アンジュラン・プレルジョカージュ

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2011年のプレルジョカージュ

アンジュラン・プレルジョカージュ(Angelin Preljoçaj, アルバニア語の発音は「プレリオチャイ」、1957年1月19日 - )は、フランスのコンテンポラリー・ダンス振付家、バレエダンサークラシック・バレエの伝統を踏まえつつも様々な分野のコンテンポラリー・アーティストと共同制作を行い、独自の様式を追求した作品を生み出している。1990年代初頭からパリ・オペラ座バレエ団に作品を提供している。1985年にバレエカンパニーを設立、後にこれをバレエ・プレルジョカージュフランス語版と改名し、1994年以降エクス=アン=プロヴァンスを拠点に活動している。

経歴[編集]

プレルジョカージュは、イヴァングラード(現モンテネグロベラネ)からの政治難民であったアルバニア系の両親の元、パリ近郊のシュシー=アン=ブリで生まれた[1]スコラ・カントルムでバレエとコンテンポラリーダンスを学んだ後、ニューヨークマース・カニンガムに師事。アンジェ国立振付センターでの勤務を経て、1982年にモンペリエドミニク・バグエ率いるカンパニーにダンサーとして参加する。

1984年、モンペリエ・ダンス・フェスティバルで振付家としてデビュー。1985年に自身のカンパニーを立ち上げた。1987年には、を学ぶため日本に滞在している。1990年、映画監督・コミック作家であるエンキ・ビラルを美術・衣装監督に迎えてプロコフィエフの『ロメオとジュリエット』をリヨン・オペラ座バレエ団のために振り付けた。

1993年、芸術監督であったパトリック・デュポンに招かれ、オペラ座バレエ・リュスへのオマージュとして『パラード』、『薔薇の精』、『結婚』の新解釈版の上演を行う[2]。そして翌年、プレルジョカージュは、初のパリ・オペラ座バレエ団のための振付作品である『ル・パルク』を完成させた[3]

また2000年代初頭には彼の振り付けで、日本人ダンサー白井沙(しらいなぎさ)が裸体にて美しいダンスを披露している。その後も、ニューヨーク・シティ・バレエ団ベルリン・ドイツ・オペラ等への作品提供や、ジャン=ポール・ゴルチエ衣装による『白雪姫』の演出など、精力的な活動を続けている。

振付作品[編集]

主な作品として、以下のようなものがある[4][5]

受賞歴・叙勲歴[編集]

映像作品[編集]

  • 『白雪姫』(2009年、バレエ・プレルジョカージュ)
  • 『エルドラド』(2008年、オリヴィエ・アサヤス監督、バレエ・プレルジョカージュ)
  • 『MC 14/22 (これは私の体)』、『メディアの夢』(2007年、パリ・オペラ座バレエ団)
  • 『ル・パルク』(1999年、デニス・カイオッツィ監督、パリ・オペラ座バレエ団)

脚注[編集]

  1. ^ Rosita Boisseau (2006). Panorama de la danse contemporaine. 90 chorégraphes. Paris: Éditions Textuel. p. 467 
  2. ^ Angelin Preljocaj et les Ballets russes, émission Musiques au cœur”. INA. 2011年11月13日閲覧。
  3. ^ “Preljocaj électrise le Bolchoï”. Le Figaro. (2010年9月20日). http://www.lefigaro.fr/culture/2010/09/20/03004-20100920ARTFIG00440-preljocaj-electrise-le-bolchoi.php 2011年11月13日閲覧。 
  4. ^ L'œuvre d'Angelin Preljocaj”. 2011年11月11日閲覧。
  5. ^ バレエ・プレルジョカージュ公式サイト

文献[編集]

プレルジョカージュの執筆によるもの
  • 『Parade』:ドミニク・フレタール、アンジュラン・プレルジョカージュ、黒田アキ、ティエリー・アルディッティ、ISBN 978-290803468-4
  • 『Le Journal du ballet Preljocaj』:バレエ・プレルジョカージュ(1997)
  • 『Pavillon Noir』:アンジュラン・プレルジョカージュ、ルディ・リッチョッティ、ISBN 978-291517319-2
プレルジョカージュに関する文献

外部リンク[編集]