装甲艇

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装甲艇(要目は第4号艇)
基礎データ
全長 15.5 m
全幅 3.5 m
重量 17.5 t満載排水量
乗員数 13名
装甲・武装
装甲 6 mm
主武装 九〇式57mm戦車砲×1
副武装 八九式旋回機関銃×2
機動力
速度 11.5ノット(21 km/h
エンジン ディーゼルエンジン
350hp
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装甲艇(そうこうてい)は、大日本帝国陸軍砲艇/戦闘用舟艇。支那事変日中戦争)や太平洋戦争大東亜戦争)で使用された。AB艇とも。

概要

古くから上陸戦の研究に熱心だった日本陸軍は、上陸用舟艇の護衛と上陸支援のために専用の戦闘用舟艇の開発を計画。1928年(昭和3年)に試作艇が完成し、装甲艇「さきがけ」と命名された。その後、2号艇「勝鬨」、3号艇と改良を重ね、1930年代前半から3号艇を基本とした量産型を生産に移した。以後も、若干の改良が続けられている。

装甲艇は名称の通り船体と上部構造物に装甲が施されていた。武装は大砲1門と機関銃2門をそれぞれ砲塔式に搭載するのが基本で、1号艇では37mm狙撃砲、2号艇以降は八九式中戦車主砲と同じ九〇式57mm戦車砲を搭載した。1938年(昭和13年)以降の艇では57mm戦車砲2門と機関銃となった。

支那事変では沿岸や河川で広く活躍し、太平洋戦争でも上陸戦や海上輸送時に大発動艇(大発)などの護衛として使用された。しかし、低速であったので第二次世界大戦下では連合国海軍魚雷艇に十分に対応できなかった。そのため、対魚雷艇戦闘用としてカロ艇(駆逐艇)などが新たに開発されることになった。

参考資料

関連項目