相川考古館

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相川考古館
Aikawa Archaeological Museum
相川考古館の位置(群馬県内)
相川考古館
相川考古館
県内地図
施設情報
正式名称 相川考古館
前身 相川郷土館
専門分野 歴史学考古学伊勢崎市民俗郷土史
事業主体 公益財団法人相川考古館
開館 1950年(昭和25年)10月15日
所在地

372-0046
群馬県伊勢崎市三光町6-10

地図
位置 北緯36度19分06.8秒 東経139度11分29.2秒 / 北緯36.318556度 東経139.191444度 / 36.318556; 139.191444座標: 北緯36度19分06.8秒 東経139度11分29.2秒 / 北緯36.318556度 東経139.191444度 / 36.318556; 139.191444
外部リンク 公式サイト
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相川考古館(あいかわこうこかん)は、群馬県伊勢崎市三光町にある私立の歴史博物館人類学者相川之賀(あいかわ しが)が収集した歴史資料民俗資料考古資料を収蔵・展示しており、国の重要文化財に指定された埴輪4点なども所蔵している。

概要[編集]

相川家は、江戸時代から続く伊勢崎の商家で、その屋敷は当時脇本陣として使用される名家だった。現在も母屋土蔵茶室等が残る[1]

相川家長男の相川之賀(1866年 - 1950年)は、西洋学問を修めることを志して1885年(明治18年)に19歳でアメリカに渡り、学問の過程でカナダ先住民関連資料など多くの人類学的資料を収集した。一時帰国の際には、収集品を東京帝国大学に寄贈するなどし、また地元の伊勢崎町(当時)周辺で出土した考古資料も収集していた。

1914年(大正3年)の帰国後は、町会議員など町の要職を歴任しながら県の文化財調査に携わった。晩年、私有地の一角に博物館を建てることを志したが、第二次世界大戦の影響で果たせず、1950年(昭和25年)に死去した。しかし、その遺志を継いだ長女らにより同年「相川郷土館」の名で創設された(後に「考古館」に改称)[1]。1993年(平成5年)には財団法人による運営に移行し[1]公益法人制度の発足後は公益財団法人による運営となっている。

考古館は、相川家の旧母屋土蔵を展示室に利用しており、土蔵では県内出土の考古資料などを中心に展示している。そのほかにも近世の人形や伊勢崎銘仙など歴史・民俗資料もある[1]

所蔵文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

以下の埴輪4件が重要文化財(考古資料)に指定されている。〔 〕内は相川考古館ウェブサイトにおける呼称。

県指定重要文化財(建造物)[編集]

  • 觴華庵(しょうかあん)-1861年(文久元年)に建てられた相川家の茶室で群馬県内最古の茶室建築。2000年(平成12年)3月21日指定[8]。現在も茶室として利用され、来館者に抹茶が提供される[9]

機関誌[編集]

  • 『相川考古館だより』-1983年(昭和58年)4月より発行[10]

利用案内[編集]

  • 入場料:一般500円・小中学生200円(茶室「觴華庵」での抹茶400円)
  • 開館時間:午前9時30分から午後4時30分まで
  • 休館日:月曜日(祝祭日除く)、年末・年始(12月30日から1月3日まで)[11]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 相川考古館. “展示・収蔵”. 2020年9月1日閲覧。
  2. ^ 伊勢崎市 (2018年2月9日). “埴輪男子倚像”. 2020年9月1日閲覧。
  3. ^ 相川考古館公式Facebook. “相川考古館”. 2020年9月1日閲覧。
  4. ^ 相川考古館公式Twitter. “ことはにくん”. 2020年9月1日閲覧。
  5. ^ 伊勢崎市 (2018年2月1日). “埴輪武装男子立像”. 2020年9月1日閲覧。
  6. ^ 伊勢崎市 (2018年2月9日). “埴輪男子立像(伊勢崎市豊城町出土)”. 2020年9月1日閲覧。
  7. ^ 伊勢崎市 (2018年2月9日). “埴輪男子立像(邑楽郡大泉町出土)”. 2020年9月1日閲覧。
  8. ^ 伊勢崎市 (2018年2月9日). “相川家茶室 觴華庵 附造営文書2点「材木積り立控」「隠宅普請入用控」”. 2020年9月1日閲覧。
  9. ^ 相川考古館. “施設利用”. 2020年9月1日閲覧。
  10. ^ 相川考古館. “会員募集”. 2020年9月1日閲覧。
  11. ^ a b 相川考古館. “ご利用案内”. 2020年9月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]