ウーゴ・マラドーナ
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | トゥルコ | |||||
| カタカナ | ウーゴ・エルナン・マラドーナ | |||||
| スペイン語 | Hugo Hernán Maradona | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 生年月日 |
1969年5月9日 ブエノスアイレス州ラヌース | |||||
| 没年月日 |
2021年12月28日(52歳没) モンテ・ディ・プローチダ | |||||
| 身長 | 165cm | |||||
| 体重 | 69kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1987 |
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| 1987-1988 |
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| 1988-1990 |
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| 1990 |
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| 1990 |
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| 1991 |
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| 1992-1994 |
| 49 | (31) | |||
| 1995-1996 |
| 48 | (35) | |||
| 1997-1998 |
| 56 | (15) | |||
| 1999-2000 |
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| 通算 | 153 | (81) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1985 |
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| 監督歴 | ||||||
| 2004-2005 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ウーゴ・エルナン・マラドーナ(スペイン語: Hugo Hernán Maradona、1969年5月9日 - 2021年12月28日)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース出身のサッカー選手、サッカー指導者。
実兄は元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ。
来歴
[編集]兄ディエゴ同様に若い頃から才能に注目され、1985年にアルヘンティノスでプロデビュー。アルゼンチンJrユース代表として同年夏に1985 FIFA U-16世界選手権に出場。その後1987年に兄ディエゴの在籍するイタリアのナポリへ移籍(ディエゴがクラブへ懇願したといわれる)。しかしナポリは同時に当時世界最高クラスのFWであったカレカを獲得したため、外国人枠によりアスコリに貸し出されることとなる。兄弟でのプレーを期待する声も多かったがその後は伸び悩み、欧州のクラブを転々とするようになった。
1992年に日本のPJMフューチャーズに入団。当時のPJMは将来のJリーグ参入とディエゴ・マラドーナ獲得を掲げ話題となっていたが、ウーゴの移籍は「兄を呼び入れるための布石だ」とファンやマスコミの間で推測された。[要出典]結果として兄弟でのプレーはディエゴの薬物問題によって実現することはなかった。1995年から1996年には福岡ブルックス /アビスパ福岡、1997年から1998年にはコンサドーレ札幌に所属し、攻撃的MFとしてそれぞれのクラブでJリーグ昇格に貢献した。1995年のJFLオールスターサッカーのメンバーに選出され、バウタザールの決勝点をアシストした[1]。
また、2004年から2005年までユナイテッドサッカーリーグ(USL、2部リーグに相当)所属のプエルトリコ・アイランダースで監督を務め、その後もボーイズ・クアルト(Boys Quarto)、ASDマリアーノ・ケラー、レアル・パレテ(Real Parete)でも監督を歴任した[2]。
2015年9月にアビスパ福岡のクラブ創設20周年記念のOB戦出場のために訪日した[3]。
2021年12月28日、イタリア・モンテ・ディ・プローチダの自宅で心臓発作により死去したと報じられた[2][4][3]。
所属クラブ
[編集]- 1985年 - 1987年
AAアルヘンティノス・ジュニアーズ - 1987年 - 1988年
アスコリ・カルチョ1898 FC - 1988年 - 1989年
ラージョ・バジェカーノ - 1990年
SKラピード・ウィーン - 1990年
デポルティーボ・イタリア - 1991年
CAプログレッソ - 1992年 - 1994年
PJMフューチャーズ - 1995年 - 1996年
福岡ブルックス / アビスパ福岡 - 1997年 - 1998年
コンサドーレ札幌 - 1999年 - 2000年
CAアルミランテ・ブラウン (アレシーフェス)
個人成績
[編集]| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
| 1990 | ウィーン | ブンデス | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1992 | PJM | 7 | 東海 | 12 | 7 | - | - | 12 | 7 | ||
| 1993 | 9 | 旧JFL2部 | 16 | 7 | - | 0 | 0 | 16 | 7 | ||
| 1994 | 旧JFL | 21 | 17 | - | 1 | 0 | 22 | 17 | |||
| 1995 | 福岡B | 10 | 27 | 27 | - | 3 | 0 | 30 | 27 | ||
| 1996 | 福岡 | ‐ | J | 21 | 8 | 10 | 4 | 0 | 0 | 31 | 12 |
| 1997 | 札幌 | 10 | 旧JFL | 28 | 10 | 8 | 9 | 1 | 0 | 27 | 19 |
| 1998 | J | 28 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 32 | 6 | ||
| 通算 | オーストリア | ブンデス | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
| 日本 | J | 49 | 13 | 14 | 5 | 0 | 0 | 63 | 18 | ||
| 日本 | 旧JFL | 76 | 54 | 8 | 9 | 5 | 0 | 81 | 54 | ||
| 日本 | 旧JFL2部 | 16 | 7 | - | 0 | 0 | 16 | 7 | |||
| 日本 | 東海 | 12 | 7 | - | - | 12 | 7 | ||||
| 総通算 | 156 | 81 | 22 | 13 | 5 | 0 | 175 | 86 | |||
その他の公式戦
- 1998年
- J1参入決定戦 3試合0得点
- Jリーグ初出場 - 1996年3月16日 第1節 ジュビロ磐田戦 (磐田)
- Jリーグ初得点 - 1996年4月 3日 第5節 ジェフユナイテッド市原戦 (市原)
タイトル
[編集]- 福岡ブルックス
- ジャパンフットボールリーグ:1回(1995)
- コンサドーレ札幌
- ジャパンフットボールリーグ:1回(1997)
指導歴
[編集]- 2004年 - 2005年
プエルトリコ・アイランダース
脚注
[編集]- ↑ 1995年は福岡ブルックス
出典
[編集]- ↑ 週刊サッカーマガジン 1995年8月30日 32-33ページ
- 1 2 “マラドーナ氏の弟ウーゴ氏が心不全で52歳死去 福岡、札幌にも所属”. 日刊スポーツ. (2021年12月28日) 2021年12月28日閲覧。
- 1 2 『【追悼】ウーゴ マラドーナ氏死去の報道を受けて』(プレスリリース)アビスパ福岡、2021年12月29日。2023年1月15日閲覧。
- ↑ “ディエゴ・マラドーナさんの弟が死去 伊紙報道、日本でもプレー”. サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2021年12月28日. p. 1. 2021年12月28日閲覧.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウーゴ・マラドーナ - Soccerway.com
- ウーゴ・マラドーナ - FootballDatabase.eu
- ウーゴ・マラドーナ - WorldFootball.net
- ウーゴ・マラドーナ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ウーゴ・マラドーナ - FIFA主催大会成績
- ウーゴ・マラドーナ - J.League Data Siteによる選手データ
- ウーゴ・マラドーナ - playmakerstats.com