細川頼久

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細川頼久
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 文明2年(1470年)?
官位 阿波守兵部大輔
幕府 室町幕府 和泉半国守護
主君 足利義勝足利義政
氏族 細川和泉下守護家
父母 父:細川基之
兄弟 頼久教久
持久
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細川 頼久(ほそかわ よりひさ)は、室町時代中期の守護大名和泉半国守護。官職は阿波守兵部大輔細川和泉下守護家2代当主。

略歴

細川基之細川満之の子)の子として誕生。弟に6代将軍・足利義教の偏諱を受けた教久[1]がいる。

父・基之没後の文安5年(1448年)10月から応仁3年(1469年)頃まで和泉半国守護を務めた。頼久は応仁3年には在国しており、子・持久[2]が在京したという。文明年間初頭に没したと推測されている。

脚注

  1. ^ こちら[リンク切れ]より。
  2. ^ 4代将軍足利義持の偏諱を受けた。

参考文献

  • 岡田謙一「統源院殿春薹常繁小考-和泉下守護細川氏の法名を手がかりに-」『ヒストリア』167(1999年)