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ウクライナ民族主義者組織

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウクライナ民族主義者組織
独ソ戦に参加

メーリヌィク派のエンブレム(上)
バンデーラ派のエンブレム(下)
活動期間 1929年-1950年代
活動目的 ウクライナ独立
反ロシア
反ソビエト
反ポーランド
反ナチス
反共主義
反ハンガリー英語版
反ルーマニア英語版
反セム主義
国家コーポラティズム
指導者 イェヴヘーン・コノヴァーレツ
活動地域 西ウクライナ
前身 ウクライナ軍事組織
後継 OUN-Mウクライナ語版
OUN-Bウクライナ語版
関連勢力 ウクライナの旗 ウクライナ人民共和国亡命政府
敵対勢力 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ポーランドの旗 ポーランド
チェコの旗 チェコスロバキア
ハンガリー王国
ルーマニアの旗 ルーマニア王国
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ウクライナ民族主義者組織(ウクライナみんぞくしゅぎしゃそしき、ウクライナ語: Організація українських націоналістів英語: Organization of Ukrainian Nationalists、OUN とも)はかつてウクライナに存在したウクライナ独立、反ポーランド、反ソ連を掲げる独立運動組織。 1929年1月28日にオーストリアのウィーンで結成[1]。後には反ナチスも掲げた。

概要

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ウクライナ民族主義者組織の初代指導者、イェヴヘーン・コノヴァーレツ

1920年に、チェコスロヴァキアプラハで亡命ウクライナ人によって反ポーランド組織、ウクライナ軍事組織が結成されイェヴヘーン・コノヴァーレツが指導者となったが1929年には、学生組織と合同して新たに「ウクライナ民族主義者組織」となった。

戦間期序盤、ウクライナはソ連ポーランドルーマニア王国チェコスロバキアによって分割されていた。OUNは特にソ連とポーランドを敵視しており、その主な理由はソ連によるホロドモールとポーランドによるパシフィカツィアウクライナ語版であった。

OUNは、一時2万人の組織員を抱え、ポーランドやソ連の要人の暗殺、政府施設の破壊などの武力闘争を行うとともに、さまざまな宣伝活動や啓蒙活動も行った。代表例としては、1934年6月15日には、ポーランド内務大臣ブロニスラフ・ピエラキ(Bronisław Pieracki)をワルシャワにて暗殺した。

アンドリイ・メーリヌィク

しかし、1938年5月23日にコノヴァーレツィがパヴェル・スドプラトフ(OUNに潜入していたNKVD諜報員)によって暗殺された。

1939年にカルパト・ウクライナ共和国がチェコスロバキアから独立した際、OUNは同国の建国に関わった。しかし、同国はハンガリー王国によるカルパト・ウクライナ侵攻ウクライナ語版によって消滅した。

1940年、組織は経験豊富な穏健派によって支持されたアンドリイ・メーリヌィクウクライナ語版の派閥(OUN-Mウクライナ語版)と、民族主義的な若者から支持されたステパーン・バンデーラの派閥(OUN-Bウクライナ語版)とに分裂し、互いに武力闘争をおこなった。

1941年6月22日に独ソ戦が開始し、ドイツ軍がウクライナを占領すると両派とも当初は歓迎した。だが、6月30日にウクライナ国ウクライナ語版の独立を宣言した際には、ドイツは両派の指導者を逮捕し武力でこれを押さえ込もうとした。組織は地下に潜り、OUN-Bの一部は1942年に組織されたウクライナ蜂起軍(UPA)のもとに再び集結し、ドイツ軍とソ連軍双方に対する激しいパルチザン活動を行った。また、ドイツと同盟を組んでいたハンガリーの軍隊とも交戦している。

日本とは1930年代に満州の亡命ウクライナ人を通じて接触があったが軍部が白系ロシア人のロシアファシスト党を支援するようになると打ち切られた。

脚注

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  1. 中井 1998:040.

参考文献

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  • (日本語) 岡部芳彦「1937 年のウクライナ民族主義者組織グループ来日とハルビンでの活動━フリホリー・クペツィキーと日本人━」『東洋研究』88 号(ウクライナ国立科学アカデミー・クリムスキー記念東洋学研究所発行)2021年.ウクライナ語版日本語版
  • (日本語) 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
  • (日本語) 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年. ISBN 4121016556
  • (日本語)中井和夫著 『ウクライナ・ナショナリズム』東京大学出版会、1998年.

外部リンク

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