ジョン・マギー

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ジョン・ギレスピー・マギーJohn Gillespie Magee1884年1956年)はアメリカ合衆国牧師

略歴[編集]

南京寧海路にある米国聖公会の庭で賛美歌が歌われている様子(1937年12月、南京陥落後[1]。マギーは米国聖公会の教会牧師だった[2]

アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグ出身。イェール大学で学んだ後、マサチューセッツ州の神学校に移っている。1912年から1940年まで中華民国で、米国聖公会伝道団の宣教師として活動し、南京下関地区で教会を主催してキリスト教布教と医療活動を行った。

日本軍による南京占領期間中は、南京国際赤十字委員会委員長・南京安全区国際委員会委員を務め、外国人の大邸宅を借用して難民を収容した。日本軍による南京事件について記録・証言をする一方で、日本人将兵の良心的な行動も評価して記録している[3]

極東国際軍事裁判での証言[編集]

極東国際軍事裁判(東京裁判、1946年1948年)では南京事件の証人として証言台に立ち、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に膨大な証言を行った[4]。例えばその中の夏淑琴事件の場合、マギーは現場で死体を確認し、関係者から事情聴取を行った上で証言を行っている[5]

これに対してブルックス弁護人は「それでは只今のお話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなたご自身いくらくらいご覧になりましたか」との反対尋問を行い、マギーは「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思いますが、ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」と回答し、日本兵に後ろから誰何されて驚いて逃げ出した中国人が、竹垣があって行詰りになったために逃げられなくなったところを、日本兵が追い詰めて殺した件のみが自身が目撃したものと証言した[6]

上記の目撃証言について、渡部昇一田中正明等はマギーが直接目撃したのが、逃走した不審者を合法的に射殺した事案のみで、違法な残虐行為は一件も目撃していない事、及び未検証の伝聞をもとに証言をしている事などを挙げて、マギー証言の信憑性に疑問をなげかけている[7][8]。一方これに対して、洞富雄藤原彰渡辺春己等は「“唯僅か一人の事件だけは自分で目撃致しました”と、正直に陳述しているだけのことである」(洞)[9]、「安全区で、もっぱら怪我人や強姦の被害者の救護活動をしていたマギーが殺害現場に立ち会わなかったのは当然で、マギー証言の意義は夥しい数の被害者と接していたことにこそあるのだ。(中略)それらを無視して、殺害現場を見たのは一人だけだという部分のみが、何回も持ち出されるのである」(藤原)[10]、「否定派はマギー証言の断片だけを切り取り、殺害、強姦の瞬間を目撃しなければ、死体があっても、被害女性がいても、「伝聞」であり、事実として認定できないという暴論を平然と主張するのである」(渡辺)[11]と反論している。

また、ブルックス弁護人は「強姦の現行犯をご覧になったことがありますか。もしあるとすれば、それはいくつくらいでありますか」との反対尋問も行い、マギーは「私が見ましたのは、一人の男が実際に強姦行為をしていたのであります。もう一つの二人の男というのは、女の子と寝台に横たわっていたのでありますが、その父親のいうには、私がその所に行きますよりすでに前に強姦していたということであります」と答えている[12]

「マギーフィルム」について[編集]

マギー牧師が日本軍占領期間中の中華民国の南京で、南京事件の犠牲者・被害者を撮影したと解説する8リールの16ミリフィルム(通称「マギーフィルム」)がある。その多くは南京難民区内の鼓楼病院で撮影されたもので、字幕の説明によれば、日本軍の暴行を受けた幼い子供や女性、中国兵や民間人の死体等が映っている。フィルムの解説文はドイツ外交文書『ローゼン報告』の中で読むことができる[13]。なお虐殺場面とされる映像については字幕の説明のみで肝心の映像は写ってなく、写っている死体が戦闘で死んだものなのか、虐殺されたものなのか日本軍の手によるものなのか、中華民国軍の敗残兵の手によるものかなど、記録映像として疑問を呈する声もある[14]

このフィルムは、のちにジョージ・アシュモア・フィッチらが1938年1月に上海へ持ち出して4セットのコピーを作製し、それらのうち1セットは南京ドイツ大使館にいたドイツの外交官ゲオルク・ローゼン博士によってドイツ外務省に送られた。

同年4月に渡米したフィッチはロサンゼルスを皮切りに全米各地で映写会を開いて日本軍の蛮行を訴えることに使用し、渡米の主目的であるワシントンでは国務次官のスタンレイ・ホーンベックをはじめ下院の外交委員会、戦時情報局などの要人、新聞記者などの報道関係者にもフィルムを見せている[15]。このフィルムは、1938年5月16日の「LIFE」誌においても紹介された[16]が、極東国際軍事裁判に証拠として提出されることはなかった[14]

オリジナルフィルムは長年行方不明になっていたが、香港中文大学によれば、1991年、マギーの次男デヴィット・マギーの自宅から再発見されたという[17]

脚注[編集]

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  1. ^ 「南京は微笑む 城内点描」『朝日新聞』1937年12月25日付朝刊、3面
  2. ^ 田中正明, What really happened in Nanking - The refutation of a common myth, 世界出版, page 123, ISBN 4916079078
  3. ^ 笠原十九司『南京難民区の百日』(岩波書店、1995年)
  4. ^ 木暮山人参議院議員は、南京攻略戦時に大隊長を務め南京とその周辺の警備に当たっていた森王琢の「検事側の証人としてマギーは二日間にわたって詳細に証言したが、ブルックという弁護士が反対質問で問いつめると二日にわたって証言したことは全部ウソで結局窃盗と婦女暴行が各一件だけあることが判明し、法廷で笑い物になった」という言葉を国会で紹介している(1994年10月27日 参議院文教委員会(第131回国会 文教委員会 第2号)”. 参議院 (1994年10月27日). 2009年5月26日閲覧。)。
  5. ^ 「マギー牧師の解説書」参照=『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年)資料51
  6. ^ 『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、1999年)
  7. ^ 田中正明『“南京虐殺”の虚構』(日本教文社、1984年)
  8. ^ 渡部昇一「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヶ条」(『諸君!』1984年3月号)
  9. ^ 洞富雄『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社、1986年)P23、ISDN4-02-255451-7
  10. ^ 藤原彰「「東京裁判によるデッチ上げ」説こそがデッチ上げ」=『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、1999年)所収(P20)
  11. ^ 渡辺春己「証拠をご都合主義的に利用しても正当な事実認定はできない」=『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、1999年)所収(P194)
  12. ^ 『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、1999年)
  13. ^ 邦訳『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年)
  14. ^ a b 國民新聞』1991年7月25日、1-2面。同紙は、その多くが戦争の一場面として病院で中国人が治療を受けている姿であり、ひとつとして「大虐殺」の証拠となるものはなく、東京裁判においても南京虐殺の証拠として提出されることもない上、フィルム再発見の確認の決め手となった『ローゼン報告』は日本軍が南京入城する一週間前、上海に脱出していたローゼン政務書記官がまとめたものであり、このため同書記官の証言は根拠をもたない、と主張している。
  15. ^ 笠原十九司『アジアの中の日本軍』(大月書店、1994年)
  16. ^ 2.マギー牧師撮影の日本軍暴行写真”. 写真でみるドキュメント 南京大虐殺の真実. pp. 158 (1938年5月16日). 2009年5月7日閲覧。
  17. ^ About Reverend Magee's Documentary

参考文献[編集]