重陽

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惣宗寺(佐野厄除け大師)境内にある菊慈童像、菊水を飲み不老長寿であったと伝えられる。

重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦ではが咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである

邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた[1]。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。しかし、現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。

中国の重陽

中国では、『芸文類聚』に文帝鍾繇へ菊花を贈った記事が見える[2]。 上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミではなくカワハジカミ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。

中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代である。劉歆による『西京雑記』に、高祖の愛妾であった戚夫人が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。

唐代の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは李白の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。

日本における重陽

脚注

  1. ^ 花びらやそれに付着した花粉に含まれるビタミンCビタミンEの効果が有ると考えられる
  2. ^ 『芸文類聚』巻四「歳往月来、忽復九月九日。九為陽数而日月並応。俗嘉其名、以為宜於長久、故以享宴高会。……思食秋菊之落英、輔体延年。莫斯之貴。謹奉一束、以助彭祖之術」

関連項目

外部リンク