アウミール・モライス・アンドラーデ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はモライス第二姓(父方の)はアンドラーデです。
アウミール Football pictogram.svg
名前
本名 アウミール・モライス・アンドラーデ
Almir Morais Andrade
愛称 ミール
ラテン文字 ALMIR
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1973-05-11) 1973年5月11日(45歳)
出身地 ラヴラスポルトガル語版
身長 178cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 ブラジルの旗 マツバラ
1994 ブラジルの旗 アトレチコ-PR
1995-1996 日本の旗 ヴォルティス徳島 39 (6)
1997 ブラジルの旗 パルメイラス
1997 ブラジルの旗 ゴイアス 5 (1)
1998 コロンビアの旗 アメリカ・デ・カリ
1998 日本の旗 ヴォルティス徳島 20 (4)
1999 日本の旗 FC東京 33 (8)
2000-2001 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan)[2] 54 (1)
2002 ブラジルの旗 アメリカ-SP
2003 ブラジルの旗 コリチーバ
2004 ブラジルの旗 リオ・ブランコ
2005-2006 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ[3]
2007 ブラジルの旗 ジュベントス
2008 ブラジルの旗 イトゥアーノ[4][3]
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アウミール・モライス・アンドラーデ(Almir Morais Andrade, 1973年5月11日 - )は、ブラジルミナスジェライス州ラヴラス出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

ボールキープ力と相手をマークする運動量が特徴のミッドフィールダー。

1998年夏に再訪日し、大塚FCヴォルティス徳島に復帰。長い脚を活かしたドリブルと[5]左足からの長短自在のパスで攻撃を掌握する絶対的な存在として活躍し[6]、同年の東京ガスFC戦では磯山和司の決勝点をアシストした。この試合の好プレーぶりが評価され、翌1999年にFC東京(東京ガスから改称)へ移籍。ボランチでゲームメイクを任されたが、ボール捌きに秀でた一方で、守備ではボールを追い掛け回してバランスを崩すことがあったため[6]、トップ下へとポジションを移すこともあった。

2000年からはコンサドーレ札幌へ期限付き移籍。チーム事情から攻撃面での仕事を求められたり、適任者が不在の場合にサイドのボジションを与えられたりと「中盤のなんでも屋」としての起用が多かった。チーム内で信用できるブラジル人選手に多くパスを出し、近くに日本人選手しかパスの選択肢がない場合には自分でドリブルでボールを持ち続けてしまうため「糸の切れた」との異名もつけられた。

JFLJ2で"発展途上"の状態にあったチームではレギュラーとしてチームを支え「昇格請負人」ともなったが[5]J1に昇格すると監督やフロントから力不足と判断される事が多く、トップカテゴリーであるJ1での試合出場は少なかった。敬虔なクリスチャンで[5]、静かで真面目な性格はファンから親しまれた。

2001年8月に札幌から突如解雇されたため[7] ブラジルへ帰国した[8]

現役を引退した後は、U-19南ミナスカップ(Taça Sul Mineira de Futebol Sub 19)の創設や[9]、同郷のアレモンカサッパらと共にラヴラス市立大学ポルトガル語版(UFLA) でプロジェクトを立ち上げるなど[10] 地元での社会貢献に尽力した。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1990 マツバラ
1991
1992
1993
1994 アトレチコ-PR
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1995 大塚 11 旧JFL 21 3 - 1 0 22 3
1996 18 3 - 1 0 19 3
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1997 パルメイラス
1997 ゴイアス 5 1
1998 アメリカ・デ・カリ
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1998 大塚 26 旧JFL 20 4 - 3 1 23 5
1999 FC東京 15 J2 33 8 6 0 4 4 43 12
2000 札幌 10 40 1 2 0 3 1 45 2
2001 J1 14 0 1 0 - 15 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2002 アメリカ
2003 コリチーバ
2004 リオ・ブランコ
2005 ポルトゥゲーザ
2006
2007 ジュベントス
2008 イトゥアーノ
通算 日本 J1 14 0 -
日本 J2 73 9
日本 旧JFL 59 10 -
ブラジル
総通算

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』p44
  2. ^ アウミール選手の期限付移籍期間を延長”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月25日閲覧。 FC東京 2000.12.12
  3. ^ a b Traffic apresenta Ituano 2008: comissão e 16 jogadores futebolinterior.com(ポルトガル語)
  4. ^ Perfil dos Jogadores (選手プロフィール・2008年)”. 2008年12月10日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年8月27日閲覧。(ポルトガル語)
  5. ^ a b c 『道新TODAY コンサドーレ札幌 祝J1昇格記念号』 北海道新聞社2000年、50頁。
  6. ^ a b 荒川裕治 『FC東京の挑戦』 小学館2001年、15-20頁。ISBN 978-4093860680
  7. ^ アウミール選手 解雇のお知らせ”. 2001年9月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年3月3日閲覧。 コンサドーレ札幌
  8. ^ アウミール選手帰国のお知らせ”. 2004年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月25日閲覧。 FC東京 2001.08.30
  9. ^ Três décadas depois, Olímpica corre atrás de novo título na Copa Sub 19 Lavras24horas 2011.11.24(ポルトガル語)
  10. ^ Ex-jogadores de Lavras apresentam projeto para estruturação do futebol de base e profissional na UFLA UFLA (2013年10月14日)(ポルトガル語)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]