野沢武之助
野沢 武之助(のざわ たけのすけ、慶応2年1月7日[1](1866年2月21日) - 昭和16年(1941年)8月1日[2])は、日本の衆議院議員(山下倶楽部)。国際法学者。
経歴
下野国芳賀郡下籠谷村(現在の栃木県真岡市)出身[1]。1888年(明治21年)、ドイツのミュールハイム市工業学校を卒業[3]。さらに1895年(明治28年)にはスイスのジュネーヴ大学で法学博士号を受けた[3]。帰国後は明治法律学校(現在の明治大学)と東京専門学校(現在の早稲田大学)で教壇に立った[2]。
1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、日露戦争時には韓国駐箚軍司令部附となり[3]、国際法に関する事務を担当した。さらに、大韓帝国法部参与官、法官養成所長、法学校長を歴任した[2]。またシベリア出兵の際には浦塩派遣軍政務部嘱託を務めた[3]。1923年(大正12年)からは翻訳官として外務省に勤務した[3]。
著書
出典
- ^ a b 大川四郎「明治期一日本人留学生の大日本帝国憲法論」『愛知大学法学部法経論集』第172巻、愛知大学法学会、2006年12月15日、NAID 40015269351。
- ^ a b c 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b c d e 人事興信録 1928.
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。