テュルキスタン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
テュルキスタン
Түркістан
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟
位置
の位置図
座標 : 北緯43度17分 東経68度16分 / 北緯43.283度 東経68.267度 / 43.283; 68.267
行政
 カザフスタン
  テュルキスタン州
 市 テュルキスタン
市長 Mussayev Tazhibek Kalmanuly
地理
面積  
  市域 7,440 km2
人口
人口 (2009年現在)
  市域 227,098人
    人口密度   30.5人/km2
  市街地 142,899人
  備考 [1][2]
その他
等時帯 カザフスタン東部時間 (UTC+6)
夏時間 なし
郵便番号 080001 – 080019
市外局番 7262
公式ウェブサイト : http://turakimat.gov.kz/

テュルキスタンカザフ語: Түркістан Túrkistan) は、カザフスタン共和国テュルキスタン州の都市。2018年6月19日より同州の州都となった[3]シルダリヤ川に近く、かつては康居の都があった。トランス・アラル鉄道が通り、タラズの160km北に位置している。シムケントからは車で約2時間。かつての市名はヤシ(Yasi)。

歴史[編集]

テュルキスタンの名は「トルキスタン(テュルクの地)の聖なる者」の意味で、高名なスーフィズムシャイフであったホージャ・アフマド・ヤサヴィー(Khoja Akhmet Yassawi)が、1166年にこの地で没し葬られたのに因んでいる。彼によりこの地はカザフステップ地帯の学問の中心となった。1389年ティムールがヤサヴィーの壮麗なマザール(廟)を建立。中央アジア最大のドームで、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟2003年世界遺産に登録された。彼の名もかつての市名ヤシに因んでいる。

中央アジアでは、三度のテュルキスタンへの巡礼は一度のメッカへのハッジに匹敵すると広く信じられており、今日でも毎年数万の巡礼者が訪れる。カザフスタンでは、「テュルキスタンは東の第二のメッカ」とされる所以である。

テュルキスタンは、常にペルシアイスラム文化圏のマー・ワラー・アンナフルオアシスと、テュルクモンゴル文化圏のステップの遊牧民が、混ざり合う境界線であった。

1862年ロシアはこの地をコーカンド・ハン国から奪うと、トルキスタン総督府シルダリヤ州に編入、ロシア革命期にはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の一部となるが、1924年カザフ・ソビエト社会主義共和国の一部となった。

現在のテュルキスタンは人口の半数がウズベク人である。

脚注[編集]

  1. ^ Republic of Kazakhstan”. citypopulation.de (2019年4月17日). 2019年5月5日閲覧。
  2. ^ Kazachstan: administrative units, extended”. GeoHive.com. 2017年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月5日閲覧。
  3. ^ Публичное подписание Указа «О некоторых вопросах административно-территориального устройства Республики Казахстан»”. カザフスタン大統領府 (2018年6月19日). 2019年5月5日閲覧。