ジャッキー・クーパー

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ジャッキー・クーパー
Jackie Cooper
ジャッキー・クーパー Jackie Cooper
1956年
本名 John Cooper, Jr.
生年月日 (1922-09-15) 1922年9月15日
没年月日 (2011-05-03) 2011年5月3日(88歳没)
出生地 ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優、映画監督
活動期間 1929年 - 1990年
配偶者 June Horne (1944–1949)
Hildy Parks (1950–1951)
Barbara Kraus (1954-)
主な作品
年ごろ
地獄への逆襲
スーパーマン』シリーズ
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ジャッキー・クーパーJackie Cooper、本名:John Cooper, Jr.[1](ジョン・クーパー・Jr)、1922年9月15日 - 2011年5月3日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の映画監督俳優

子役スターと呼ばれて[編集]

叔父は映画監督であるノーマン・タウログ。3歳のころ、叔父の影響もあって初めて映画に主演。ハル・ローチ作品の短編でキャリアをスタートさせる。その後、子役スターとして売り出し、叔父の監督作品『スキピイ』でアカデミー主演男優賞候補となった。健康的で、けな気な少年像を大切にしつつ、様々な役柄にも挑戦。『チャンプ』、『バワリイ』などが代表作となるが10代後半ともなると、さすがに役がつかなくなり活動が難しくなった。そして第二次世界大戦勃発と共にその存在は忘れられ、俳優としては困難に立たされる。ブロードウェイ進出を目論んだが、これも失敗。ついに引退を決意する。

名バイプレイヤー[編集]

1960年代、『戦慄の第四帝国』などのTV作品に出演を続けながらカムバックを狙っていたクーパーは、70年代に至るまで夥しい数のドラマに出演し、やがて再び顔が知られるようになる。実直、かつ沈着で観るものに安心感を与える存在感で、かつての子役時代とは趣を異にするような新境地を切り開き、やがてパニック物やサスペンス物の顔とまで呼ばれるようになる。

俳優活動と同時に、1964年ごろよりスクリーン・ジェームズ社TV製作部門の副社長としても手腕を発揮、退任後は1970年より多数のTV製作、監督を手がける。また映画では『スーパーマン』シリーズで主人公クラークの上司となるデイリー・プラネット社・編集長ペリー・ホワイト役で人気を博し、全作に登場。トム・ハンクスと共演した主演作『恋はお手あげ』では、軽妙な味のある演技を披露している。1989年に俳優業を引退した[2]

2011年5月3日、病気のため死去[3]。89歳没。

作品[編集]

Broadway to Hollywood』(1933年)
『Gallant Sons』(1940年)

監督業にまつわるトリビア[編集]

ジャッキーは『署長マクミラン』シリーズの作品である、「AFFAIR OF THE HEART」(日本未放映)の監督を手がけているが、実はこの物語のシナリオは、『刑事コロンボ』のために書かれながら、没になったシナリオを『マクミラン』シリーズの作品用に転用したものである。なお、『刑事コロンボ』としては、「華麗なる罠」のタイトルで1990年に放送されている。

脚注[編集]

  1. ^ Birth certificate name was not "Cooperman", but "Cooper" - his father's surname. Confirmed at the State of California. California Birth Index, 1905-1995. Center for Health Statistics, California Department of Health Services, Sacramento, California.
  2. ^ Jackie Cooper IMdb Database
  3. ^ ‘Superman’star Cooper dead Toronto Sun 2011-5-4

外部リンク[編集]