アンドレイ・グレチコ

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アンドレイ・アントノヴィチ・グレチコ
Andrej Grecko 1945.jpg
1945年
外国語 Андрей Антонович Гречко
生誕 1903年10月4日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ロストフ州ゴロダエフカ村
死没 1976年4月26日(満72歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of the Russian SFSR.svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ
所属組織 Red Army flag.svg 赤軍
ソビエト連邦の旗 ソ連地上軍
軍歴 1919年 - 1976年
最終階級 ソ連邦元帥
署名 A Grechko 2.jpg
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アンドレイ・アントノヴィチ・グレチコАндрей Антонович Гречко1903年10月4日 - 1976年4月26日)は、ソビエト連邦政治家軍人ブレジネフ時代に国防相を務めた。

経歴[編集]

ロストフ州クイブイシェフスキー地区ゴロダエフカ村に生まれる。1919年内戦赤軍に入る。1926年、騎兵学校を卒業し、小隊長、中隊長を歴任。1928年ソ連共産党に入党する。1936年、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業する。1938年10月から特別騎兵師団参謀長となり、1939年の西白ロシア(ポーランド)侵攻に参加。1941年、参謀本部軍事アカデミーを卒業。

第二次世界大戦では、1941年7月から第34騎兵師団長、1942年1月から第5騎兵軍団長、同年3月から南部戦線の作戦軍集団を指揮、4月から第12軍司令官、9月から第47軍司令官、10月から第18軍司令官。第18軍司令官在任時、同軍政治部長であったブレジネフとは戦友であり、その後、第4ウクライナ方面軍でもともに戦う。1943年1月から第56軍司令官、同年10月からヴォロネジ戦線(10月20日から第1ウクライナ戦線)副司令官、12月から第1親衛軍司令官。

終戦後、キエフ軍管区司令官。1953年から1957年まで駐独ソ連軍総司令官。この間1955年ソ連邦元帥となる。1957年11月、国防第一次官兼地上軍総司令官、1960年、国防第一次官兼ワルシャワ条約機構軍総司令官を経て、1967年3月、死去したマリノフスキー国防相の後任となる。1973年4月、ソ連共産党中央委員会総会でアンドレイ・グロムイコ外相とともに政治局員に選出される。軍幹部の政治局入りは、元国防相のゲオルギー・ジューコフ元帥以来のことで、ソ連における軍の台頭として注目された。国防相在職中の1976年4月26日、急死した。

パーソナル[編集]

1961年~1976年、ソ連共産党中央委員会委員(1952年から委員候補)。1973年~1976年、ソ連共産党政治局員。第2期~第9期ソ連最高会議代議員。

レーニン勲章6個、赤旗勲章3個、一等スヴォーロフ勲章2個、一等クトゥーゾフ勲章2個、一等ボグダン・フメリニツキー勲章2個、二等スヴォーロフ勲章を受章。チェコスロバキア社会主義共和国英雄。

公職
先代:
ロディオン・マリノフスキー
ソビエト連邦の旗 ソ連国防大臣
1967年 - 1976年
次代:
ドミトリー・ウスチノフ
軍職
先代:
イワン・コーネフ
Logo The Warsaw Pact.jpg ワルシャワ条約機構統合軍総司令官
1960年 - 1967年
次代:
イワン・ヤクボフスキー
先代:
ワシーリー・チュイコフ
ソビエト連邦の旗 ドイツ駐留ソ連軍総司令官
1953年 - 1957年
次代:
マトヴェイ・ザハロフ