スティーブン・パターソン

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スティーブン・パターソン Football pictogram.svg
名前
本名 スティーブン・ウィリアム・パターソン
ラテン文字 Steven Paterson
基本情報
国籍 スコットランドの旗 スコットランド
生年月日 1958年4月8日(56歳)
出身地 エルギン
身長 190cm
体重 82kg
選手情報
ポジション FWDF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975-1979
1982
1983
1984-1986
マンチェスターU
流浪足球隊
シドニー・オリンピック
読売クラブ
監督歴
1990
1990-1995
1995-2002
2002-2004
2004-2006
2006-2008
エルギン・シティ
Huntly FC
インヴァネス
アバディーン
Forres Mechanics F.C.
Peterhead F.C.
1. 国内リーグ戦に限る。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

スティーブン・パターソンSteven William Paterson, 1958年4月8日 -)は、スコットランドエルギン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

略歴[編集]

選手として[編集]

1975年7月にイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドに入団。センターバックとして4年間でリーグ戦6試合に出場した。その後は香港オーストラリアのクラブを渡り歩き、1984年に日本読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)へ入団した。

読売では190cmの長身を生かしたヘディングと献身的な守備が持ち味のフォワードとしてプレー、初年度の日本サッカーリーグでは外国人枠の関係で2試合出場に終わったが、同年12月の天皇杯では、中心選手のラモスが出場停止処分を受けていた事もあり、レギュラーの座を確保し天皇杯制覇に貢献。翌1985年は与那城ジョージが帰化した事で常時出場が可能となり、JSLカップでは6得点をあげ得点王となり同タイトルの制覇に貢献した。

しかしリーグ戦では読売は不振に陥り、パターソンを招聘した監督のルディ・グーテンドルフがシーズン途中で退任すると、そのシーズン限りで日本を後にしている。

指導者として[編集]

引退後は指導者の道へ進み、ハイランド・リーグ(5部リーグに相当)のエルギン・シティで監督業を始める。1995年夏に当時スコットランドリーグ3部(4部リーグに相当)のインヴァネス・カレドニアン・シッスルFCの監督に就任。ここで7年間を過ごし、1996-97シーズンに3部リーグ優勝、1997-98シーズンにスコットランドリーグ2部(3部リーグに相当)2位となり1部昇格。また2000年のFAカップにおいて強豪のセルティックFCを3-1で破る大番狂わせを演じると一躍注目を集めた。

この手腕によってスコティッシュ・プレミアリーグのクラブからオファーが届く様になり、インヴァネスとの契約問題が拗れた事もあって長年過ごしたクラブを離れ、2002年にアバディーンFCの監督に就任、ここには1年半の間、在籍した。

2006年10月からはスコットランドリーグ2部のPeterhead F.C.の監督を務めている。

個人成績[編集]

日本国内成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1984 読売 12 JSL1部 2 0 0 0 5 4 7 4
1985 10 3 4 6 2 0 16 9
通算 日本 JSL1部 12 3 4 6 7 4 23 13
総通算 12 3 4 6 7 4 23 13