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[[2009年]][[10月29日]]に行われた[[2009年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[広島東洋カープ]]が内野手として4位指名し、交渉権を獲得。
[[2009年]][[10月29日]]に行われた[[2009年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[広島東洋カープ]]が内野手として4位指名し、交渉権を獲得。
指名先の広島では、二塁手・遊撃手としての育成を考えており、庄司本人も「赤色が大好きなので(広島の指名は)メチャクチャうれしかった。」とすでに入団に前向きな発言を残している。<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/p-bb-tp1-20091031-561436.html 金本ら輩出“広島4位”庄司は出世枠(2009/10/31 日刊スポーツ)]</ref>
指名先の広島では、高校1年時から密着マークを続けていた松本有史スカウト<ref>[http://www.shizushin.com/sports_news/shizuoka/20091031000000000018.htm 庄司(常葉橘高)「赤大好き」 広島指名あいさつ(2009/10/30 静岡スポーツ)]</ref>が指名挨拶の際に、今後は二塁手・遊撃手としての育成を考えている事や、4位指名は出世順位である事から社長の判断で庄司の指名が決断された事を話し、庄司本人も「赤色が大好きなので(広島の指名は)メチャクチャうれしかった。」とすでに入団に前向きな発言を残している。<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/p-bb-tp1-20091031-561436.html 金本ら輩出“広島4位”庄司は出世枠(2009/10/30 日刊スポーツ)]</ref>



遠投105m、50m6秒4、MAX149キロ。球種は2種類の[[スライダー (球種)|スライダー]]と[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[チェンジアップ]]。小学生の頃は巨人、中学生の頃は中日、高校では横浜ファンだが、ドラフトでは12球団OKでプロ入りを希望していた。(ただし、育成枠なら社会人行きを示唆
遠投105m、50m6秒4、MAX149キロ。球種は2種類の[[スライダー (球種)|スライダー]]と[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[チェンジアップ]]。小学生の頃は巨人、中学生の頃は中日、高校では横浜ファンだが、ドラフトでは12球団OKでプロ入りを希望していた。(ただし、育成枠なら社会人行きを示唆

2009年11月1日 (日) 01:16時点における版

庄司 隼人
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県沼津市
生年月日 (1991-06-21) 1991年6月21日(33歳)
身長
体重
175 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

庄司 隼人(しょうじ はやと、1991年6月21日 - )は、日本アマチュア野球選手常葉学園橘高校3年生。

来歴・人物

小学校1年時に今泉少年野球団で野球を始めて4年生から投手常葉橘中では3年生の時、エースとして軟式野球全国大会出場。初戦で延長の末敗れたものの11個の三振を奪い、MAXは144キロをマークするなど一躍その存在が知れ渡った。高等部進学後1年春から投手として登板。続く2試合目で初先発初完投と早くも好投手としての頭角を現し、1年秋にはチームのエースとなっていた。2年春には東海大会優勝に導く(創部46年目で初)。3年夏には県大会をほぼ一人で投げ抜き、決勝では投げては完封、打っては2打席連続ホームランと活躍し、常葉橘の甲子園初出場に大きく貢献する。甲子園では1回戦の旭川大高戦で5安打完封勝利。テンポの良い投球で球数は98球、試合時間はわずか1時間29分だった。3回戦の明豊とぶつかり延長12回まで縺れた末、敗退した。

2009年10月29日に行われたドラフト会議広島東洋カープが内野手として4位指名し、交渉権を獲得。 指名先の広島では、高校1年時から密着マークを続けていた松本有史スカウト[1]が指名挨拶の際に、今後は二塁手・遊撃手としての育成を考えている事や、4位指名は出世順位である事から社長の判断で庄司の指名が決断された事を話し、庄司本人も「赤色が大好きなので(広島の指名は)メチャクチャうれしかった。」とすでに入団に前向きな発言を残している。[2]

遠投105m、50m6秒4、MAX149キロ。球種は2種類のスライダーカーブチェンジアップ。小学生の頃は巨人、中学生の頃は中日、高校では横浜ファンだが、ドラフトでは12球団OKでプロ入りを希望していた。(ただし、育成枠なら社会人行きを示唆 [3]。) 投手というポジションにこだわりが強く、当初は投手一本でやっていきたかったが、巨人、広島、阪神オリックス日ハムなど五球団が挨拶に訪れ、多くは野手としての評価だったため、ドラフト指名前から内野手の練習を始めるなど野手でのプロ入りも視野に入れていた。 体格はやや小柄ながらも投打にセンスが高く、投手としても140キロ後半をコンスタントに超えるなど超高校級、俊敏なフィールディングにも評価は高い。打者としても高校では3番を打ち、高校通算25本塁打。打席での佇まいが広島の前田智徳に酷似しており、柔らかく左右に打ち分けるなど高い打撃センスを持っていた。 また3年夏の甲子園では同じく小柄ながら投打に高センスの明豊・今宮健太(ホークスドラフト1位指名)と12回延長でも真っ向勝負で熱戦を繰り広げるなど強く意識し、お互いを良き好敵手として認め合っている。

脚注