ベチューンの墓所は河北省石家荘市の華北軍区烈士陵園にあり、銅像が建てられている。吉林大学ベチューン医学部は彼を記念する命名で、彼を記念する銅像や記念碑は中国の各都市にある。

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