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アンドレ・グライペル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレ・グライペル
André Greipel
基本情報
本名 アンドレ・グライペル
André Greipel
愛称 ゴリラ
生年月日 (1982-07-16) 1982年7月16日(42歳)
国籍 ドイツの旗 ドイツ
身長 183cm
体重 80kg
選手情報
所属 イスラエル・スタートアップネイション
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 スプリンター
プロ経歴
2005 チーム・ヴィーゼンホフ
2006 - 2007 T-モバイル
2008 チーム・ハイロード
2009 - 2010 チーム・コロンビア=ハイロード
チーム・コロンビア=HTC
2011 オメガファーマ・ロット
2012 - 2014 ロット・ベリソル
2015 - 2018 ロット・ソウダル
2019 アルケア・サムシック
2020 - イスラエル・スタートアップネイション
主要レース勝利
ツアー・ダウンアンダー総合優勝 (2008, 2010)
 区間通算18勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞 (2009)
ツール・ド・フランス 通算11勝
ジロ・デ・イタリア 通算7勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算4勝
ドイツの旗 ドイツ選手権 ロード(2013)
フィラデルフィア・インターナショナル (2009)
トロフェオ・マガリュフ= パルマノバ (2010)
パリ〜ブールジュ(2009)
ノイゼーン・クラシクス - ルント・ウム・ディー・ブラウンコーレ(2009)
ミュンスターラント・ギーロ(2008)
パリ~ニース 区間通算2勝
獲得メダル
ロードレース
世界選手権
2011 コペンハーゲン 個人ロード
最終更新日
2019年1月29日

アンドレ・グライペルAndré Greipel1982年7月16日- )は、ドイツロストック出身の自転車競技選手。

経歴

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2006年、T-モバイル(後の HTC - ハイ・ロード)に移籍。

2008年、ジロ・デ・イタリアに出場。区間優勝を十分に狙える脚を持ちながら、最終発射台としてエースのマーク・カヴェンディッシュの区間2勝に貢献。すると、終盤の第17ステージにおいて完璧な仕事をしたトレインの最終発射台として最終直線で先頭に出ると、追走するカヴェンディッシュは後方を牽制しながら速度を緩め、そのまま見事な仕事をしていたグライペルに勝利を譲った。しかしこのジロ限りでマーク・カヴェンディッシュとともに同チームから出場することはなくなった[注釈 1]

2009年、ブエルタ・ア・エスパーニャで並み居る強豪スプリンターたちを抑え、ポイント賞と区間4勝を獲得。

2011年、チーム・HTC-コロンビアでは充分な機会が与えられないことを不満に思い[注釈 2]オメガファーマ・ロットに移籍。同年、初出場したツール・ド・フランスにてカヴェンディッシュを破り第10ステージで優勝。

2012年、ツールではカヴェンディッシュに加えスロバキアの超新星、ペーター・サガンとの区間争いとなり、3人の中では最年長ながら区間3勝をあげた。

2013年はドイツチャンピオンとしてツールに参戦。序盤のスプリントステージで昨年の三つ巴合戦になり、第6ステージでサガンを抑えて優勝。しかし、その後のスプリントステージでは同胞の若手マルセル・キッテルの後塵を拝し続け、結局区間1勝に終わった。

2014年、ドイツ選手権を連覇し臨んだツールでは、昨年大ブレークしたキッテルに苦戦するも、キッテルがトラブルで遅れていたとはいえ、第6ステージで意地の勝利をあげた。

2015年はジロに出場。マイケル・マシューズエリア・ヴィヴィアーニら若い世代が活躍するなか第6ステージで優勝。その後、ツールに備えリタイアドイツ選手権3連覇とはいかなかったが、ツールでは最初のスプリントステージである第2ステージでサガンを僅かに交わして優勝。念願のマイヨ・ヴェールに袖を通す。第5ステージでもサガンの猛烈な追い上げを封じて2勝目をあげる。 ピレネー山脈ステージを終え、久々のスプリントステージとなった第15ステージでは、サガン、アレクサンダー・クリストフヨーン・デーゲンコルプの追撃を抑え3勝目を勝ち取る。そして、スプリンターが最も欲するタイトルの1つであるパリシャンゼリゼの勝利を目指し最終第21ステージへ。ブリアン・コカールの急激な猛加速をも抑え、区間4勝、シャンゼリゼでの勝利を飾り、グライペルにとって最高ともいえるツールとなった。

2016年は昨年と同じくジロツールに出場。ジロでは中盤までにポイント賞ジャージと区間3勝を獲得していたが昨年同様ツールのためリタイア。ツールでは復活したカヴェンディッシュやロンド・ファン・フラーンデレンを制した好調サガンの前に苦戦。しかし最終第21ステージでは2年連続で優勝し、何とかグランツール連続出場ステージ優勝記録を更新した。

2017年は100回記念大会となったジロに3年連続出場。しかしコロンビアの新星フェルナンド・ガビリアの強さに屈し続けるも、第2ステージで優勝し、1日だけながら、初めてマリア・ローザを着用した。 ツールでは好調なキッテルの力にグライペルだけでなく他のスプリンターたちも圧倒されてきたが、当のキッテルが第17ステージでリタイアしたため、シャンゼリゼで3年連続優勝を狙ったもののディラン・フルーネヴェーヘンに僅かに届かず、区間優勝なしのツールとなった。それと同時に、グランツール連続出場ステージ優勝記録が12で途絶えた。

2020年は成績が振るわず、プロ入り以降初となる年間0勝に終わった。

2021年は2勝を挙げ、最後のレースとなったシュパルカセン・ミュンスターラント・ジロでは終盤まで先頭集団で優勝争いに加わったが、最終的に10位となり現役選手生活に終止符を打った。

特徴

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強力なスプリント力を持つ、典型的なスプリンタータイプの選手。チームHTC-コロンビア在籍時代の2009年にはチーム内2位の20勝をマークし、チーム内1位の26勝を上げたマーク・カヴェンディッシュと並ぶチームHTC-コロンビアのスプリンター2枚看板として、ステージレースにおける区間優勝ハンターとして活躍していた。リドレーの製品開発にも協力している。

エピソード

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  • 2017年のツールの応援歌として、自身の愛称であるゴリラにちなみ『GO GORILLA』という曲を自ら歌っている[1]

主な戦績

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2005年

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2006年

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2007年

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  • ザクセン・ツアー 区間2勝(第1,2)

2008年

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2009年

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2010年

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2011年

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初出場したツール・ド・フランス2011にて

2012年

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パリ~ルーベ2012にて

2013年

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ロンド・ファン・フラーンデレン2013にて

2014年

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2015年

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ツール・ド・フランス2015にて

2016年

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ツール・ド・フランス2016にて

2017年

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2018年

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2019年

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2021年

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脚注

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注釈

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  1. ^ しかしながらグレッグ・レモンベルナール・イノーの関係(確執)というよりは、ジーノ・バルタリファウスト・コッピのような『良きライバル』関係のほうが近い。
  2. ^ グライペルはツール・ド・フランスに出場したかったが、先にツールで成績を残したカヴェンディッシュが毎年エースになる状況を不満に思い、ツールに出場するために移籍した、とも言える。

出典

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外部リンク

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