時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 九郎 |
官位 | 上総介 |
幕府 | 室町幕府 備中守護 |
氏族 | 細川備中守護家 |
父母 | 父:細川頼重 |
子 | 勝久 |
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細川 氏久(ほそかわ うじひさ)は、室町時代中期の武将・守護大名。備中国守護。官職は上総介を称した。細川備中守護家当主。
永享2年(1430年)に足利義教から伊予国の新居郡や西条荘島山郷などを安堵されている[1]。
『建内記』嘉吉元年(1441年)7月28日条によれば、現在の岡山県井原市にあった重玄寺の大旦那であった足利冬氏の子・足利義将を氏久の手勢が討ち取っている[2]。
宗家 | |
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京兆家(事実上の宗家) | |
分家・支流 | |
典厩家 | |
野州家 | |
讃州家 | |
和泉上守護家→ 長岡刑部家→ 細川興増男爵家 | |
和泉下守護家 | |
備中守護家 | |
淡路守護家 | |
遠州家 | |
奥州家→ 肥後細川家→ 細川侯爵家 | |
長岡内膳家→ 細川忠穀男爵家 | |
宇土細川家 | |
高瀬細川家 | |
谷田部細川家 |
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