神富神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Nami-ja (会話 | 投稿記録) による 2021年5月6日 (木) 09:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

神富神社
所在地 愛知県豊橋市神野新田町ソノ割20
位置 北緯34度44分46.2秒 東経137度20分32.0秒 / 北緯34.746167度 東経137.342222度 / 34.746167; 137.342222 (神富神社)座標: 北緯34度44分46.2秒 東経137度20分32.0秒 / 北緯34.746167度 東経137.342222度 / 34.746167; 137.342222 (神富神社)
創建 1895年明治28年)
別名 牟呂神富神明社
地図
神富神社の位置(愛知県内)
神富神社
神富神社
テンプレートを表示
外宮の五郷神社、正面から撮影

神富神社(しんとみじんじゃ)は、愛知県豊橋市神野新田町にある神社。なお「神富神社」とは通称であり、正式名称は牟呂神富神明社(むろしんとみしんめいしゃ)である[1]

祭神

内宮
外宮

歴史

神野新田を開拓した神野金之助入植者の統理を図るため伊勢神宮に勧請し、牟呂神富神明社を内宮(ないくう)、五郷神社[2]と二開神社[3]の2社を外宮(げくう)と 計3社を一組として1895年(明治28年)に神野金之助の寄付により創建した[4]。神野新田は1896年(明治29年)に竣成となったが、増加した入植者の心の支え、また住民の統理のため開拓者である神野金之助が下の『住民統理の三策』として実行したうちの1つ目である[5]

  • 1つ目が神社の新設により、報国尽忠の念を起こさせる。
  • 2つ目が学校の新設により、児童の全員就学、教員による願い届け出のサポートや衛生上の教育。
  • 3つ目が寺院の建立で高僧による説教などで老若男女に道理を教える。
— 神野金之助、『神野新田紀事』[4]

神社の新設に付いては神野新田の竣成の数年前に、神野新田字ソノ割にある本社(後の牟呂神富神明社)、字セノ割(後の五郷神社)と字会所前(後の二開神社)を内宮外宮と定めた。1895年(明治28年)1月1日、伊勢大廟皇大神宮の御霊を奉祀することを定め、直ちに同月7日をもって牟呂八幡社へ仮鎮座式を行い、2月10日にソノ割に新築した社殿に遷しまいらせ、うやうやしく鎮座の式典を挙げ、同時に豊受太神宮をセノ割、及び会所前の外宮へ鎮座の式を行った。なお、神富神社の神富は創建した神野金之助と共同経営者の富田重助の名字の各1文字より付けられたものであるが、園龍寺の山号である神富山が関係している可能性も高いとされる。五郷神社と二開神社は神野新田内の地区名を付けたものである。神野新田の竣成式は神社の新設の翌1896年(明治29年)4月15日で、神野新田の竣成に先経って神社の設置が優先された。

境内

敷地内の概要

牟呂神富神明社(内宮)の境内は1,500坪あって鳥居、石灯篭等を備へ、松や杉が繁茂し、五郷神社と二開神社(外宮)は150坪ずつで、社、その他総て内宮と同じである。

牟呂神富神明社の領徳碑

神野新田の開拓と発展に寄与した3名の翁の徳をたたえた領徳碑が建立されている。

  • 入り口右横には神野金之助が神野新田を開拓した徳をたたえた『神野金之助翁領徳碑』[6]
  • 入口左横には神野金之助の甥で共同経営者である『富田重助翁領徳碑』
  • また道路を挟んだ神野金之助翁領徳碑の向かいに神野金之助の養子で新田の発展に寄与した『神野三郎翁領徳碑』

年表

  • 1894年(明治27年)頃、字ソノ割に内宮(後の牟呂神富神明社)、字セノ割(後の五郷神社)と字会所前(後の二開神社)を外宮として新築し、伊勢神宮より勧請することを定めた[4]
  • 1895年(明治28年)に以下の行事を実施し神様を迎えた[4]
    • 1月1日 - 伊勢神宮より伊勢大廟皇大神宮の御霊を奉祀することを定め、勧請した。
    • 1月7日 - 伊勢大廟皇大神宮の御霊(天照坐皇大御神)を牟呂八幡社で仮鎮座する式を執り行う。
    • 2月10日 - 伊勢大廟皇大神宮の御霊(天照坐皇大御神)をソノ割の新築社殿(内宮)に遷し、鎮座の式典を挙げる。
    • 2月10日 - 上記と同時に豊受大神宮をセノ割と会所前の外宮で鎮座の式を行う。

祭事

  • 牟呂神富神明社大祭 - 10月第2土曜日[1]
  • 五郷神社 - 10月第2土曜日[7]
  • 二開神社 - 10月第2日曜日

現地情報

所在地
交通アクセス
  • 最寄バス停:豊鉄バス神野ふ頭線 バス停「三郷中」下車後、徒歩約8分[1]

脚注

出典

  1. ^ a b c d ええじゃないか豊橋”. 豊橋観光コンベンション協会. 2021年3月22日閲覧。
  2. ^ 豊橋百科事典 02百科事典カ行”. 豊橋市. 2019年2月1日閲覧。
  3. ^ 豊橋百科事典 05百科事典ナ行”. 豊橋市. 2019年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c d 神野金之助(編) 1904, p. 58-60.
  5. ^ 今泉鐸次郎 1908, p. 98-108.
  6. ^ 神野新田(神野金之助翁領徳碑)”. 愛知県. 2019年2月1日閲覧。
  7. ^ 五郷神社祭礼”. 愛知県東三河広域観光協議会. 2021年3月22日閲覧。

参考文献

  • 神野金之助(編)『神野新田紀事』1904年。NDLJP:838189 
  • 今泉鐸次郎『県外模範事業視察記『千百餘町歩の神野新田』』北越新報社、1908年5月。NDLJP:838291 

外部リンク