阿部良則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tribot (会話 | 投稿記録) による 2016年1月3日 (日) 13:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (bot: WP:BOTREQ#統合に伴う「○○の選手」カテゴリの張替え作業 oldid=58111789)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

阿部 良則
名前
カタカナ アベ ヨシノリ
ラテン文字 ABE Yoshinori
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-09-10) 1972年9月10日(51歳)
出身地 神奈川県藤沢市
身長 177cm[1]
体重 71kg[1]
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

阿部 良則(あべ よしのり、1972年9月10日 - )は神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。2001年限りで現役を引退。最終所属はJリーグ川崎フロンターレ

来歴

藤嶺学園藤沢高等学校在学中に読売クラブのユースチームに加入。高校卒業後、読売ジュニオールを経てトップチームの読売クラブに昇格し、1992年のJリーグ発足に伴いプロサッカー選手としての道を歩む。

1995年、ブランメル仙台(現 ベガルタ仙台)に移籍。1996年には当時ジャパンフットボールリーグ所属でJリーグ準会員としてJリーグ昇格を目指していた鳥栖フューチャーズに加入するが、チーム解散により翌年ヴェルディに復帰する。

1998年、再びブランメルに移り、チームの中心として活躍。持ち前の負けん気の強さと熱いハートで多くのサポーターの支持を得た。

2000年にはJ2に降格し地元となる湘南ベルマーレへ移籍。2001年には同じくJ2に降格したばかりの川崎フロンターレに移籍するが、わずか1年で戦力外通告を受ける。しかし、その直後の第81回天皇杯で「リストラ選手の活躍」と呼ばれた目覚ましい活躍を見せ、チームのベスト4進出の原動力となった。

現在は、湘南ベルマーレテクニカルサプライヤー株式会社カレッジリーグ社と関係が深いNPO法人スポーツエンターテイメント(東京都渋谷区)の運営する少年サッカークラブ・スクール「A.C.ミラネーゼ&スクール」のヘッドコーチ[2]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 読売Jr JSL2部 7 3 - - 7 3
1991-92 読売 29 JSL1部 2 0 0 0 0 0 2 0
1992 V川崎 - J - 4 0 2 0 6 0
1993 8 0 6 1 3 0 17 1
1994 11 1 0 0 0 0 11 1
1995 B仙台 旧JFL 23 13 - 2 1 25 14
1996 鳥栖F 7 22 9 - 0 0 22 9
1997 V川崎 23 J 11 1 0 0 0 0 11 1
1998 B仙台 旧JFL 21 12 4 1 4 1 29 14
1999 仙台 17 J2 18 7 2 0 2 0 22 7
2000 湘南 7 14 1 0 0 2 0 16 1
2001 川崎 16 30 4 1 0 5 5 36 9
通算 日本 J 30 2 10 1 5 0 45 3
日本 J2 62 12 3 0 9 5 74 17
日本 JSL1部 2 0 0 0 0 0 2 0
日本 JSL2部 7 3 0 0 0 0 7 3
日本 旧JFL 66 36 4 1 6 2 76 39
総通算 167 53 17 2 20 7 204 62

その他の公式戦

経歴

参考文献

脚注