ウーヴェルドーズ

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ウーヴェルドーズ
Overdose.jpg
英字表記 Overdose
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2005年4月2日
死没 (現役競走馬)
Starborough
Our Poppet
母の父 ウォーニング
生国 イギリスの旗 イギリス
生産 Mr & Mrs G. Robinson
馬主 MIKO Racing and Trading Kft.
調教師 Ribarszki Sándor (HUN)
→Jozef Roszival (HUN)
厩務員 Budinszky Barbara
競走成績
生涯成績 19戦16勝
WTRR T/S120(2008年)
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ウーヴェルドーズ (Overdose) とはイギリス生産、ハンガリー調教の競走馬である。ハンガリー調教馬として異例の国際的な活躍を見せ、注目を集めている。イギリスでは「ブダペストの弾丸 (Budapest's Bullet)」との異名で呼ばれる。ハンガリー国内の愛称は「ドージー (Dózi)」。英語読みでオーバードーズと表記されることもある。

経歴[編集]

2005年4月にイギリスで生まれる。翌2006年11月、ニューマーケットで開催されたセールに出品されたが、背が低く見栄えのしない馬体で、ハンガリーで鉄鋼会社を経営するミコツィ・ゾルタン[1]により、わずか2100ポンド(約50万円)で購買された。その後ハンガリーに渡り、ブダペスト近郊のリバルツキ・サンドル厩舎に入る。

2007年[編集]

2007年6月に競走馬としてデビューすると、キンチェムパーク競馬場での初戦を、16馬身差で圧勝する。以後中欧諸国の短距離競走を中心に出走を続け、セントラルヨーロピアンチャレンジカップフューチュリティ(国内G1)などを含め、いずれも2着を大きく引き離しての6連勝を果たす。

2008年[編集]

スロバキア農業省賞優勝時(左端)

これを受けて、2008年5月にドイツバーデンバーデン競馬場の準重賞競走に出走。これを9馬身差で圧勝し、パート1国でも通用する資質を見せた。スロバキアでの競走を8馬身差で制した後ドイツに戻り、ロトハンブルクトロフィー(G3)に出走。この競走から鞍上にオーストリア人騎手アンドレアス・スボリッチを迎え、重賞2勝のイギリス調教馬アバジンに1馬身半差を付けて優勝した。続くドイツ最大のスプリント競走ゴルデネパイチェ(G2)も同馬に2馬身半差を付けて優勝すると、次走はフランスに遠征し、各国のスプリンターが集うアベイ・ド・ロンシャン賞(G1)を迎えた。

ここまでG1競走3勝を挙げるマルシャンドールなど4頭のG1優勝馬が顔を揃える中、ウーヴェルドーズは2番人気に支持され、観戦エリアにはハンガリー国旗を振るファンの姿もあった。しかし発走時に17番枠フリーティングスピリットのゲートが開かず、発走不真正として赤旗が振られた。だがスボリッチを含む数名の騎手がこれに気付かず競走を続け、ウーヴェルドーズは過去25年で最も速い54秒5というタイムで最先着した[2]。入線後に競走やり直しが発表されるとウーヴェルドーズ陣営は激怒し、馬の疲労が激しいことを理由に、午後6時から予定されていた再走への出走取消しを行った[3]

1ヶ月後、イタリアのカルロ&フランチェスコアロイージ賞(G3)に出走し、10馬身差で圧勝。11連勝を達成してシーズンを終えた。この年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは120ポンド(芝短距離区分で第3位タイ、総合41位)の評価を受け、ハンガリー調教馬として国際レーティング制度史上初のランクインを果たした。

2009年[編集]

OTPハンガリア大賞優勝時

翌2009年、グローバルスプリントチャレンジ制覇を目指し、春から夏にかけてのイギリス遠征を行うことが発表される。4月19日、渡英前の前哨戦として、地元キンチェムパークのOTPハンガリア大賞に出走。当日は通常開催時の20倍超となる2万人以上の観客を集めた。新たな鞍上にベルギー人騎手クリストフ・スミヨンを迎えると、芝1000mのコースレコード・54秒6を記録、2着に8馬身差を付けて圧勝し、2009年初戦を飾った。

しかし競走後、左前脚に炎症が見られたため、イギリスでの初戦に予定していたテンプルステークスを回避。その後の経過で右前脚にも炎症を生じ、夏に予定していたロイヤルアスコット開催への参加も白紙となった。以後は前年「幻の勝利」となったアベイ・ド・ロンシャン賞での復帰を目指し、フランス・ナントのリハビリテーションセンターで療養を続けていたが、現地で状態が悪化。ハンガリーに帰国し、年内を休養に充てることが発表された。馬主のミコツィは「リハビリという目的だったが、フランスのスタッフは調教をしたがった」と主張し、「彼らは我々が単純な東欧人だと高を括っていた」と強く批判、「今後ウーヴェルドーズをフランスへ連れて行くことはないだろう」と語った。

10月、管理していた調教師・リバルスキが2009年一杯でハンガリーでの調教師を辞め、ドイツに移転しようとする動きがあった。ハンガリー競馬は民営化が近づいており、キンツェムパーク競馬場も開発の危機にさらされているという。そんな中で、リバルスキはドイツに移転し、それに伴いウーヴェルドーズも連れて行きたいと述べた。

また同じ10月、馬主のミコツィがルーマニアで逮捕される事件が起こった。容疑は文書偽造により食品加工機械を盗むなどの計画をしたとしての窃盗罪。ミコツィは2ヵ月後に釈放された。その際、調教師のリバルスキとともに移籍されるかと思われていたウーヴェルドーズは、馬主であるミコツィがハンガリー所属馬として世界に名を馳せたいとする意向を示し、ハンガリーに留まることになった。

2010年[編集]

6月、ロイヤルアスコットレースミーティングへの参戦などが取りざたされたが断念[4]。その後、ミコツィは7月のジュライカップへの出走を示唆したが、結局このレースも回避[5]7月18日スロバキアの準重賞競走であるミーサ賞で復帰し、チェコのゲイリー・ハインドを鞍上に半馬身差で勝利した[6]。続く地元ハンガリーのパンノニア生命賞は10馬身差で圧勝し、連勝記録を14に伸ばした。

この後、連勝記録を15に伸ばすべく、2008年に既に勝利しているドイツのゴルデネパイチェ(G2)にスミヨン騎乗で出走した。しかしこのレースでウーヴェルドーズはゲート入りを嫌い、さらにスタートで躓いたのも響き7着と大敗し、連勝記録がストップした。馬主のミコツィはレース後、いつもウーヴェルドーズはレースに対して前向きだが、この日はそうではなかったと語っている[7]

2011年[編集]

ドイツのホッペガルテン競馬場で行われた条件戦で復帰。6馬身差で圧勝した。その後イギリスに遠征し、テンプルステークス(G2)に出走したが7着に敗れる。続くロイヤルアスコットレースミーティングのキングズスタンドステークス(G1)も4着に終わった。その後イタリアに遠征し、カルロ&フランチェスコアロイージ賞に出走し勝利した。

2012年[編集]

ドバイミーティングを目指し1月にドバイ入りしたが、そこで右脚に怪我を負ったため参戦を断念している。その後、回復し調教を再開したところ腫れが再発したため競走復帰は出来なかった。[8]

成績[編集]

年月日 競馬場 レース名 頭数 着順 距離(状態 タイム 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
2007. 6. 2 キンチェムパーク 2歳新馬 7 1着 芝1000m 58.0 18身 M.スルニッチ 58 (Femme Fatale)
7. 22 ブラチスラヴァ OTP銀行賞 LR 11 1着 芝1200m 1:12.02 6身 M.スルニッチ 58 (Addison)
9. 9 フロイデナウ ニコラウスエステルハージ記念 LR 9 1着 芝1200m 1:11.4 13身 P.クロウィキ 61.5 (Ceodora)
9. 30 キンチェムパーク 聖ラズロ賞 G2 6 1着 芝1400m 1:23.6 16身 M.スルニッチ 57 (Over Play)
10. 21 エブライスドルフ CECCフューチュリティ G1 6 1着 芝1300m 6身 M.スミダ 57 (Over Play)
2008. 4. 6 エブライスドルフ マルクフェルド賞 LR 9 1着 芝1100m 1:04.6 6身 P.クロウィキ 55.5 (Special Key)
5. 18 バーデンバーデン ランソンC LR 10 1着 芝1200m(良) 1:08.92 9身 P. クロウィキ 58 (Laokoon)
6. 1 ブラチスラヴァ スロバキア農業省賞 G3 9 1着 芝1200m(良) 1:10.09 8身 P.クロウィキ 57 (Városbirô)
7. 5 ハンブルク ロト=ハンブルクT G3 10 1着 芝1200m(重) 1:12.19 1 1/2身 A.スボリッチ 54.5 (Abbadjin)
8. 31 バーデンバーデン ゴルデネパイチェ G2 6 1着 芝1200m(良) 1:08.21 2 1/2身 A.スボリッチ 56 (Abbadjin)
11. 16 カパネッレ C&F.アロイージ賞 G3 8 1着 芝1200m(不) 1:10.00 10身 A.スボリッチ 64.5 (Black Mambazo)
2009. 4. 19 キンチェムパーク OTPハンガリア大賞 G1 8 1着 芝1000m(良) R54.60 8身 C.スミヨン 62 (Spinning Crystal)
2010. 7. 18 ブラチスラヴァ ミーサ賞 LR 10 1着 芝1000m(重) 1:00.77 1/2身 G.ハインド 59 (Boschka)
8. 15 キンチェムパーク パンノニア生命賞 LR 9 1着 芝1000m(良) 56.4 10身 G.ハインド 59 (Spinning Crystal)
8. 29 バーデンバーデン ゴルデネパイチェ G2 12 7着 芝1200m(重) 5 1/2身 C.スミヨン 59 Amico Fritz
2011. 4. 17 ホッペガルデン 条件戦 9 1着 芝1000m(良) 54.1 6身 A.スボリッチ 59 (Shot To Nothing)
5. 21 ヘイドックパーク テンプルS G2 12 7着 芝5F(良) 4身 A.スボリッチ 59 Sole Power
6. 14 アスコット キングズスタンドS G1 19 4着 芝5F(良) 1身+クビ A.スボリッチ 59 Prohibit
11. 13 カパネッレ C&F.アロイージ賞 G3 12 1着 芝1200m(稍重) 1:08.40 1/2身 L.デットーリ 61.5 (Dagda Mor)

LRはListed Race(準重賞)の略。競走格で色付けのないものは、国際グレード/グループ外競走。競走名のCはカップの略、Tはトロフィーの略。

受賞[編集]

ミコツィとウーヴェルドーズ
  • ハンガリーオリンピック委員会フェアプレー賞(2008年)

ハンガリーの競走馬[編集]

ハンガリー競馬出身の著名馬には、1870年代にヨーロッパ各国の大競走を制し、54戦54勝という成績を残した牝馬キンチェムがいる。この時代の前後にはハンガリー競走馬の資質はイギリスを凌いでいたとも言われるが、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊と共にそのレベルは大きく低下し[9]、ウーヴェルドーズのデビュー時点でハンガリーは競走・馬産レベルの国際規範を定める「国際セリ名簿基準委員会」にも加入していない。こうした状況下で、馬主のミコツィはウーヴェルドーズを「新たなキンチェム」と呼び、ハンガリー競馬復興への期待を語っている。

血統表[編集]

ウーヴェルドーズ血統ヌレイエフ系ノーザンダンサー系)/ Never Bend5×5=6.25%)

Starborough 1994
栗毛 イギリス
*ソヴィエトスター
Soviet Star 1984
鹿毛 アメリカ
Nureyev Northern Dancer
Special
Veruschka *ヴェンチア
Marie d'Anjou
Flamenco Wave 1986
栗毛 アメリカ
Desert Wine Damascus
Anne Campbell
Armada Way Sadair
Hurry Call

Our Poppet 1997
鹿毛 アイルランド
*ウォーニング
Warning 1985
青鹿毛 イギリス
Known Fact In Reality
Tamerett
Slightly Dangerous Roberto
Where You Read
Upend 1985
鹿毛 イギリス
Main Leaf Mill Leaf
Lovely Light
Gay Charlotte Charlottown
Merry Mate F-No.7-a

父スターボローは1997年のジャンプラ賞セントジェームズパレスステークスの優勝馬。母は未勝利馬だが、祖母アペンドはセントサイモンステークス(G3)など3勝を挙げている。

脚注[編集]

  1. ^ ハンガリーでは他のヨーロッパ諸国と異なり、姓名順の表記が一般的であるため、これに倣う。
  2. ^ 再発走で正式な優勝馬となったマルシャンドール(1回目では異常に気付き、発走直後に競走を中止した)は、54秒4で走破している。
  3. ^ 凱旋門賞開催で問われた国際ルールの協調(フランス)[開催・運営]” (日本語). ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (2008年10月30日). 2012年12月9日閲覧。
  4. ^ OVERDOSE、今年もロイヤルアスコット断念」 海外競馬ニュース、2010年6月2日。
  5. ^ OVERDOSE、ジュライカップへの参戦も見送り」 海外競馬ニュース、2010年6月16日。
  6. ^ Triumphant return for Overdose in Slovakia” (英語). Racing Post (2010年7月18日). 2012年12月9日閲覧。
  7. ^ Overdose tastes defeat for first time in Germany” (英語). Thoroughbred Times (2010年8月29日). 2012年12月9日閲覧。
  8. ^ {{Cite web|date=2012-09-07|url=http://www.racingpost.com/horses/home.sd?story=1109763&argument=707970%7Ctitle=Overdose call to be made within a month - owner|publisher=Racing Post|language=英語|accessdate=2012-12-09}
  9. ^ 山野 pp.299-300

参考文献[編集]

外部リンク[編集]