たま電気自動車

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たま電気自動車
E4S-47
フロント
Tama-denki-jidosya01.jpg
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1947年 - 1950年
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドア セダン
駆動方式 FR
モーター 直流直巻モーター
最高出力 定格3.3kW(4.5ps)
変速機 2速
サスペンション 前:ロッド式ドラムブレーキ
後:ロッド式ドラムブレーキ
全長 3,035mm
全幅 1,230mm
全高 1,618mm
ホイールベース 2,000mm
車両重量 1,100kg
-自動車のスペック表-
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たま電気自動車は、1940年代後半から1950年代初頭にかけて、立川飛行機の流れを汲む東京電気自動車株式会社(1949年に本車両に因み「たま電気自動車株式会社」に改名、プリンス自動車工業株式会社の前身)が製造・発売していた電気自動車。車名は工場の位置する地名の「多摩」から命名された[1][2]

歴史[編集]

製造元の東京電気自動車は、日本の敗戦に伴い軍需産業からの撤退を余儀なくされた立川飛行機の関係者ら約200名によって立ち上げられた[1]

当時の日本ではガソリンの流通が統制されており安定した利用が期待できなかった一方で、電力に関しては山間部の水力発電所からの電力供給は滞りなく行われていたにも関わらず、電力を大量に必要とする工場などは多くが空襲により操業不能に陥っていたため、民間への供給にも余裕があった[3]。これらの理由により電気自動車が当時の現状に適していると判断され、早くも1946年には2台の試作車が作成された。

東京電気自動車の設立と同年の1947年に北多摩郡府中町の借工場で量産が始まり、派生型の開発と製造も行われていたが、1950年の朝鮮戦争勃発の煽りを受けてバッテリーの主要な原材料であるが高騰し、加えて同時期には電気自動車の開発を選択した最大の理由であったガソリンの供給状況が改善へ向かったため、1950年から1951年頃に全ての電気自動車の製造を終了した[1]

車種[編集]

  • EOT-46型 - 試作車。オオタ型トラックを流用して製作された[1]
  • EOT-47型 - 乗用車型に先行して発売されたトラック型。2人乗りで荷台には500kgまでが積載可能であった。
  • E4S-47型 - 乗用車型。タクシー等として運用された。1948年に商工省(現・経済産業省)が主催した第1回電気自動車性能試験において、航続距離96km、最高速度35km/hというカタログ記載値以上の突出した性能を発揮し、高い評価を受けた。2010年には日産自動車がレストアを実施しており、同社の座間事業所に動態保存されている。
  • E4S-48型 / E4S-49型 - 通称「たまジュニア」。1948年に発売されたモデルで、従来品の木骨鋼鈑張りではなく全鋼鈑製のボディを採用しているなど、外見が近代的なものに一新された。
  • EMS-49型 - 通称「たまセニア」。1949年に発売された5人乗り4ドアセダンタイプで、車格が拡大されたほか一度の充電で200kmの走行が可能となり、最高速も従来のたまを大幅に上回る55km/hまで引き上げられた。

脚注[編集]

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出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]