ノート:凱旋門賞/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

「概要」の項について

概要の項が、本記事項目の説明以外で肥大化しているように見えます。世界的な、あるいは欧州の競走体系の傾向については、本記事から削るか、あるいは別記事にした方が良いと考えます。--クモハモハ大王 2008年5月23日 (金) 13:45 (UTC)

しかし、欧州の競走体系の傾向はこのレースと切っても切り離せない問題なのでは?別の記事にするほどでもないと思うし。--211.14.213.71 2008年6月8日 (日) 02:31 (UTC)
事実ならともかく、かなり個人的な主観が入った怪しげな記述がありますからね。「一方、ヨーロッパ競馬全体の傾向として…」の段落はいらないでしょう。単に削除すべきだと思います。--The colonel of the lamb 2008年6月9日 (月) 05:51 (UTC)

ただ、種牡馬価値を決めるレースが短くなってきているのは確かだと思うが・・・・なにか数字で表せればいいのですが。--218.45.94.77 2008年6月14日 (土) 01:07 (UTC)

私としては近年そのような傾向が強まっているとは思いませんし、なんとなくで書かれても仕方ないでしょう。とりあえず、現状の記述は具体的な根拠がないようにみえます。本競走と関連があるかも曖昧ですので必要ないと思いますが。--The colonel of the lamb 2008年6月14日 (土) 18:53 (UTC)
他に意見がないようなので削除いたします。何らかのソースが見つかれば、それを元に記述していただければと思います。--The colonel of the lamb 2008年6月17日 (火) 17:05 (UTC)
エルコンドルパサーでNHK衛星で生中継したので、修正しました。--Wakayada 2009年2月12日 (木) 09:29 (UTC)

大きく構成をいじりました。注目度が高いと思われる記事でこのような編集は非難されるかもしれませんが、読みやすさ、わかりやすさを重視しました。

  • 「概要」が長すぎ、概要とは思えない事象が詳述してあったり、必ずしも客観的とは言えないような評価(その内容に私自身が同意するかどうかにかかわらず)が挿入されており、通読したときに何が書いてあるのかよくわからなくなっていると判断しました。
  • 概要と解説に分割し、出来る限り「客観的事実」を淡々と書きました。
  • 一部のあまりに詳細な情報については注釈扱いとしました。
  • 「傾向」について過去14年間の勝馬について述べられており、なぜ13年や15年ではなく14年なのか明示されていなかったため、キリのいい20年としましたが、論の主旨自体は変わっていないと思われます(その主旨に私が同意するかどうかは別問題です)。
  • 「馬場の硬さ」に関する記述についてはかなり怪しいと感じましたので、出典や根拠となる数値等に触れたいところですが、面倒なので見送りました。
  • 「中距離重視の傾向」については上でThe colonel of the lambさんが疑義があるとのことですが、私自身はそのような傾向を認めるため、補完する材料としてカルティエ賞の年度代表馬について言及しました。ただし公平に言えばカルティエ賞と種牡馬価値の相関性を証明する必要があるかもしれませんし、カルティエ賞以前の全欧クラシフィケーションなども持ち出して検証する必要があるかもしれませんが、それはここでは行いませんでした。
  • 「日本での評価」では「多い」「少なくない」などの表現が目立ち、非常に気持ちが悪かったので具体例を詳述することにしました。「不振」や「期待に反する」という表現は残りましたが、大筋では異論のないところではないかと思っています。トピオの記述はディアマンテを無視するような表現になりました。供用年数の短さからいけば、正反対に「成功」の部類に入れて論じることも可能と思います。再輸出された各馬もそれなりに重賞勝馬を出しており、種牡馬全部の中から見れば失敗とは言い難い面もありますが、「凱旋門賞馬」の看板からすると「残念種牡馬」側に分類できると判断しました。全体としては従前の「凱旋門賞勝ちの輸入種牡馬は失敗が多い」というニュアンスから「まあまあ成功している」にシフトしたと思います。これは私の「種牡馬は普通失敗するものであって、成功する方が特殊である」という見方によるところがあります。--零細系統保護協会 2009年8月30日 (日) 06:51 (UTC)
カルティエ賞については1998年以前についても凱旋門賞馬がそれほど選ばれていないことがありますね。昔はチャンピオン決定戦だったのかという点で疑問に感じます。種牡馬価値についても以前は中距離以下の馬が評価されていなかったかというと、このあたりも客観的なデータが必要ではないでしょうか?レース注目度という点で賞金に目を向けると、少なくとも手元の資料では中距離以下の主要競走の賞金が特別に増えているという傾向は見られません。--The colonel of the lamb 2009年8月30日 (日) 09:31 (UTC)

ただのG1レースか

2005~2007年に至ってはサーパーシーなどヨーロッパにおいて名を馳せていたビッグネームがことごとく出走を回避しヨーロッパチャンピオン決定戦などとは到底呼べない「ただのG1レース」と呼ぶべき有様となってしまった。」とあります。私はこの表現には難があると思います。この部分には注釈として外部リンクがあり、JRAのHPにおける合田直弘氏のレース解説があります。氏は2007年の凱旋門賞を回顧し「レ-スの入線順位は、1着ディラントーマス、2着ユムゼインという、欧州のこの路線における前半戦の総決算キングジョージと全く同じものとなった。今年のキングジョージは近年で最も水準が低く、チャンピオンを決めるレースとしては評価出来ないというのが一般的な見方だっただけに、実に皮肉な結果である。」と述べるにとどまっております。“キングジョージは参考外と思っていたらそれと同じ結果になって、参考外という判断が誤っていたことがわかった”とも“参考外のキングジョージは捨て置き、今回は本物の結果が出ると思っていたらキングジョージと同じ結果になってまた参考外になってしまった”とも解釈できるような表現です。(氏はいつもこのような感じですね。)いずれにせよ、これを根拠に「ヨーロッパチャンピオン決定戦などとは到底呼べない」「ただのG1レース」とするのは氏の発言をねじまげていると思います。そこで、2006年と2007年の氏の論評を眺めてみました。(2005年はありません。)

  • 2005年 優勝馬ハリケーンラン→WTRR首位・カルティエ賞年度代表馬、2着ウエスタナー→WTRR芝部門2位、5着英国ダービー馬モチベイター→WTRR芝部門4位、そのほか、シロッコ(この後BCターフ優勝)、バゴと、この年のWTRR芝部門でヨーロッパ勢上位6位までのうち、凱旋門賞に出ていないのは「キングジョージ」を制したアザムアだけです。そのアザムアはBCターフにまわりました(3着)。チャンピオン決定戦に相応しい競走だったのではないでしょうか。(※ところで、当該部分を加筆[1]なさった方は、BCターフには「欧州の二流・三流馬がこの競走で米国馬相手に勝利または好走することも珍しくない。」と加筆[2]なさっていまして、凱旋門賞を回避したアザムアがBCターフで3着に終わったことは、この観点からするとアザムアが「二流・三流」かそれ以下であることを示唆しており、そのような馬が凱旋門賞に出走しなかったとしても、凱旋門賞のチャンピオン決定戦としての価値は損われないという理屈が成り立つような気もします。)
  • 2006年 サーパーシーは2006年の英国ダービー馬ではありますが、ダービー優勝以降は4戦0勝(英チャンピオンS7着、ドバイシーマクラシック4着、コロネーションC6着、プリンスオブウェールズS6着)と「ただのダービー馬」でありまして、これを「ヨーロッパで名を馳せているビッグネーム」とするのはいかがなものかと思います。同馬のWTRRは2006年20位(121L)、2007年79位(117L)にすぎません。この年の状況を合田氏は「日本馬を含む有力馬3頭が「3強」を形成。その牙城が余りにも強固なために回避馬が続出し、歴史的少頭数となった」と評しております。私は、有力馬が集まったためにそれに準ずるものが出走を回避することは、「チャンピオン決定戦」に相応しい状況と思います。本当はここにエレクトロキューショニストもいるはずでしたが、死んでしまったものはどうしようもありません。しかしながらこの年カルティエ賞全欧チャンピオンはウィジャボードです。同馬はWTRRでは芝部門の12位に過ぎませんでした。(首位はご存知のようにディープインパクト、レイルリンク、ジョージワシントンの3頭でした。)ウィジャボードはこの年G1を3勝していますが、うち2つは牝馬限定のG1でした。
  • 2007年 WTRRは直前の骨折で凱旋門賞に出走できなかったマンデュロが首位、優勝馬のディラントーマスと、大敗したオーソライズドが同点でL部門首位、そのほか欧州勢4位のソルジャーオブフォーチュン、5位のユムゼインが出走しており、TOP5はマンデュロ以外が揃っています。そのマンデュロの主戦場はI(中距離)にあり、マンデュロの出走はかなわなかったものの、2400mの競走としては欧州馬の「ビッグネーム」は十分に揃っていました。カルティエ賞はディラントーマスが受賞しています。

当該部分の加筆をなさった方は、後日、注釈も加筆[3]されており、「ただし、凱旋門賞が「2400m戦線における欧州チャンピオン決定戦」という名目で行われるのに対し、カルティエ賞年度代表馬はすべての距離カテゴリを総括した上での欧州チャンピオンを決定することを目的としているため、この2つを比較する場合は注意が必要である。かつてほど低価値とは見なされなくなったマイル路線やスプリント路線で顕著な活躍した馬がいた場合、凱旋門賞優勝馬の年度代表馬受賞は当然困難になる。」とありまして、上記の「ヨーロッパチャンピオン決定戦などとは到底呼べない云々」部分と矛盾するようにも思います。私はこの注釈の文言は妥当な表現であると思います。いずれにしろ2005~2007年の状況は「ただのG1レース」と断言できるほど低レベルの状況ではなかったようです。以上の観点から、当該部分をひとまずコメントアウトいたします。仮に当該の表現を復帰させるのであれば、例えば過去数年にわたり、凱旋門賞と他のG1レースのレースレートを比較して、大差ないという事実をご指摘するなどの方法で傍証とすることができそうですし、それが独自研究とみなされそうであれば、もっと直接的に「最近の凱旋門賞は並のG1と変わらない」とする文献を見つけてくるのがよいかと思います。--零細系統保護協会会話2012年8月29日 (水) 10:16 (UTC)

3年前にも話がありましたが、そもそもカルティエ賞の代表馬のうち凱旋門勝ち馬は91~00で2頭、01~10で5頭です。これを根拠に地位低下を論じるのは個人的に矛盾しているように感じます。そもそも以前はヨーロッパチャンピオンとかいうなんとも抽象的な地位にあったのか、それの根拠がイマイチ分かりません。まずかつてはヨーロッパチャンピオン決定戦だったことの出典を明示した上で、地位低下についても論じるべきで、それがないならヨーロッパチャンピオンそれ自体を独自研究として削除すべきではないでしょうか?--The colonel of the lamb会話2012年8月29日 (水) 12:45 (UTC)
3年前にも話がありましたねえ。当時の自分の発言を見なおしてみると、やや言葉足らずな面があったように思います。あらためて表明するのであれば、「『近年は種牡馬の評価としてマイルや中距離の実績に価値がシフトしている』旨の論をよく見る」としたほうがより私にとっての事実に即しています。もちろんこの「よく見る」というのは統計的に本当なのか、という疑いは免れませんね。それはともかく、カルティエ賞の創設は1991年と比較的新しいわけで、それ以前の「ヨーロッパチャンピオン」、たとえばダンシングブレーヴは1986年の全欧年度代表馬、ニジンスキーは1970年の欧州年度代表馬で、これらはたぶんタイムフォームとかデイリー・レーシングとかによる権威づけです。(手元に文献資料がパッと無いのと、タイムフォームのHPで年度別のチャンピオンを書いたようなページが見つけられなかったので、正確性を欠く発言になりますが。)ウィキペディア内にも1991年以前の「全欧年度代表馬」なる表現が散見できますね。「年度代表馬」=「チャンピオン」なのか、とか、そもそもタイムフォームにどこまで権威を認めるのかとかという疑問は提起可能です。というか、(資料がないので記憶で物を言いますが)ここで言う全欧年度代表馬(Horse of the yearかな?)は、要するにその年のレイティングで一番高い点を得た馬のことで(違ってたらごめんなさい)、したがって1949年のアバーナントとアリシドンみたいに2頭がトップに並ぶなんてこともあるわけで、両方とも「1949年欧州年度代表馬」とかって書かれちゃってたりします。まあ、カルティエ賞創設以前やインターナショナルクラシフィケーションが普及する以前は、タイムフォームレイティングが一定の権威を持っていたというのは事実と思いますが(それを示す出典を用意するには少し時間がほしいですが)、実物を入手することが困難なので(私は持ってません)詳細はよくわかりません!いずれにしろ、アバーナントみたいなスプリンターが全欧チャンピオンになっているということは凱旋門賞なんか関係ないじゃないか、ということも言えるかもしれませんね。タイムフォームによる「年度代表馬」と凱旋門賞勝ち馬との間の相関関係をみれば何か言えると思ったのですが、タイムフォームの年度別リストを見つけられなかったので不可能でした。そこで、試しにパッと見つかった範囲で比較してみました。
  • YEAR - TIMEFORM - - - -L'ARC - - - - - -CARTIER AW.
  • 1991 - Generous - - - -Suave Dancer - - Arazi
  • 1992 - St.Jovite - - - Subotica - - - - User Friendly
  • 1993 - Opera House - - Urban Sea - - - -Lochsong
  • 1994 - Celtic Swing - -Carnegie - - - - Barathea
  • 1995 - Lammtarra - - - Lammtarra - - - -Ridgewood Pearl
  • 2007 - Manduro - - - - Dylan Thomas - - Dylan Thomas

これだけ見るとタイムフォームによる年度代表馬決定に凱旋門賞が決定的な役割を果たしているとはとても言えませんね。ただ、タイムフォームは概ねクラシックディスタンスの一流馬を選ぶ傾向があり、カルティエ賞はカテゴリーに関わらずG1をすごい勝ち方をしたとか、G1をいっぱい勝ったというのに引っ張られているようです。(2007年は逆転していますが。)いずれにしろこれではわずか5年分しか無いので参考になるとは言い難いですし、いわゆる独自研究以外の何物でもありませんね。「凱旋門賞はヨーロッパチャンピオンを決めるレースだ」と書いてある文献を探してくるほうが手っ取り早そうです。というわけで少し時間をください。--零細系統保護協会会話2012年8月29日 (水) 16:37 (UTC)

取り急ぎ、手元の資料から凱旋門賞の価値について言及している出典をいくつか集めてみました。
  • 「凱旋門賞はリボーにとって一応、望みうる最高クラスの顔ぶれだったといえよう」世界の名馬,p320,原田俊治著,サラブレッド血統センター,昭和45(1970)
  • 「英国のダービーや、フランスの凱旋門賞、アメリカのワシントンDCインターナショナル、イタリアのミラノ大賞典、ドイツのヨーロッパ大賞、といった大レースが、世界的な権威を持っており、それらのレースの勝ち馬は世界的な名馬として高く評価される」,名馬の血統,p17,山野浩一,昭和45(1970)
  • 「凱旋門賞は、いまや世界最高賞金レースとして不動の地位を確立し、つねに各国の超一流馬を集めている。」競馬百科,p411,日本中央競馬会,昭和51(1976)
  • 「シーバードは(中略)1965年のヨーロッパ代表馬に選ばれた。」競馬の世界史,p300,R・ロングリング著,日本中央競馬会,昭和51(1976)
  • 「シーバードが真に国際的な最高の評価を受けるに至った理由は(中略)凱旋門賞で(中略)強豪を手易く屠った実績による」世界百名馬,p191,日本中央競馬会,昭和53(1978)
  • 「ナシボフ騎手は列車の中で凱旋門賞に出したいと言い出した。農商務省の係官がそれはどういうレースかと聞くと、ナシボフ騎手はオイロパ賞やワシントンDCインターナショナルよりも強い馬の集まる現代では最も権威のあるレースだと熱心に説明した。」世界の名馬partII,p93,山野浩一,平成6(1994)
  • 「(ヴェイグリーノーブルは)凱旋門賞に本命で臨んだ。(中略)勝ち、これによって、同年ヨーロッパの年度代表馬に選ばれた。」世界百名馬,p201,日本中央競馬会,昭和53(1978)
  • 「ミルリーフは(中略)ヨーロッパ最大のレース凱旋門賞(中略)で会心の勝利をかざり(中略)ヨーロッパの年度代表馬に選ばれた」世界百名馬,p207,日本中央競馬会,昭和53(1978)
  • 「ドイツ型の選手権戦の最高権威となる凱旋門賞が誕生した(中略)しかも、凱旋門賞は創設当初から最大の国際レースとして多くの国からの出走馬を集め、凱旋門賞の勝ち馬が事実上の世界選手権馬と認められるまでになった。(中略)果たして今後も凱旋門賞が世界最高レースの地位を保てるかどうかという疑問が出てきているが、少なくとも最近までは凱旋門賞を勝つことが世界最強と考えられていたことは間違いない。」サラブレッドの誕生,p121,平成2(1990)
  • 「フランス最高のレース、凱旋門賞」サラブレッド・ビジネス,p132,ジョスリン・ド・モーブレイ,サラブレッド血統センター,平成3(1991)
  • 「世界の4歳以上の芝コースのチャンピオンを決めるレースは、(中略)凱旋門賞である。このレースで通常、ヨーロッパのホース・オブ・ザ・イヤーが決まる」クラシック馬の追求,ケン・マクリーン著,競馬通信社,平成3(1991)
  • 「The Arc has now become established as the unofficial all-aged,middle-distance championship of Europe」BEHIND THE SCENES IN HORSE RACING,p132,Charlie Hurt,1992
  • 「ヨーロッパ競馬の代名詞」「世界のホースマンの目標」「欧州競馬の総決算を飾るGI凱旋門賞」海外競馬完全読本,p40,p48,海外競馬編集部・編,平成18(2006)
  • 「このレースを制覇することが、世界の競馬人の夢。」華麗なるフランス競馬,p20,大串久美子,平成23(2011)

ひとまずは、凱旋門賞がヨーロッパどころか全世界でも最高格の競走として認知され、その優勝馬はヨーロッパチャンピオンとして認知される、という主旨は一定の出典があるようです。 特に、ある程度古い時代(昭和期)においては間違いないようです。出典のその記述が妥当かという点では疑問の余地はあるかもしれませんが、2011年の出典もあります。

次に、じゃあ「年度代表馬」「チャンピオン」って何さ、という疑問があるでしょう。上記の引用から、少なくともカルティエ賞の受賞馬のことではないようです。(カルティエ賞を持ちだしたのは3年前の私ですから、これは不見識であったというほかありません。) 例えば、サラブレッド血統センターが刊行していた「日本の種牡馬録」をみてみます。

1977年の第3巻では、ニジンスキーを「全欧年度代表馬」としていますが、アバーナント、アリシドンについてはそうした記述はありません。凡例には何を以って年度代表馬とするのか触れられていないため不明です。

1991年の第6巻では、凡例で全欧フリーハンデに拠るとされており、イルドブルボンが「全欧古馬チャンピオン」とされています。一方、イルドブルボンの父ニジンスキーについては「英年度代表馬」となり、1977年の「全欧年度代表馬」という表現から後退しています。グランディやミルリーフ、ヴェイグリーノーブルは「全欧年度代表馬」とされています。

1998年の第8巻では、国際統一フリーハンデによる(1994年以前は全欧フリーハンデ)として、ダンシングブレーヴは全欧4歳チャンピオンであり、年度代表馬ではありません。グランディ、ミルリーフ、ヴェイグリーノーブルやアレッジドは全欧年度代表馬です。ラムタラは1995年のインターナショナルクラシフィケーションでヨーロッパ馬としては最高の130ポイントなのですが「全欧4歳チャンピオン」にとどまっています。結局よくわかりません。

世間一般的な意味での「いちばんつよい」という意味での「チャンピオン」として理解することも可能ですし、もう少し厳密な「チャンピオンシップ=選手権」と捉えることも可能です。チャンピオンシップとみなす場合にも、凱旋門賞の勝利それ自体がチャンピオンシップであると解釈することもできますし、凱旋門賞の勝利によって高いレート(フリーハンデ)を算出された結果チャンピオンシップを獲得するとも考えられます。 このチャンピオンシップを獲得した馬をヨーロッパ(より正確には、ヨーロッパの専門誌)では「Horse of the year(年度代表馬)」としてきたようです。一方、エクリプス賞やカルティエ賞、JRA賞でいう「年度代表馬」は性格が異なっており、乱暴に言うと人気投票です。このことを端的に表した次の文章を引用しておきます。 「フリーハンデがイギリス競馬の大発明で、アウスグライヒがドイツ人の大発明であると同じように、年度代表馬の選定こそ、アメリカ競馬の最大の発明であった」アーバンダート百科,p146,山野浩一,平成15(2003) つまり、カルティエ賞を「チャンピオンシップ」であるとするのは間違いだということですね。であるならば、凱旋門賞がチャンピオン決定戦であったとしても、年度代表馬決定戦ではない、と言うことができます。

ところで、「(短)中距離重視の傾向」に関して、山野浩一は1994年にこう述べています。「世界競馬が短距離化に向かう傾向にあるといっても、短距離レースが世界的に大きな人気を獲得しているというわけではない。(中略)アバイユ・ド・ロンシャン賞G1などは凱旋門賞の前座として向正面の直線でいつのまにか行われていて、競馬場にいても終わったのに気づかないことがあるほどだ。(中略)サセックスSG1やムーラン・ド・ロンシャン賞G1が、キングジョージVI&クインエリザベスSG1や凱旋門賞よりも重要なレースになることは考えられないし、2000ギニーG1は多くの馬にとってダービーG1へのステップレースでしかない。」 1997年には「実質的に短中距離馬(※1400-1900)の距離区分が最も幅広いのは、この距離が現代競馬の基準距離となっているからであろう。ただ、世界のどこでも1600メートルのG1レースは数多く行われながら、それが最も重要なレースになっている競馬国はどこにもない。」 一方、2006年の「海外競馬完全読本」にはこうあります。「愛ダービーだけでなく、クラシックディスタンスの重要性は価値観の多様化によって相対的に薄れて言っているようだ」(p28)、「ヨーロッパ古馬戦線で最もレベルの高い争いを繰り広げるのがマイル(1600m)、中距離(2000m)、中長距離(2400m)の3路線」「近年、最も注目を集めつ中距離路線は、マイル路線、中長距離路線からも一流馬が集まり、間違いなくヨーロッパ最高レベルの馬がそろっている」(p38) 発言者の競馬観も違うでしょうし、時期も10年の差があるのでどちらかを取り出してどうこう言うのはフェアではない気がします。ただ、もっと長いスパンで見れば、かつては4000メートル、6000メートル級の競走が「チャンピオン決定戦」であったわけで、100年とか200年の目で見れば短距離化の傾向は明らかでしょう。ただ、4800mから2400mに中心がシフトしたからといってそれを「短距離重視」と表現するのは不適切でしょうね。いまの時代に「短距離」と言えば1200mか、広義にマイル戦を含めても1600mぐらいまででしょうから。 とにかく、上の出典を探す中で、凱旋門賞の「地位低下」を直接言及するようなものは見いだせませんでした。 一般論としては、「サラブレッド・ビジネス」で次のように記されています。「ヨーロッパでは、第一次世界大戦から第二次世界大戦までは、もっとも競争の激しいレースは1 1/2マイル以上の距離で行われていたが、1970年代になると、スピードがあって、かつ早熟な馬に、より多額の賞金を出す新しいパターンが定着した。ただし、ひと握りの最高クラスのレースは依然として1 1/2マイルで行われている。アメリカでも、競争のいちばん熾烈なクラシック、ケンタッキー・ダービーは、いまも昔と同じダートの1 1/4マイルで行われているが、競馬全体はやはりスピード化していった。」(p118) これによれば、競馬界全体としては距離短縮・早熟にシフトしつつも、頂点のレース(凱旋門賞がまさにそうでしょう)は不変であるということになります。同書のp170~175ではサラブレッド市場におけるヒエラルキーを説明していますが、それによると短距離馬(スプリンター)が底辺で、その上にステイヤー(1 1/2マイル向きの馬)、その上に「7~10ハロンで好成績をあげるであろうとみられる馬」、そして一番上のエリート・クラスを「7~10ハロン向きの階層に属するようでいて、ヨーロッパの1 1/2マイルの大レースにも勝てる力のありそうなタイプ」としています。

こうした出典を元に、あらためて本文を見直すと、「近年の世界の趨勢としてマイル戦や中距離戦(概ね1600mから2000m前後)、アメリカ合衆国のダート戦などが重視される傾向があり」というには根拠が薄いようです。もう少し控えめに、「(短距離・ダート戦の)価値が認められるようになり」ぐらいかもしれません。また一部の期待馬が出走をしないことについては、「賞金獲得や適性を示して種牡馬価値を高めるなどのため、一部の陣営が芝の長距離戦である凱旋門賞を回避することがある。」ではなく、実際には「最強クラスが集まる凱旋門賞では勝てないので、もうちょっと層の薄い短中距離のレースに逃げる回避するものもいる」と解釈することもできそうです。 結論ですが、「短中距離戦が世界の趨勢」「一流馬は中距離重視のため凱旋門賞より別のレースを選ぶ」という主旨の論調はしばしば目にするような気がするものの、実際問題としては今のところそういう出典はなく、むしろそれに反する出典が出てきており、現在の本文が適当とは言い難いようです。競馬ブックとかの読者投稿を根気よく当たれば、天皇賞や菊花賞などの「距離短縮論」に、「世界の趨勢は云々」という“出典”を見いだせるんじゃないかと予想しますが、私としてはそこまでして本記述にこだわることはなく、そうした出典探しは、こうした記述を残したい方がされればよいと思います。ということで、ここらへんの記述についてバサッとされることには反対しません。--零細系統保護協会会話2012年8月29日 (水) 20:29 (UTC)

山野浩一出典ですか…微妙な…と言っては失礼ですが…零細系統保護協会さんがどちらにお住まいかは存じませんが、私自身もそうですがおよそ外国人が権威やレベルなどを論じるのは不正確になりがちです。以前ゴールドカップで権威やレベルの低下などの記述をバッサリ削除したことがあるのですが、あのレースも各国から優秀な長距離馬が揃いますし、王室開催のメーンレースで女王自ら授賞式を執り行います。何を根拠に権威の低下を論じるのかという問題があります。レーティング根拠もいいのですが、あれは馬単位の評価ですから、どの競走で最も高い評価が得られたかはその馬によって違います。レースレーティングが最も高いというのも距離カテゴリの横断的評価になるとそもそも性質上どうなのというか…距離別の優秀馬決定戦のような評価は構わないと思いますが、これをクロスオーバーな評価にすると途端に難易度が上がってしまうので、あまりそのことについて断定であれ曖昧であれ記述するのはどうなのかなという気がします。イギリスもそうですしフランスはそれ以上に2400mを超える下級条件レースが相当数ありますし、2マイル以上も珍しくありません。逆に戦前のアメリカなど9割以上が7F以下です。平均距離はむしろ伸びましたね。愛チャンピオンステークスなども優秀馬が揃いますが、観客数や馬券売上も大レースかというとどうなの?みたいなものがあります。リンカーン、チェスター、イボアなんかの方が、考え方によっては権威があると評価することもできますし、できないかもしれません。要するに、凱旋門は中長距離の最強馬決定戦であるという程度に収めておくべきかなと。出典があるのですから、「日本では山野浩一などによって欧州のホースマンの最大目標であると信じられている」という記述をするのは問題ないですが。それ以上に美称したり卑下するような評価は必要ないと思います。--The colonel of the lamb会話2012年8月30日 (木) 04:12 (UTC)
(追記)カルティエ賞以前の年度代表馬は欧州三冠などと同様に日本の一部の識者が勝手に呼んでるだけじゃないのかなーと疑問があるんですよね。昔の優駿を調べても私の見た範囲で欧州で○○が年度代表馬に選ばれたなんて記事は見かけませんでした。現地でもある種の美辞でそのように呼ぶことはあるようですが、これも何処の誰がなにを根拠に選出したかについては??みたいな。--The colonel of the lamb会話2012年8月30日 (木) 05:14 (UTC)
(訂正)英語版のAllegedの項目を見ると、タイムフォームのレーティングに言及されてますね。ということは独自概念ではなさそうです。すみません。しかしShergarはタイムフォームレーティングと別にEuropean Horse of the Yearがあり、AllegedはTop-rated European horse (1977, 1978)とTimeform top-rated horse (1977, 1978)になっていて、Nijinskyでみると、イギリスでは40票中38票で代表馬に選出されたと。とりあえず、レーティング最上位馬が年度代表馬ということでいいようですが、なんというかレーティングだと年度代表というのとちょっと違う気が…牝馬どうするのとか…とりとめのない話ですみません。ともかく日本の文献の年度代表とか4歳代表とかの細かな表記の違いはあんまり気にしないでいいかもしれません。あとはレーティングで昔の方が凱旋門賞馬が最上位にいることが多いかどうかで記述できるかが分かれるということでしょうかね。--The colonel of the lamb会話2012年8月30日 (木) 08:49 (UTC)
山野氏は発言が先鋭的というか進歩的というか極端になる傾向があるとは思いますが、この業界の中では幅広い見識があり、それなりの地位と権威がある方だなあと、それに比べると合田氏は穏健な物言いをする方だなぁと思っていまして、まあお二方ともスポーツ新聞の記事とかよりは遥かに信頼感があるかなぁと。The colonel of the lambさんの「山野浩一などによって~信じられている」というのはエスプリが効いてるなぁと(苦笑)。いちおう、山野氏以外の出典もそれなりにあげたので、「日本では欧州最大・世界最高峰のレースとして紹介されてきた」ぐらい言っても罰は当たらないかなぁと。…ですが、ここ、「海外での評価」節なんですね!上にあげた出典の中には外国人による著作品複数ありますし、「ナシボフ騎手は~」はソ連のアニリンの騎手の発言として紹介されている(山野氏によるものですけどね)もので、これらをもって「海外での評価」だと言い張れないこともないかなとも思いますが、でも日本語文献でしょという後ろめたさはありますね(苦笑)。英語版のチェックありがとうございます。やっぱりタイムフォームなのかなあ。タイムフォーム年鑑を一度入手してみたい気はするのですが、「わがタイムフォームでは●年からヨーロッパチャンピオンを選んできた」みたいな文がサクッと書いてるとは思えないですしね。ニジンスキーを見ますと「Timeform's Horse of the Year」であり、投票で選ばれたのは「British Horse of the Year by the Racecourse Association」であり、山野氏の引用に準拠すると、英国年度代表馬は投票によるもので、タイムフォームの年度代表馬はレートに基づくチャンピオンだということになるのでしょうか。話が逸れて行ってしまいますが「年度代表馬」という概念と「チャンピオン」という概念は切り離して考えたほうがいいんでしょうね。例えば日本で、Aという馬が2月にドバイWCで凱旋門賞馬とBCターフの勝ち馬をちぎって優勝し史上最高のレートを得てそのまま引退、その後Bという牝馬が国内馬だけを相手に桜花賞と皐月賞とオークスと日本ダービーと秋華賞と菊花賞を勝ったら、きっとBは年度代表馬にはなるけれどチャンピオンとは思われないでしょう。ところで英語版といえば、凱旋門賞は「it is one of Europe's most prestigious horse races. Its roll of honour features many highly acclaimed horses, and its winners are often subsequently regarded as champions」とあり、これこそまさに「海外での評価」なのでしょう。「one of~most prestigious」の部分が唯一最高ではない事を示唆しているようですし、最後の「チャンピオン」が複数形なのが気になります。(他国語版を出典とする気はないですが。)--零細系統保護協会会話2012年8月30日 (木) 13:04 (UTC)

(インデント戻します)実務的な話に戻りますと、「海外での評価」1段落目の「ヨーロッパ年度代表馬に選出されたのは5回と必ずしもその年の「ヨーロッパチャンピオン決定戦」と見なされるとは限らない」という(私が加筆した)部分は年度代表馬≠チャンピオンであれば適切ではない一文ですね。2段落目もよく読むと「凱旋門賞の海外での評価」ではない気がします。注釈にまわっている回避馬のうち、少なくともエレクトロキューショニストはレース前に死んじゃったわけですから回避も何もないでしょう。ファルブラヴなんかは前年に凱旋門賞で大敗し、翌年はマイル路線に行ったと思ったらBCターフに挑んで負けてみたり、ここではまるで「凱旋門賞出ても勝てるけどあっちの方が評価が高いから凱旋門賞は出ないよ」と言って別路線へ進んだみたいな文脈になってますが、実際には「凱旋門賞に出ても勝てないからあっちに行こう」だったのかもしれませんし、その時その時に個々の馬にとって最適とおもわれる選択をしただけにすぎないのかもしれません。いずれにしろ裏は取れないですしね。3段落目の賞金の増額の件は「海外の評価」ではなく、解説の賞金に関する記述に移動するべきでしょう。また次の「馬券の売り上げ」節はなぜここに節を分けてまで挿入されているのかよくわからない気がします。解説と言うよりはトリビアに近い話題かなあと。(馬券の売上が落ちているんだからレースの重要性も落ちているんだとでも言いたいのでしょうかねえ。)

また、前の「傾向」節の2段落目は馬場に関する情報なのですが、これも「凱旋門賞の傾向」とは違うのではないかと。むしろ中ほどの「イギリスのクラシックレースやキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制覇した馬の最後の難関とされている。」は「海外での評価」にあたりそうです。(この一文の真贋は別問題ですが。)「ニューアプローチが回避した」という一文は不要でしょう。それにしても3年前も気にしながら放置したのですが「硬い」だの「重い」だの「言われている」だの、「少なくない」だの、「でも日本やイタリアより重い」だの、も少しカチッとしたいですね。

さて、「海外の評価」というよりは「変遷」とか「歴史」の部類と思いますが、かつて世界最高賞金だったこと、そして競馬シーズン最後に行われていたこと、その後にBCやジャパンカップやドバイWCなどができて賞金面では最高峰とは言えなくなったり、シーズン最後ではなくなったこと、2011年にチャンピオンSにテコ入れがあって競合していることなんかも言及してもいいかもしれません。ただしチャンピオンSの件は去年の話ですから、テコ入れの結果どうしたこうしたという話をするのは時期尚早すぎるでしょうし、「後発の似たようなレースが増えてきたこと」と「地位の低下」を安易に結び付けないようにしたいです。

PJでぬるぽんさんがやっている「関連項目の競走の整理」にも関わりますが、関連項目にはワシントンDCインターナショナルは加えたいですね。逆に、香港カップとか愛チャンピオンSなんかはどうかなあ。「世界各地の最強馬決定戦の一覧」になりかけている気がします。--零細系統保護協会会話2012年8月30日 (木) 14:44 (UTC)

原田俊治や山野浩一は基本的に日本の書斎から海外競馬を論じてきた方々ですからね。これを出典とすると原則孫引きにならざるを得ません。私自身同時代的資料以外にほとんど存在しないマイナーな分野をやってきたこともありますが、数字に基づかない外部評価がたまにあってもほとんど的はずれな気がして仕方がないんです。昭和12年から13年に日本競馬会報の海外競馬資料を読みましたが英クラシックとゴールドカップ、グランドナショナル、仏ではジョッキークラブ賞とパリ大賞の記事はありましたが、凱旋門の記事はなかったです。最高賞金もパリ大賞となってました。馬記事の場合は最強馬云々もある程度信憑性があるんですが、これが競走記事となると美辞麗句で埋めつくされるか独断的批判かでなかなか客観評価が難しいです。4日目の日本ダービーより最終日の優勝戦の方が観客も売上も上じゃないかとか、函館や宮崎は京都の10分の1の観客数で売上は20分の1しかないとか。数字資料以外で理解するのは難しい問題です。凱旋門賞は比較的歴史のない競走ですし、創設当初からそこまで大レースだったかは疑わしいものがあります。
競走の評価は「チャンピオン決定戦」であるかと「権威のある競走」であるかの2種類があります。権威があってもチャンピオン決定戦、つまりは定量でもなく出走馬レベルが高いともいえない競走などいくらでもありますからね。逆もまた然りです。チャンピオン決定戦ならレースレーティングの高さや年度代表馬の確率、権威なら観客動員数や馬券売上の指標がありますが、そのあたりが明確に分からないなら外国人がどうのこうのいう問題じゃないのかなと思います。さらに時代によって上下動が激しいのもありますからいつの時代に比べて今のレベルが云々としないと正確にはなりにくいです。middle-distance championship of Europeとかone of~most prestigiousとか横文字の資料がそのようになってるなら「中長距離の最強馬決定戦である」とか「欧州競馬の大レースの一つである」程度にとどめておいて「欧州最大・世界最高峰のレース」とか「地位が低下している」とか突っ込んだ評価はやめましょうよと、そういうことです。--The colonel of the lamb会話2012年8月30日 (木) 16:22 (UTC)
私も「日本の書斎」にいるタイプなので、まあ、アレですね。おっしゃることはよくわかります。よく言われていることについて、実際に当時の資料や地元の資料にあたってみると、全然そんなこと書いてない、というのは競馬にかぎらずどこにでもあるのでしょう。本件は私が勝手に一人で暴走した感はありますが、いずれにせよ「海外での評価」という節に書けることがあるとしたら、現状での出典を見るに、おっしゃるとおり「中長距離の最強馬決定戦である」とか「欧州競馬の大レースの一つである」程度なんでしょうね。本件に限りませんが、「事実」はある程度容易に書けても「評価」となると難しくなりますね。もちろん「事実」も、事柄の採用の仕方で印象はどうにでもなるものでしょう。たとえばここで中立的な「事実」を装って“山野浩一は凱旋門賞を世界チャンピオンを決める競走だと世界中が認めていると述べた”と書くことは可能でしょう。しかしまあそういうのはフェアではないし、新たな問題の種を蒔くに等しいので、やめておきましょう。まあ眺めているうちにあちこち色々気になるところが出てきまして、近日中に全体にガサっと手を入れるつもりです。その際はまたご意見をいただきたいです。本件にかぎらず、私は競走記事の「概要」に全体的に不満がありまして、ちょうどPJでもぬるぽんさんがその件についてお話を進めてらっしゃるので(プロジェクト‐ノート:競馬#競走記事の整理提案)、実例として本件はとても勉強になりました。--零細系統保護協会会話2012年8月31日 (金) 11:15 (UTC)
(追記)コロネーションには「この頃、ブサックは凱旋門賞を世界最大のレースにするために各方面に働きかけており、凱旋門賞の賞金を大幅に増額させることに成功していた。」とあり、少なくともある時点においては世界最大のレースではなかったことを示唆していますね。(まあ、当該記事の出典はまたしても山野さんなわけですが)--零細系統保護協会会話2012年8月31日 (金) 11:27 (UTC)

距離表記

フランスはメートル表記じゃないのですか?--Goki 2008年10月7日 (火) 04:48 (UTC)

Goki氏の編集の通りメートルが正しい。小生も以前にこういう編集をしました。--クモハモハ大王 2008年10月7日 (火) 12:04 (UTC)

様々な加筆と出典のない内容の吟味について

大きな加筆を行いました。結果的にオルフェーブル出走直前のタイミングになってしまいました。別にそう狙ったわけではなく、以前から内容の精査と加筆に取り組んでいたものなんですが、オルフェーブルの結果次第で、大幅な加筆などがあった場合に、完成しつつある原稿がかなり使えなくなることを恐れて滑り込みで投稿したらこのタイミングなってしまいました。

下記の様々な記述を出典を基に検討、整理しました。結果的には大半が除去、コメントアウト、脚注化となりました。これらのうちいくつかの部分の骨格は、そもそも数年前に私が加筆したものであり、その後肉付けしていただいた方には申し訳ないと思います。

「3歳有利説」

大半がコメントアウトや脚注化されていましたが、次のような記述がありました。

  • (1)2011年までの90回中、地元の3歳馬の優勝が43回とほぼ半数を占めており近年に限っても1992年より2011年までの20年間に10勝を挙げているようにフランス調教の3歳馬が優位となっている
  • (2)(コメントアウト)近年は調教技術の進歩により3歳馬の本格化が早まり秋になれば古馬との力量差はほぼなくなるようになって来ているため、日本のレースにおける3kg差ですら3歳有利だと言う声が多い(「3kgでは古馬との差は埋まらない」などと言われた時代もあったのだが)。したがって、古馬と3歳馬の斤量差がさらに0.5kg大きい凱旋門賞が3歳馬にとって非常に有利な条件である事は言うまでもない(しかもロンシャンは芝が重い上にアップダウンの激しいコース設計の為、より斤量の差が出やすい)。実際のレース結果においてもこの傾向は顕著に現れており、
  • (3)(コメントアウト)3歳時に同レースで優勝し翌年に連覇を狙って出走するも3歳馬に負けてしまう馬も少なからず存在している。
  • (4)(脚注)エルコンドルパサーが2着に敗れた際には地元メディアから「2頭チャンピオンが存在した」と評価され、ディープインパクトが3着に敗れた(後に失格)際に馬主金子真人が同レースを3歳馬のスターをつくるためのレースであると発言した。
  • (5)(コメントアウト)これは余談だが、こうした状況を踏まえ近年では世界的に3歳馬と古馬との重量差を考え直そうとする動きが広がりつつある。

(※これらのJRISのページは、日本の深夜時間帯は繋がりにくいか全く繋がらなくなります。)

まず、(6-1)は「活躍した3歳馬がすぐに引退してしまってつまらない。古馬になってもG1戦線に出てきて欲しい。そのためには古馬と3歳馬の負担重量の差を取っ払ってはどうだろう。」という、レーシングポスト紙の記者Donn McCleanの個人的な提案記事です。(2)(3)(4)には全く言及されていませんし、(5)についてもどう考えても「世界的に動きが広がっている」といえるものではありません。 (6-2)も同様にDonn McCleanの個人的な提案記事です。彼はこの記事の中で3歳馬が勝つことが多い理由と思われるものを3つあげています。一つ目は、最も有力なグループは3歳で引退してしまうということ。二つ目は、3歳の時に凱旋門賞を勝った馬が古馬になってもう一度凱旋門賞を勝つのはだるい(原文は「1年後にもう1度繰り返す気にはならない」)ということ。三つ目に負担重量の話が出てきますが、彼は負担重量の件は「一般的にあまり議論を呼んでいない」と明言しています。つまり、この記事も(5)の出典として不適切と言うよりは、むしろ(5)とは真逆のことを言ってすらいます。

以上のから(5)は出典がないため削除します。

(4)については「誰々がこう言った」という話ですので、その出典があれば記述してもいいと思います。

(3)は一見単なる事実を書いているようですが、3歳有利説の文脈に置くことで「実際に勝つ力があったのに負担重量が不当に重いせいで勝てなかった」ということを言わんとしているようです。しかし見方を変えると、古馬でも勝つ馬がいるわけで、Aという馬が3歳の時に勝てて4歳の時に勝てなかったのは、「単に3歳の時には重量に恵まれただけで実際には勝つ力のない弱い馬である。その証拠に4歳になって負けている。」と見ることも可能です。おそらく実際に個別に各馬の事情を細かくみていくと、単に負担重量の問題だけで連覇できなかったと言うよりはそれぞれに色々な事情の積み重ねの結果連覇できなかったのであり、単に連覇できなかった事をもってして負担重量がおかしいと言うのは論理の飛躍です。以上によりこの文についても削除とします。例えば万全の体制で連覇に挑んで敗れた陣営が「負担重量のせいで負けました」と明言した事例が出典付きでいくつもあがってくるのであれば記述可能かなあと思います。

(2)は出典が全くありません。「調教技術の進歩で」「3歳も古馬と力量差はない」「日本の3キロさでさえ3歳有利との声が多い」「凱旋門賞の斤量が3歳有利なのは言うまでもない」「ロンシャンは高低差があり斤量の差が出やすい」などと書いてありますが、いずれにも全く根拠がありません。そもそも、この斤量設定は凱旋門賞固有のものではなく、ヨーロッパ競馬で伝統的に(ラウス提督が定めて以来)広く使われているものであり、もしこの斤量設定が3歳にとって不当に有利であるというのであれば、ヨーロッパ中の競馬で3歳馬が古馬に勝ちまくることになるはずですが、そうなっていません。これらの理由により、(2)についても全文を除去します。

ところで、ちょっとグーグルで検索すればすぐに分かることですが、少なく見積もっても日本のネット界には「凱旋門賞は斤量のせいで3歳有利だ」とする言説が実在することは否定できません。こうした主張を記述すること自体は、適切な出典を用意すれば「◯◯では××という指摘がある」という形で可能と思います。実際のところ、おそらく凱旋門賞の前後にスポーツ新聞や競馬雑誌なんかを目を皿のようにして見ていれば、こうした趣旨の発言を見出すことはそんなに難しいことではないだろうと思います。

実は、私もちょっとだけ探してみました。

JRA-VANの記事であればボチボチの出典になりうるかなあと思ったのですが、実は本文をよく読むと今ひとつ筋が通りません。本文を引用すると次のとおりです。

好ステップと言えるのが先に述べたロンシャンの芝2400mで行われるレース。中でも近年はニエル賞が断トツの好相性。過去10年、同年のニエル賞の連対馬(主に優勝馬だが)が7勝と圧倒的な強さを誇っている。直前に全く同じコースのレースを経験できるというだけで大きなアドバンテージだが、この要因は負担斤量によるところが大きい。凱旋門賞の負担斤量は3歳牡馬が56キロ、3歳牝馬が54.5キロ、4歳以上の牡馬は59.5キロ、4歳以上の牝馬は58キロ。3歳馬と古馬の斤量差が実に3.5キロあるのだ。レースの施行時期がまだ10月の頭とはいえ、この差はいかにも大きい。10月末に行われる日本の天皇賞(秋)での3歳馬と古馬の斤量差は2キロだ。

ここではニエル賞組が好走する理由として直前に同じコースを経験できることを指摘した上で「この要因は負担重量による」と続けていまして、ニエル賞の話をしているのか負担重量の話なのかよくわかりません。このため、「斤量による3歳有利説」の出典としては不適当と判断しました。

いずれにせよ私個人は「斤量による3歳有利説」には積極的な関心がないので、この件について一生懸命出典探しをする気はありません。この説について記述をしたい方が出典を探せばよいと思います。なお、この件についていろいろ探しているうちに、「有力馬は3歳で引退してしまう」説の例となるものを発見したので、ここに付しておきます。ジェネラス、凱旋門賞で引退 (ジェネラスのオーナー)サルマン殿下は、(中略)もし凱旋門賞を勝てば、来年以降目標となるレースがなくなり、負けても凱旋門賞だけのために1年を送る時間的なロスを考慮した- 週刊競馬ブック 1991年8月5日号p66

大幅加筆お疲れ様です。斤量なんですが、日本では2003年以降2000超のレースは古馬3歳馬の斤量差が3kgになっています。出典はまあJRA公式の成績公報によるとしか言えませんが…。で、2000mについては日仏両方2kg差です。日本での言説はおよそ天皇賞との距離差と、2002年までは2000超でも2kg差だったことからくる誤解が原因かと思います。これについては上記の出典を逆に引用する形にすれば、記述も可能かと思いますが、私自身が中途半端に加筆してせっかくの記事のレイアウトを崩すのもなんなので、これを採用するかどうかはお任せします。--The colonel of the lamb会話2012年10月7日 (日) 12:56 (UTC)

馬券の売り上げに関する記述

次のような一文がありました。

長引く不況の影響からか2010年におけるフランス国内における売り上げは低迷し、インターネットを通じた香港からの馬券購入によって助けられかろうじて収益を維持している状態である。 出典 http://www.jairs.jp/contents/newsprot/2010/45/1.html

まず、この出典にはヨーロッパ全体の経済状況により馬券の売り上げが低迷していることが書かれており、パリのほか「エプソム、アスコット、ワレヘムおよびクラオンの各競馬場においても、重要な開催日程における傾向は似通ったものであった。」となっています。特に凱旋門賞に限定した話ではありません。

その上でこの年の凱旋門賞については「今シーズンは初めから優勝すると目される馬は存在しなかった。2010年凱旋門賞では確実性のある突出した馬がなかったために、カンテプリュス(Quinte+ 5連単・5連複馬券)を当てれば300万ユーロ(3億6,000万円)のキャリーオーバーを獲得することができたものの、賭事客は慎重だった。」とありまして、売上が低迷した原因として突出馬の不在を指摘しているだけです。

香港の売上によって「かろうじて収益を維持している状態」などとは全く書いていません。そもそも凱旋門賞にはスポンサーがいるのです。

以上により、この記述とその出典が不適切なため、記述を除去しました。


馬場が硬すぎる説

以下のような記述がありました。

(1)近年のフランス競馬の高速化に伴い好時計で優勝する事が相次いでいるが、一方で硬すぎる馬場に対する批判も少なくない。

(2)フランスの馬場はイギリスの競馬場の馬場に比べると硬く、イギリスの競馬よりスピードが必要であるといわれている。

(3)そのため、イギリスのクラシックレースキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制覇した馬の最後の難関とされている。

(4)近年ダービーステークス優勝馬のニューアプローチも凱旋門賞を回避している。

(5)しかし硬いとは言っても日本やアメリカ、イタリアなどの馬場に比べればかなり重い馬場である。

(6)(脚注)一般に芝の種類や刈り方、水分含有量等により馬場の状態は変化するがその基準は各国まちまちである。


(1)から(6)について、出典は一切ありませんでした。 (1)(2)(3)は「少なくない」「いわれている」「されている」とする出典が必要と思います。 (4)は単なる事実ですが、回避の理由が「馬場が硬すぎる」ことを示さなければ、ここに挿入すべき事例としては不適切です。 (5)は、(1)から(3)で述べていることと矛盾があります。仮に(1)が真実だとして、イギリスやフランスの競走馬がイタリアやアメリカや日本に遠征している事実に鑑みると、批判が出るほと硬すぎるフランスの馬場よりもさらに硬い日本・アメリカ・イタリアに遠征して実績を残している馬がいることを説明できません。 (6)は単なる中立的な説明です。出典はありませんが不適切な文とは思いません。

一般に「重い」と対をなす語は「軽い」であり、「硬い」ではありません。もちろん競馬に関心を持っていれば、馬場を軽いとか思いとか硬いとか柔らかいと表現する事があることは知っているでしょうし、多少ヨーロッパ競馬に関心をもつと、ヨーロッパでは芝コースの状態を「硬さ・柔らかさ」「重さ・軽さ」を意味する語で表現する事も知っているでしょう。しかしながら、そうした説明もなく重いとか硬いと言われても、普通はよくわかりません。

そもそも「高速」「好時計」は馬場状態以前にコース形態に大きく依存しています。日本のように、どこの競馬場も概ね似たようなコースであれば、時計の比較もあるていどの合理性を持って行うことが可能ですが、イギリスやフランスの競馬場はコースの形状や高低差がほとんど全部バラバラであり、単に勝ちタイムが早いことを馬場の「硬さ」に直結させるのは無理があります。もちろん、「時計が速いのは馬場が硬いからだ」とする出典をもってくれば話は別です。

なお、私の方では「馬場の重さ/軽さ」を時計の根拠とすることを否定する趣旨の出典をここに記しておきます。

凱旋門賞が行われるロンシャンは、日本の馬場に比べれば圧倒的に時計がかかるんですけど、実は絶対瞬発力がないと勝てない競馬場なんです。前半に10mの上り坂があり、ヨーロッパ競馬の特徴で全体のペースが遅いことが時計のかかる要因なんですが、(以下略)」週刊競馬ブック 2011年11月27日号 ジャパンカップ特別対談より(上記コメントの話者は平松さとし)

ここでは時計がかかる要因を馬場ではなく「全体のペースが遅いこと」としています。まあ対談の中でもコメントですからそれほど価値の高い出典とは言い難いですけどね。

以上により、出典がない現段階としては上記(1)から(6)の記述を除去します。記述を戻したいと思う方には、出典を付すことをお願いします。


凱旋門賞と年度代表馬

(1)2000年から2009年までの10年間のうち凱旋門賞優勝馬がヨーロッパ年度代表馬に選出されたのは5回と必ずしもその年の「ヨーロッパチャンピオン決定戦」と見なされるとは限らないが、他の競走と比較してその機会は多い。

(2)(脚注)ただし、凱旋門賞が「2400m戦線における欧州チャンピオン決定戦」という名目で行われるのに対し、カルティエ賞年度代表馬はすべての距離カテゴリを総括した上での欧州チャンピオンを決定することを目的としているため、この2つを比較する場合は注意が必要である。かつてほど低価値とは見なされなくなったマイル路線やスプリント路線で顕著な活躍した馬がいた場合、凱旋門賞優勝馬の年度代表馬受賞は当然困難になる。

(3)(脚注)カルティエ賞創設以来20年間では凱旋門賞優勝馬が年度代表馬になったのは7頭。

この件については先行するノートの議論を参照していただきたいのですが、「年度代表馬」はカルティエ賞の創設以前から存在していましたが、その詳細な内容や権威は現段階では不明です。

上で引用した『クラシック馬の追求』では「凱旋門賞で年度代表馬が決まる」と明言しているのですが、この本が出版された1991年にカルティエ賞が創設されたのであり、この出典が示す「年度代表馬」とはカルティエ賞年度代表馬のことではないことは明らかです。

カルティエ賞に関しては、7頭/20年という数字は、一般論として「割合が高い」といえるほどの数字ではないように思いますし、反対に、他の諸競走と比較した場合はこれでも年度代表馬を多く出しているともいえます。

結局のところ、それなりの出典をもって両者の関連について言及するには、現段階では材料不足と思います。このため凱旋門賞とカルティエ賞の関連についての言及はひとまず除去といたしました。

凱旋門賞と世界の趨勢

(1)近年の世界の趨勢としてマイル戦や中距離戦(概ね1600mから2000m前後)、アメリカ合衆国のダート戦などが重視される傾向があり、賞金獲得や適性を示して種牡馬価値を高めるなどのため、一部の陣営が芝の長距離戦である凱旋門賞を回避することがある。

(2)(脚注)岡部幸雄も2008年の天皇賞・秋の解説で、「いまの世界では、(2000mのレースが)いちばん重要視されているレースなんですよね」と語っている。

(3)(脚注)古くから、イギリスの2000ギニー1000ギニーの出走馬はそのままダービーオークスへの出走を目指すのが当たり前とされてきた。しかし現在では2000ギニーや1000ギニーの優勝馬でさえも二冠を目指さず生涯マイル路線へ進む例が増えている。このことも、マイル戦の価値が上がっていることの一つの裏付けである。なお、イギリスクラシック二冠を達成する馬は通常マイル路線ではなく中距離路線を進むが、このことは現在でも変わっておらず、ニューアプローチシーザスターズもその傾向に沿う。

(4)(脚注)ガリレオアラムシャーファルブラヴスラマニネイエフエレクトロキューショニストなど。イギリスのチャンピオンステークスや、アメリカのブリーダーズカップへ向かうことがあった。

(5)(脚注)北米のサラブレッド生産規模は欧州に比べてはるかに大きく、したがって北米における種牡馬需要は欧州におけるそれよりも何倍も大きい。欧州馬が北米で種牡馬入りする際は北米のダートに実績があるほうが有利である。


(6)(コメントアウト)出走馬のレベル低下が顕著で、20052007年に至ってはサーパーシーなどヨーロッパにおいて名を馳せていたビッグネームがことごとく出走を回避しヨーロッパチャンピオン決定戦などとは到底呼べない「ただのG1レース」と呼ぶべき有様となってしまった。(出典)http://www.jra.go.jp/topics/column/kaigai2007/29.html

この件についても先行のノート参照。(6)以外には出典はないし、その(6)で示された出典には、ここで述べられているような話は全く出てきません。

(2)は出典がありませんが、テレビ番組内での発言それ自体が出典だとみなしたとしても、ここで言われているのは(2000メートルの)秋の天皇賞に際して2000メートルの競走の価値について言及したものであり、2400メートルの凱旋門賞について言及したものではありません。(岡部さんがこの発言に続けて、「だからジャパンカップや凱旋門賞はもう価値がないんだよ、」と発言したというのならともかく。)したがって、本項で出典とするには不適切です。

(3)の後段や(4)ではいくつもの馬の名前が例としてあげられていますが、これらは単に凱旋門賞に出なかった馬にすぎません。凱旋門賞に出た一流馬の名前をこれより多く挙げることは容易ですし、そもそも、これらの馬が「凱旋門賞は勝てるけど価値が低いから、あえてもっと価値の高い距離の短いレースに出ます」と言って別路線に進んだことが示せない限り、「凱旋門賞は強い馬がいっぱいいてとてもかなわないから、弱そうな馬しかいない短い距離のレースに出るよ」との思惑で凱旋門賞から逃げ出したのだとみなすことも可能です。既に指摘しましたが、ブリーダーズカップ・ターフには「欧米の二流馬がやってきて勝ってしまう」という趣旨の記述もあり、凱旋門賞よりブリーダーズカップを選んだから凱旋門賞の価値が低いのだ、とは言えません。というか、12ハロンのブリーダーズカップ・ターフに行ったのでは「種牡馬価値を高めるため芝の長距離戦を避けた」ことにはなりません。

上に引用したいくつかの出典は、(1)や(3)を真っ向から否定する内容(「2000ギニーはダービーのステップレースにすぎない」)のものと、ある程度裏付けるもの(「クラシックディスタンスの重要性は価値観の多様化によって相対的に薄れていっている」)とがあります。しかし、一般論として、競馬全体が距離短縮の傾向にあること、昔は価値が低いとみなされていた短距離競走の価値が向上していること、様々な高額賞金競走の創設により選択肢が増えたこと、などは言えるとしても、直接的に「凱旋門賞の価値が下がった(あるいは上がった)」と言及する出典は今のところありません。むしろ「世界の趨勢が距離短縮にあるとはいえ凱旋門賞の価値は相変わらず高いままである」という趣旨の出典が複数あります。

控えめに見ても、少なくとも現段階においては「ヨーロッパ/フランスの」「中長距離(クラシックディスタンスの)」「最高の競走の一つ」であるという出典は複数あげられており、迂闊に(1)から(6)の趣旨で「凱旋門賞の価値」について言及するのは適当ではないと思います。以上のことから、本趣旨に沿う言及は脚注で簡単に触れる程度にとどめることとします。 --零細系統保護協会会話2012年10月7日 (日) 12:24 (UTC)

年表の整理

年表をレースそのものに関わる「沿革」と、各種記録関係の「出来事」に分けました。分けたのは、要するに「見通し」を良くするためです。「沿革」側には、シーバード、ミルリーフ、ダンシングブレーヴのみ残しましたが、これはこれらの勝利が凱旋門賞の評価を定めるのに決定的な出来事であったであろうという判断に拠ります。もう1件加えるならばリボーですが、際限なく増えても元の木阿弥なので、厳選した3頭としました。まあ異論がある方はいるだろうとは思います。--零細系統保護協会会話2013年1月25日 (金) 03:36 (UTC)

情報募集

ロンシャンウィークエンド(Longchamp weekend)」の由縁をご存じないでしょうか。実に原始的な方法なのですが、Longchamp weekendでGoogle検索してもそれっぽいのはヒットしてこないんですよねえ。現在の公式サイトでは「(le) week-end du Qatar Prix de l'Arc de Triomphe」ウィキペディア英語版では「Arc Weekend」という表現が登場します。ノート:ロンシャンウィークエンドもご参照下さい。--零細系統保護協会会話2013年1月25日 (金) 03:36 (UTC)

周知していただいてありがとうございます。反対意見は出なかったため、改名を行い凱旋門賞ウィークエンドに変更いたしました。これ以降の議論はノート:凱旋門賞ウィークエンドでお願いいたします。--Taj Dahar会話2013年2月11日 (月) 15:01 (UTC)

出来事について

2008年の「審議に対してではなく決勝審判に対して不服申し立てをするという、近代競馬史上稀に見る珍事」という記述をコメントアウトいたしました。 理由は出典先の凱旋門賞開催で問われた国際ルールの協調(フランス)[開催・運営]@ジャパン・スタッドブック・インターナショナルを見たところ「近代競馬史上稀に見る珍事」なのか確認できなかったからです。

  • 具体的にはフランスにおいて「決勝審判に対して不服申し立て」が他にあったかなかったかの記述がない。
  • この記事の内容はフランスと他の国(主に英国)との運営方法の違いが主眼となっている。

この内容では注目度の高いところで発生したので大事になったことはわかりますが、稀な事態なのかは判断はできないのではないでしょうか? また、この出来事の記述でわかることは以下の点です。

  • フランスでは写真判定の写真は公表されないため報道や観客は確認できない。
  • 英国では競走後に公開され要求すれば入手可能。

なお、日本では類似のタケデンバード事件があったことで中央競馬会のルールが変更されています。ついでに、判断が覆らなかったことも出典には記載されていませんが、公式記録が3着同着のまま変わっていないのでその点は問題としません。--Taj Dahar会話2013年2月11日 (月) 14:54 (UTC)

出典がなければ載せられないというのは確かにおっしゃる通りですから、本件については異論ありません。
さて、これに乗じてというわけではないですが…。1つは出典が挙げられている記述について細かく検証可能性をさぐる一方で、1つも出典が挙げられていない記述を看過するのも筋が通らないのでついでに。ディープインパクトの失格が史上初だとか、エルコンの2着はアジア勢初だなどといったことは、出典が挙げられていないうえにウィキペディア内のほかの記事にさえ同様の記述が見られません(ディープ失格については「イギリス女王陛下の臨席」節にちらっとかいてありましたが、出典がありません)。確かにこれらが本当にレース史上初であるか否かは、有意な情報源が仮になくてもレース創設以来の成績表をすべて集めてくればあとはものの数分で検証できるでしょう。しかしそれができるのは凱旋門賞の過去の全年度成績が検証可能な形でウィキペディア上に存在するか、もしくは信頼できる者がネット上にアップしている場合に限られます。そんなサイトを私は知りませんのでひとまず要出典としておきます。
もし仮に、ある事実が競馬に精通する者たちのあいだで明らかに通用する「常識」であるのだとしても、こんどはそれが「常識である」ことを出典によって証明しなくてはなりませんから結局のところ出典が必要です。今まで(私も含め)当たり前のように認めてきた古い記述ですが、よくよく考えてみると存在資格に問題があるように思えたので、指摘させてもらいました。
まあ、もっと言えば、去年の秋に大幅に加筆された「歴史」節全体がそもそも出典に乏しいんですね。本文がこれだけの長さなら出典リストももっとズラ~っと長くなってもいいはずなのに、注釈は多いですが出典は少ないです。むろん、加筆以前の状況と比べれば質・量ともに飛躍的に向上しましたから、大いに評価していることは間違いないのですが、今のままで完成とは到底言えないですよね。かつては「ただのG1レースか」論争で、2005~2007年の出走メンバーが低レベルだとかいう記述がバッサリ削られましたが、今の「歴史」節は「一流馬」とか「最良」とか「もっとも成功した~」とか主観的な言葉が以前より格段に増えたような気がして、かえって気持ち悪さすら覚えます。以上余談でした
要出典の件、上に関連する話題として、ここに告知いたします。--Fridey aftarnoon会話2013年2月11日 (月) 18:34 (UTC)
歴史節を加筆した者です。基本的な出典のベースは『凱旋門賞の歴史』です。これは全3巻、1000ページを超えるもので、前史、創設から1982年の凱旋門賞までをカバーしています。1920年から1982年までの62年(かな?)を1000ページですので、1年あたり10ページから20ページを費やして詳述しています。その年の大きな出来事、主な出走馬の経歴、レース直前の様子、レースの様子、レース後の様子、優勝馬のその後、全着順、血統表、などから成っています。これを数行にまとめて書きました。「一流馬」とか「最良」とか「もっとも成功した~」とかいう表現は同書でそう著されている場合に使っています。このノートの上のほうで私が出典がどうのということをさんざん言ったわけですから、そこらへんは気を使ったつもりです。
これを補完するのは『フランス競馬百年史』で、これは1900年から2000年までをカバーしています。一方、創設以前のことについては、『競馬の世界史』 、『ヨーロッパに於ける~』、『華麗なるフランス競馬』に拠っています。
あとは要するに出典の記載をどのぐらいするかというところでして、10ぺージを数行に要約するわけですから、下手[10]をする[11]とこんな[12]感じ[13][14]になりかねない[15]なあ[17]と思い[18]、過度な出典表記を避けました。今の[10]~[16]は全部、“『凱旋門賞の歴史』p110-120”みたいになっちゃうので。要するに1948年の節の出典は『凱旋門賞の歴史』の1948年のところを読んで下さい、その上でまだ疑義のある記述があったら指摘してね、ってつもりでした。見なおしてみると、確かに小節に一度も出典を記していないので、もうちょっと付けたほうがいいでしょうかね。同じ文献の似たようなページからの出典が連続する場合に、どこまで細かく頻繁に出典を付せばいいのかということについては正直私はよくわかりません。いっそ、「出典は特に断らない限り『凱旋門書の歴史』による。それ以外のものについては個別に出典を付す」みたいなことを書いちゃったほうが早いかなと思っています。
エルコンの「アジア勢初の2着」は、それ以前のアジア勢が2着に来た例がないことを確認すればいいだけなので、確認すること自体は容易です。ただその場合、出典をどう書くかですねー。“アジア勢で初の2着”と書いた文献があれば手っ取り早いのですが、◯◯と◯◯と◯◯を確認した結果、アジア勢が2着になったことが一度もなかった、だからアジア勢初の2着です、っていうのは「独自研究」って言われないのかな?
「アジア勢」が何を示すのか、ってところは議論をしようと思えばできるかもしれませんね。たぶん要するに「調教国」のことなんでしょう。ただ、見方によっては「馬主」を以ってアジアだと言うこともできるでしょうし(その場合は検証が難しくなります)、中東のナントカ殿下もアジアだろということになると、ダンシングブレーヴだって実質アジアじゃね?とか、ラムタラもUAE調教=アジア勢だろ、と言えちゃう気もします。どうせアジア勢つったって中東組と日本しか出てないんだし、いっそ「日本勢」としたほうが清々しいんですが。
ディープインパクトの失格についても同様で、「史上初の失格」とする出典があれば手っ取り早いのですが(これはなんぼでもある気がしますが)、過去の全記録をあたって失格場がいないことがわかったとしても面倒は面倒ですね。
この2頭については、時代的に私がちょっと守備範囲外なのと、注目度が高い馬なのできっと誰かが出典を付けてくれるだろうと思っていますけども。--零細系統保護協会会話2013年2月12日 (火) 02:03 (UTC)
大幅加筆お疲れ様でした。ちょうど良い機会なので『凱旋門賞の歴史』の内容について少し質問させてください。バルメリーノなのですが優駿1999年10月号の125-127頁に「エルコンドルパサーが挑戦する世界最高峰レース凱旋門賞の歴史」という石川ワタル氏の記事があり、その中でアメリカ挑戦馬の10頭が失敗したことの次に「欧州以外の馬で最も善戦したのは、77年のバルメリーノである。」との記載があります。ですがその後に「ただし、A.フィッツジェラルド著凱旋門賞(第三巻)では、受け入れ先が英国の厩舎だったため、“英国馬”と紹介されている。」と続き、「欧州では凱旋門賞の直前に英国で一戦しただけであり、それは英国人著者による牽強付会というべきであろう。」と主張しています。さらにエルコンドルパサーもフランス馬になると続きますが、受け入れ形態がはっきり分からないのでその石川氏の主張が正しいのか私には判断できません。ここでも参照されているように『凱旋門賞の歴史』は参考文献とされることの多い信頼できる二次資料と認識していますが、本当に“英国馬”と紹介されていますでしょうか。また、出典は思い出せませんが確か井崎脩五郎氏が『凱旋門賞の歴史』を元にスピードシンボリは10着と書かれることが多いが実際はそれより下と(13番目ぐらいに書かれている)とトリビアを披露していたのですがその記述もありますでしょうか?(先述の記事では『凱旋門賞の歴史』を時々上げているのにも関わらずスピードシンボリは「24頭立て10着」としているので記憶違いの疑いがでてきました。ギャロにある去年の記事(英語)で"unplaced"としているので着外の方が正しいのでしょう)
ついでに、バルメリーノについてこれほど記載していてもラムタラは触れずに成績欄に英国となっています。調教師のスルール氏が英国にも自分の厩舎を持っていてそこから遠征したのだから英国とするのが適当とも言えますが、当然反論も予想されるところなのでそういう考え方もあると“※通常イギリス調教馬として扱われる”を追記してお茶を濁しています。ここら辺も整理した方がいいのでしょうか・・・私はあまり触れたくないところです。--Taj Dahar会話2013年2月12日 (火) 16:55 (UTC)
すばやいご返答ありがとうございます。了解を得られましたのでコメントアウト部分は他に記述を変更するときに削除いたします。出典リストですが、Wikipedia:出典を明記する多くの人が編集するウィキペディアでは、本文中に注釈を入れる方式が推奨されています。と記載されているとおり推奨でしかなく、末尾に文献があれば必要条件は満たしているといえます。検証時に参考文献とは関係のない部分を別けるのは大変ですけど。大本の海外サイトでも見本になるような逐次注釈のある競馬の競走についての記事が見当たらない実態がありますし、よい雛形があると参考にできて書きやすくなるのですけど・・・
なお、ディープインパクトについては出典は分かりませんが以下の経緯があったようです。
  • 2007年1月14日 (日) 04:01‎ Gnsin (会話 | 投稿記録)‎ . . (26,087バイト) (-97)‎ . . (→‎歴史)
  • 2008年10月5日 (日) 18:20‎ Fromm (会話 | 投稿記録)‎ . . (36,169バイト) (-146)‎ . . (→‎歴史: 凱旋門賞の歴史とは関係ない日本馬の記述除去)
  • 2008年11月12日 (水) 04:18‎ Gnsin (会話 | 投稿記録)‎ . . (36,167バイト) (+158)‎ . . (→‎歴史: ディープの薬物失格は同競走で史上初のこと)
Gnsinさんが記載したが歴史と関係ないと除去されたので、“史上初”の特筆性付きで戻したということです。--Taj Dahar会話2013年2月12日 (火) 16:55 (UTC)
お尋ねの件 バルメリーノは確かに「それならもう1頭のイギリス調教馬、R・K・スチュアート氏の所有するバルメリノの方がアレッジドとダンファームリンにとっての手強い相手になりそうだっだ。」と書いてあります(『凱旋門賞の歴史』第三巻p259)。なにが「それならもう1頭」かというと、この前段にオレンジベイという出走馬について書いてあるのですが、このオレンジベイはもともとイタリア馬で、共和国大統領賞と伊ダービーを勝ってイギリスの厩舎に転厩しているんです。これは私の想像ですが、原文(フランス語)では要するに、2頭のことを「なんちゃってイギリス馬」みたいに言ってるんじゃないでしょうかねえ。なお、バルメリノについて詳述した後、次は「南半球からはもう1頭、アルゼンチンの4歳牝馬ミアが挑んできたが~」(260ページ)とあり、さらにレースの描写ではバルメリノについて「(残り300メートルの地点でアレッジドが余裕を持って先頭)先頭を脅かせそうなのは、ニュージーランドからやってきたこの馬1頭だけだった。」(268ページ)とあります。個人的には、こういうのを「欧州人による牽強付会」と言うのはちょっと過剰反応じゃないかと思いますが・・・。バルメリノはNZからアメリカ、イギリス、フランス、アメリカ、カナダと世界中を遠征しているので、きっとその都度「転厩」しているのでしょうね。
この話に関連する話としては、1972年にメジロムサシが出走したことについて、こうあります。「この年の凱旋門賞には、外国調教馬が6頭挑んできた。アイルランドからロベルト、ブーシェの2頭、イギリスからスティールパルス、パーネル、エリモホーク〔本邦輸入〕の3頭。残る1頭は、スペインからの初参戦となるマイモーンである。そのほかにもホメリック、スノーカッスル、メジロムサシは、10月にはフランスの厩舎に所属していたが、以前はそれぞれの故国イギリス、アルゼンチン、日本で走っていた。」(155ページ)確かに、メジロムサシは凱旋門賞出走時にはフレディ・パルメール厩舎に入っていたので・・・。ということで、『凱旋門賞の歴史』では、とにかく出走の時点でフランスの厩舎に所属していればそれは「フランス馬」ってことなんでしょうねえ。
『フランス競馬百年史』のほうでは、「ニュージーランドのバルメリノ」(254ページ)とあるので、『凱旋門賞の歴史』の表現がフランスで一般的ってわけでもないんだろうと思います。
スピードシンボリの着順の件ですが、これはうーん、よくわかりません。とりあえず、どう書かれているかというとですね、毎年の最後の方に全出走馬の着順表(的なもの)が載ってまして、たとえば1921年の第2回は「1 クサール 2 フレショワ 3 スクェアメジャー 4 シッドカンペアドール 5 ブルーダン 6 ポムドテール トレローレ ヌーヴェルアン ザグレウス アースデアース 12 タスィット」となってます。つまり、6着までは着順が書いてあるのですが、それ以降は「着順」は書いてなくてただ並んでいるだけ、そして最後の1頭だけ「12」(たぶん12位なんでしょう)と付されています。毎年こうかというとそうでもなくて、第3回は6着までは同じで、7着(7位?)以降はやはり着順はかいておらず、下から2番めが「落馬」、一番下が「発走除外」です。この年の場合、完走した馬でビリの馬は9着のはずなのですが、「9」とは書いてありません。こういうのを除いて、ビリの馬の着順は1948年までは必ず書いてあるのですが、それ以降は殆ど書いてありません。ひょっとすると一巻だけ著者が共著なので、そのせいかもしれません。凡例のようなものはないので、よくわかりません。で、スピードシンボリの場合、10着までは1レヴモス 2パークトップ・・・10ズボルとありまして、そのあとはフィアスコ コップセール スピードシンボリ・・・とあとはサラカまで24頭が並んでいます。
まあ要するに、13位入線、ってことなんでしょう。でも「placed」=「賞金が出る」のは10着までだよと。向こうの感覚は知りませんが、賞金が出ないなら11着でも20着でも一緒でしょ、むしろどうせ賞金でないなら、必死に走るよりチンタラ走って次に備えたほうがよくね?的な感じでみんな勝負が済んだら適当にするので、11位以下で争っても無価値だよって感じなんじゃないでしょうかねー・・・オルフェーブルの時も、オルフェーブルが抜けた時点でほとんどの騎手は諦めちゃったって言ってましたし。関係あるかどうかは知りませんが、明治とか大正の頃の日本の競馬の記録もこんな感じで、賞金の対象外の入着以下の馬はただ名前が入線順に列記されてるだけで、「◯着」とは表現されていません。なお、1964年の場合は「ルファビュルーは15着に惨敗し」(二巻219ページ)とあるので、日本語訳もあまり厳密じゃないのかもしれません。
ところで、1972年をもう一度よく見なおしてみると、メジロムサシは「12位入線」ですねえ(10着同着で2頭いてその次)。「18着」って書いてあるけど、『凱旋門賞の歴史』を信じるならこれ間違ってますねえ。ちょっとGoogleって見ましたけど、メジロムサシの全成績を書いてる日本のサイトはだいたいどこも18着だけど、どうなのかなあ。競馬四季報の古いのを見れば確実なんですけども、近くの図書館には90年代以降のしか置いてないなあ。。。シリウスシンボリの「14着」も再検証したほうがいいのかも・・・ラムタラは、考えれば考えるほど、どう考えても「アジア勢」だろと思えてきました。勝ち馬一覧の節にはUAEの旗が貼ってありますしね。見るところを変えればエルコンドルパサーだってアメリカ産ですし、でも生産者は日本人の現地法人で、えー、ややこしいので、普通に「日本勢では初」ってしちゃえばスッキリするかなって思いました!--零細系統保護協会会話2013年2月12日 (火) 18:43 (UTC)
ちょっと気になったのですが、戦前の特に競馬倶楽部時代の着順表記がない馬は入線順でしたかね?私がキンテンイサハヤなどの成績表を作成したときは着順表記がない場合は着外にしてました。競走中止以外は順不同だというのをどこかで見た気がするのですが、ちょっと今すぐには確認できません…ただ、当時はスリットカメラもありませんので速歩の30頭立てなどを全部入線順を記録するのは技術的にもかなり難しいと思います。海外についても着順を紹介している書物は多くとも、その大元は公式記録によると思われますので、公式の成績表に着順が記載されない馬の場合は、出典があっても実際の着順かどうかは疑わしいかと思います。--The colonel of the lamb会話2013年2月12日 (火) 23:23 (UTC)
コメント零細系統保護協会さん、回答ありがとうございます。スピードシンボリが10着とは書かれていないこと。過剰反応に見えるが“イギリス調教馬”の記載も事実ということですね。ちなみに『凱旋門賞の歴史』の原語は石川氏が著者が英国人と書いているように英語です。
提案 この時代なら管理調教師が自国を離れて付きっ切りとか助手や厩務員を派遣して国際電話で指示とか他の管理馬のこととか金銭面でも無理があるので実情は転厩が基本なんでしょう。調教国を厳密に捉えればメジロムサシとシリウスシンボリの調教師はフレディ・パルメールと書いてフランス調教馬としたほうが競走記録を見ても正確にみえます。フランスの記事でも彼らを日本馬の今までの成績に含めていますが、“日本からの遠征馬”といったくくりで扱えばよいのではないでしょうか。ついでに、ラムタラがアジア勢というのはUAEで治療はされていますが、UAEの競走に出走していませんし調教の実績も不足しているのではないでしょうか。調教場所を軽視してしまうとコスモバルクが道営にウーヴェルドーズがハンガリーにこだわっている意味とか、ドバイワールドカップ優勝馬グロリアデカンペオンはブラジル生産で調教・出走もしたが調教国はフランスとか、BCクラシック優勝馬インヴァソールがアルゼンチン生産でウルグアイで走っていたがこの時点の調教国はアメリカというのも書き換えてよいことになりかねません(あくまでも極端な例で実際に書き換えの元ネタになる出典は無いでしょうけど)。--Taj Dahar会話2013年2月13日 (水) 17:04 (UTC)
特に合意を取れたとはいえませんが、『凱旋門賞の歴史』の記述を優先してバルメリーノの調教国をニュージーランドにするのは(感情論以外では)無理があるので出来事欄と調教国欄の記載を変更いたしました。合わせて英語版とフランス語版と同じようにゴドルフィン所属の3頭もUAEから英国調教馬に変更しています。要約欄に書く予定がエンターキー押しすぎて途中で編集確定してしまったので、ここで言い訳しておきます。--Taj Dahar会話2013年7月21日 (日) 16:16 (UTC)
いいと思います。ここまでの議論から、遠征馬が「どこの馬」なのか「簡単にびしっと線を引くのはなかなか難しい部分がある」ということはわかってきたと思います。要するに「この馬は◯◯国の馬なんだよ!おまえは間違ってる!」みたいにならなければいいのだろうと思いますね。もし必要があれば個別的に注釈していけばいいと思います。--零細系統保護協会会話2013年7月22日 (月) 04:23 (UTC)
しばらく顔を出さずに申し訳ありません。「エルコンとバルメリーノがどこの馬か」ということに関しては私はあまり知識がないですが、出典のことに関してです。零細系統保護協会さんは「過度な出典表記」によって見にくくなることを懸念されていますが、出典が付けられすぎていて文句が出た記事というのは多分例がないんじゃないでしょうか。Taj Daharさんは「末尾に文献があれば必要条件は満たしているといえる」とおっしゃっていますが、こういうテンプレートが貼られるおそれもありますし、そもそも「みんなでより良い百科事典を作っていこう」という向上性の高いプロジェクトに携わる人が「最低限度は満たしているからこの程度で十分だ」などとお役所的なことを言うのもどうかと…。失礼しました。
競馬の競走記事ではないですが、脚注の多い記事というのはたとえばオルフェーブルとかサンデーサイレンスとかでしょうか。前者はまだ現役中の馬ですから、関係者の発言とかは特に慎重に扱おうという姿勢でしょうかね。いずれにせよ「推奨されている」ことは確かに義務ではないですが、実行すれば間違いなく歓迎されます。現在のところ、Wikipedia日本語版の秀逸な記事には競馬の競走の記事がひとつもありませんが、これだけの大レース、それも競馬ファン以外からも熱い注目が集まるレースですから、人によって様々な評価や見解が持たれているでしょうし、この先論争の引き金にもなるでしょうから、「最低限度」では不十分ではないかと思うのです。
みんながみんな『凱旋門賞の歴史』の記述に賛同するとも限りませんし、執筆者のあいだで意見が分かれた時に出典を参照しやすくするというのは必要なことではないでしょうか。もし将来、この記事の内容に対して異論が唱えられた時に、全3巻1000ページもある膨大な書籍を全部読んでから異議を唱えてくださいね~というのはさすがに不親切ではないでしょうか。--Fridey aftarnoon会話2013年2月13日 (水) 02:06 (UTC)
(戦前の成績表の件)すみません、上の私の発言は結構ラフなというか、本筋とは関係ないと思ってかなりいい加減な発言です。基本的にThe colonel of the lambさんのおっしゃるとおり、着外は着外であって、それ以上でも以下でもないと思います。少なくても公式には。入着以外の馬をずらずらっと列記しているアレですが、おそらくThe colonel of the lambさんは実物をご覧になっているのだろうと思いますが、時期や競馬倶楽部によって、活字のものもあれば手書きのものもありますし、ほとんど走り書きみたいなやつもあれば、根岸なんかギリギリ読めないような横文字だったり、まあいろいろですよね。私は10年ぐらい前に、根岸の競馬博物館の職員(学芸員?)の方に、これは入線順位に書いてあるようですよ、と教えてもらって、それ以来入線順位だということにしています。が、たぶん、その職員さんが言ったのはあくまでもその時私が見てもらった資料についてであって、全ての時代のすべての競馬倶楽部がそうだとは言えないでしょうし、その方が絶対に合ってるかどうかもわかりません。入線順に記録することとす、とかって明記した規約とかを見つけてくれば話は別ですが、今となっては真偽の確認は事実上ムリでしょう。いずれにしても確実なのは「着外であること」だけであって(例えば何か他の情報源から入線順位を検証できるとかでもない限り)、あの古文書みたいなやつからそれ以上の情報を持ってくるのは、少なくともウィキペディアではするべきではないでしょう。
(出典提示の件)他の分野の記事を見ると、1文毎に文末に出典を付すようなものはありますね。ずっと同じ文献のほぼ同じページが出典の場合でもそうするべきかというと、他の人が編集して文が切り分けられたりするときのために、そうしておいたほうがいいのかもしれませんね。--零細系統保護協会会話2013年2月13日 (水) 12:10 (UTC)
コメントFridey aftarnoonさん、しばらくなんて使うほど時間は経ってません。理想を言えば私の発言は無責任なのは重々承知しておりますし、十分条件を満たしていないというのも認めます。(ついでに、私の記事は必要条件すら満たしていないものがあると自信を持っていえます。見本になる記事が無い状態であまり敷居が高くなると書きにくいです・・・気にしないで書いている人もいるけど)なお、査読者なら出典元を読むのはわかりますが、異論は他の出典を見ると内容が一致しないといったものでもできます。該当箇所の筆者を履歴で探して聞いたり(活動休止していたりブロック対象者のときもありますが)、ノートで最低限の出典の引用を出し合って検討といった対応もできます。--Taj Dahar会話2013年2月13日 (水) 17:04 (UTC)

シュターアピール?

1975年の優勝馬Star Appealの日本語表記が「シュターアピール」となっていますが、ドイツ語でStar Appealはどう読むのでしょうか。ドイツ語読みすると「シュターピール」ではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。

たとえばアメリカの馬Danzigは、プロイセンの都市が名前の由来となっていますが、ドイツ語読みの「ダンチヒ」ではなくではなく英語読みダンジグで立項されています(英語による正確な発音は「ダンシグ」だそうですが)。イギリスの馬Nureyevも、由来となったソ連人名「ヌレエフ」ではなく英語読みヌレイエフが採用されています。ハンガリーの馬Overdoseも、英語読み「オーバードーズ」ではなく(おそらく現地語読みの)ウーヴェルドーズとされています。以上から、おそらく英語由来のStar Appealは英語読みの「スターアピール」ではなく現地人(ドイツ人)の発音に沿った名前にすべきだと思われますが、私はドイツ語をまともに学んだことはないので、現地語ではどう発音するのかわかりません。

現在の表記「シュターアピール」が本当に現地人の発音に近いものであるかどうか確認できる方はいらっしゃいますか?--Fridey aftarnoon会話2013年2月13日 (水) 02:52 (UTC)

これこれを聴き比べると、スペースがあると「シュターアピール」入らないと「シュターラピール」のように聞こえますね(まあ「ラ」って言うよりはほとんど「ハ」に聞こえますけども)。(まあこれは9割冗談です。)現地の発音は私も知りませんが、「シュター」と言い出したのはまあたぶん山野浩一氏じゃないでしょうかねえ。そういうこと言いそうだし。『伝説の名馬PartII』(山野浩一,平成6,中央競馬PRC)は思いっきり「シュターアピール」で一章作っています。『凱旋門賞の歴史』『フランス競馬百年史』『新・世界の名馬』(原田俊治,1993,サラブレッド血統センター)は普通に「スター」でした。母のSternaが「シュテルナ」なんだろうと思うので、そっから「シュター」ってことにしたんでしょうね。ダンジグ (競走馬)のノートを見る限り、立項・改名の時に大して揉めていないので、まあどっちでもいいやって感じなんじゃないでしょうかねえ。--零細系統保護協会会話2013年2月13日 (水) 12:39 (UTC)
回答ありがとうございます。「シュターアピール」と記された日本語の文献があるなら、それに従うのがいいですね。フランス語の場合はアンシェヌマンするけれどドイツ語はどうなんだろうと思ったので確認したのですが、シュターアピールとカタカナ書きされた例があると知って安心しました。機械の発音ですからある程度の狂いはあるかと思いますが、後者の発音を信じて「シュターハピール」にするのも、勝手に「シュターラピール」という音訳を作るのも心もとないので、このままにしたほうがいいですね。お手数かけました。--Fridey aftarnoon会話2013年2月13日 (水) 13:53 (UTC)