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インドネシア国立航空宇宙研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インドネシア国立航空宇宙研究所
正式名称 Lembaga Penerbangan dan Antariksa Nasional
日本語名称 インドネシア国立航空宇宙研究所
英語名称 National Institute of Aeronautics and Space
略称 LAPAN
所在地 インドネシア
ジャカルタ
予算 2000万米ドル(2009)
所長 Adi Sadewo Salatun
設立年月日 1964年11月27日
ウェブサイト http://www.lapan.go.id/ www.lapan.go.id
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2015年までLAPANのロゴ。
LSU-02(LAPANが開発したUAV)

インドネシア国立航空宇宙研究所(インドネシアこくりつこうくううちゅうけんきゅうじょ、インドネシア語: Lembaga Penerbangan dan Antariksa Nasional - LAPAN英語: National Institute of Aeronautics and Space)はインドネシア宇宙機関1964年11月27日にインドネシアスハルト前大統領によって設立された。大統領諮問委員会である国家航空宇宙会議(DEPANRI)のもと、研究技術省と連携した大統領直轄の研究所で、リモートセンシング衛星データの活用と上層大気の研究開発を主要な活動としている[1]。過去20年間以上にわたって人工衛星、主にパラパ衛星を含む通信衛星を運用しており、これらはヒューズ(現:Boeing Satellite Systems)によって製造され、アメリカデルタロケットや、欧州のアリアン4アリアン5ロケットによって打ち上げられた。

歴史

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1962年5月31日、インドネシアジュアンダ首相によって宇宙航空委員会(Aeronautics Committee)が開設されたときにインドネシアの宇宙航空開発は始まった。

1962年9月22日、AURI(Indonesian Air Force)とバンドン工科大学が提携する形でPRIMA計画(インドネシア語: Proyek Roket Ilmiah dan Militer Awal、最初の科学及び軍事ロケット計画)が始まった。このプロジェクトの成果として2つのカルティア(Kartika、星)ロケットシリーズとテレメトリー兵器の打上げが行われた。

2年間に及ぶ国家支援のない非公式プロジェクトの後、1963年にインドネシア国立航空宇宙研究所が第236大統領命令によって設立された。

人工衛星

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  • パラパ静止通信衛星シリーズ
  • 小型衛星LAPANの開発  LAPAN-TUBSAT(LAPAN-A1)は、ドイツのベルリン工科大学の協力下で開発し、2007年にインドのロケットで打ち上げられた小型地球観測衛星。2015年には、後継機のLAPAN-A2、LAPAN-A3の打ち上げを計画している。

ロケット

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国際協力

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太陽活動小期観測年(IQSY)のため日本からカッパロケットを10基輸入して1965年8月に発射した。 しかし、発射記録は3機のみで7機が不明となっておりインドネシアの隣国、マレーシア政府より軍事利用の疑いがあるとして抗議を受けている。

2006年12月ロシア連邦と、2008年10月ウクライナと宇宙空間平和利用探査協力協定を締結している[1]。またアジア太平洋宇宙協力機構に加盟している。

ビアク島にはインドのロケットであるGSLVの追跡局が設置されている[1]

脚注

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  1. ^ a b c インドネシア航空宇宙研究所”. JAXA. 2010年9月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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