高根島

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高根島
所在地 日本の旗 日本 広島県尾道市
所在海域 瀬戸内海
所属諸島 芸予諸島
座標 北緯34度19分0秒 東経133度4分20秒 / 北緯34.31667度 東経133.07222度 / 34.31667; 133.07222座標: 北緯34度19分0秒 東経133度4分20秒 / 北緯34.31667度 東経133.07222度 / 34.31667; 133.07222
面積 5.57 km²
海岸線長 10.8 km
最高標高 322.0 m
高根島の位置(日本内)
高根島
     
プロジェクト 地形
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斜線部が高根島
2005年国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

高根島(こうねしま)は、日本瀬戸内海中部にある芸予諸島のひとつで、広島県尾道市に属す島である。

概要

島の山は高い嶺が連なり、島の名の由来となっている。かつては高嶺島(香根島)と表記されていたが、名前を改め高根島となった。みかんを主とした柑橘類の栽培が盛んである。瀬戸田水道を挟んだ向かいには生口島があり、両島は高根大橋(延長 205 m)で結ばれている[1]

歴史

律令国としては隣接の生口島とともに安芸国に属し、豊田郡であった。 江戸時代はその初頭を除き、広島浅野領である。

七軒竈

伝承に七軒竈というものがあり、高根島に最初に居住したのはこの7軒とされる。天福寺(天福寺という廃寺があったとされる)・寺屋敷(束石が遺構として残る)、真観寺という小字付近に7軒のほとんどが住んでいたとされる。実際、江戸期の屋敷跡がこの付近に集中する。(現在は農地となっており遺構はない。)

近世後期

戸数129戸、「民農余採樵また塩田なり」[注 1]

行政区

1889年明治22年)の市町村制施行時には高根島村として一島一村[2]。であったが、1944年昭和19年)に瀬戸田町と対等合併。2006年平成18年)1月10日には因島市とともに尾道市に編入される。

自然

風化花崗岩地質が主に占める標準的瀬戸内気候の土地である。夏季に雨量が少ない。一周11キロメートルに満たない島としては高い山を持つこと、穏やかな気候と海面からの強い反射光を生かし商品性の高いミカンを生産することから、昭和中頃には柑橘の名産地として全国に名を馳せた。

高根島石
高根島で産出される黒い石。海岸で波に洗われたものが、水をよく含み艶のある黒が美しいため、水石盆石として珍重されていたが、乱獲によって良いものは出土しない。
南西 5 km から撮影

島内に二つの山脈がある。

高根山
島の西側にある山脈・連峰(標高 310.2 m ・ 322 m ・ 157 m )。三つの嶺が連なる。山の南西部の形状から南端の峯は地元では「片富士」と呼ばれる。「滝山 / 瀧山」とも呼ばれ、山頂より少し下がった場所には、「石鎚山大峯山信仰」の役行者蔵王権現不動明王毘沙門天石像(それぞれ33センチメートル)の祠、33年に一度戒帳される「瀧山観音」を祀る観音堂があり、背後の大岩には西国三十三観音・薬師如来三尊の石像が祀られている。この観音堂へ続く山道の入り口には「大峯山」・「石鎚山」が併記された鳥居が残っている。ただし、農道拡幅のため10メートルほど山側に移設されている。また、瀧山の字名の通り過去には観音堂付近に少量ながら湧水があったが柑橘栽培のためのボーリング井戸の乱掘によって涸れてしまった。
龍王山
島の東側にある山脈・連峰(標高 218 m ・ 162 m )。中央部の峯に、その名の元となった「龍王」を祀る祠がある。

見どころ

神社

高根厳島神社(こうねいつくしまじんじゃ)
島内では尊敬を込めて「赤宮(あかみや)」と呼ぶ。イツキシマノヒメを祀るが、その木像の姿は弁財尊天であると言われる。元々は、海岸の浜より直接参拝する形の境内であった[注 2]が、昭和期の護岸と直前に小型旅客フェリー[注 3]発着のための「滑り」の整備により、沿岸道路[注 4]を挟む形となっている。近年の防災工事により境内裏の崖が改修されている。例祭として管絃祭ホーランエが行われている。
高根八幡神社(こうねはちまんじんじゃ)
別名:沖津八幡宮。承久年間勧請[注 5]。祭神は八幡大神。
 脇社
 馬取神社。主神:馬取大明神(まとりだいみょうじん)。小字大ノ浜にあったが神社合祀令により脇社として合祀された。昭和初期ごろまでは跡地に土盛り馬取山が残っていたがほとんどが塩浜の埋め立てに使われてしまい、なだらかなふくらみのあるミカン畑となっている。「まとうさん」と呼ばれ信仰を集めていたという。
 天神社。菅公。字松岡にあったが神社合祀令により脇社として合祀された。現在も天神山に遺構が残る。
 妙見社。北辰妙見。字西ノ谷にあったが神社合祀令により脇社として合祀された。
 立地
 八幡神社は海に面した10mほどの小丘に建っており、古くは「鼻」と呼ばれる地形であったものと思われる。その丘はそのまま後述の長全寺へと連なり竜王山へとつながっている。戦国時代に小早川家の陣屋があったという記録[注 6]がある。農地・宅地として造成され陣屋跡を示す遺構などは存在しない。
 手水
 現在は石鳥居前の沿岸道路[注 7]が参道の入り口となっている[注 8]が、さらに海に向かってコンクリート製の階段があり、その脇には石製の手水鉢が置いてあり神事に使われる。干潮時のみ現れほぼ水没しているが、これは県道指定以前から存在した里道の海側に設置されていたものが道の拡幅で徐々に海側へと移動した結果である。[注 9]
 砲弾
 境内地には砲弾(徹甲弾)が4発(径280ミリ×長1035ミリ、2発。径120ミリ×長350ミリ。径140ミリ×415ミリ、各1発)が置かれている[注 10]。日本海軍の記録に大正13年6月30日付で呉鎮守府宛に高根尋常高等小学校へ三十糎被帽徹甲弾(ボフォース)4個、三十六糎魚型水雷実用頭部を1個の下付訓令[3]があり、形状などから大きいサイズの砲弾が該当する。古老の話では「学校にあったものは太平洋戦争中に供出した、今のは陸奥の砲弾」、また別の古老によると「平和時代にふさわしくないので戦後小学校から移設した」とのこと。残りの小型弾2発は詳細不明。
その他の祠堂
宇賀神
長全寺参道口の一般住宅敷地内にある。
愛宕神
竜王山登山口にある。
(名称不明)
竜王山頂にある。山名から判断するに竜王を祭るものと思われ、雨乞祈祷が行われた。関連するものとして長全寺に竜王経が伝わる。

寺院

長全寺(ちょうぜんじ)
曹洞宗(本尊 : 阿弥陀如来)の寺院。永和年間の経典[注 11]には、「香根島長善寺」として残る[4]芸藩通志大永年間、燈海和尚により建立との記録有。広島県三原市西宮町、曹洞宗法常寺末寺。庵寺・隠居寺院として存在していたものを正式に寺院に昇格させたものとおもわれる。直後に火災により焼失。開山は、燈海別流大和尚(法常寺歴住)。現在の建物は、慶応3年から明治元年建立。瀬戸内の標準的小寺院の姿である。付属の諸堂に薬師堂。阿弥陀如来(伝旧本尊)・薬師如来・観世音菩薩(伝千手菩薩)・弘法大師が祀られている。ほかに山門・鐘楼堂・地蔵堂。現在遺構のみであるが金毘羅堂・稲荷堂。境内隣接の旧農地は高根島柑橘栽培発祥地である。前述の八幡神社とは神社の裏参道跡と長全寺の参道がほぼ一直線で連なることから何らかの関連があるものと思われる。
瀧山観音堂
背後に大岩を背負う形に建っている。言い伝えに漁師の網にかかった観音像を祀ったという。近在に広く信仰を集めたと見え、石塚に鹿田原・福田などいづれも瀬戸田町内集落の名が見える。島内(西国)観音30番。島内八十八ヵ所88番。
峠尾観音堂
半跏観音菩薩石像と如意輪観音石像をまつる。島内(西国)観音13番。境内地に長全寺堅巌和尚、光福寺(瀬戸田町荻、曹洞宗)天信和尚の名が刻まれた宝篋印塔(法華塔)が立っている。また、ソメイヨシノと思しき桜があり毎年4月第2日曜日に桜まつりがおこなわれている。
虚空蔵堂
虚空蔵菩薩石像を祀る。

建築物

高根島灯台
1894年明治27年)5月15日に初点灯の灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。

その他

  • 保田春彦作 「球を包む幕舎」 …… 瀬戸田町・しまごと美術館の1作品。

交通

道路
広島県道370号高根島線 (島を一周する道路)

高根大橋

高根大橋
高根大橋
2009年平成21年)撮影。
基本情報
日本の旗 日本
所在地 広島県尾道市
交差物件 瀬戸内海瀬戸田水道
構造諸元
形式 中路式ローゼ固定アーチ橋 [1]
全長 205 m [1]
有効幅員 5.5 m 、車道幅員 5 m [1]
高さ 23.5 m (航路高) [1]
最大支間長 175 m [1]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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高根大橋(こうねおおはし)は、瀬戸内海の瀬戸田水道に架けられた高根島と生口島を結ぶ道路橋で、尾道市道(高根大橋線)の橋である[1]

広島県の「高根地区団体営農道整備事業」により建設され、1970年昭和45年)7月27日に開通[1]。両端を固定したアーチリブに支持される中路式ローゼ橋を採用し、鋼橋のソリッドリブ固定アーチ橋は当時の日本では前例のない形式であった[1]。柑橘類の栽培が盛んな高根島にちなみ、橋の色は柑橘系の色が採用されている[1]

内の浦トンネル

内の浦トンネル(うちのうらトンネル)は、島を一周する広島県道370号高根島線のトンネルである。

1952年昭和27年)に素掘りのトンネルとして開通[5]2014年平成26年)6月から拡幅工事に着手し、2015年(平成27年)7月コンクリート造りのトンネル(延長 111 m 、幅員 4 m )として改修完了[6]。海側の入口から出口を見ると、みかん山の緑色。山側の入口から出口を見ると海の青色。対比が美しい。

脚注

注釈

  1. ^ 芸藩通誌
  2. ^ ただし里道は本殿前を横切るように存在する。
  3. ^ 瀬戸田フェリー → 三原観光汽船、現在廃止。
  4. ^ 広島県道370号高根島線
  5. ^ 瀬戸田町教育委員会編「瀬戸田町誌」P.151 2015年10月1日閲覧。
  6. ^ 小早川家文書
  7. ^ 広島県道370号高根島線
  8. ^ ただし里道は石段下を横切るように存在している。
  9. ^ 古老の話によるとほぼ現在の車道と護岸の距離を移動している。
  10. ^ 以前は徹甲弾は境内入り口の左右に置かれていたが近年境内すみへと移動された。
  11. ^ 備後国三原 金剛院 源恵 願主 県重文「紙本墨書大般若経」 : 世羅郡世羅町永寿寺蔵。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 高根大橋 (こうねおおはし)”. 広島県庁 (2015年3月11日). 2015年8月14日閲覧。
  2. ^ 戸数は206戸
  3. ^ アジア歴史センター大正13年 公文備考 巻64 兵器止 [リファレンスコードC08051184300]2015年9月30日閲覧
  4. ^ http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-202050390.html 広島県の文化財 - 紙本墨書大般若経(世羅郡世羅町)
  5. ^ "素掘トンネル見納会を行いました (767 KB)" (PDF) (Press release). 広島県庁. 4 August 2014. 2015年8月14日閲覧
  6. ^ "内の浦トンネルが完成! (396 KB)" (PDF) (Press release). 広島県庁. 10 July 2015. 2015年8月14日閲覧

外部リンク