登呂遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Prel1h (会話 | 投稿記録) による 2022年10月24日 (月) 13:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

登呂遺跡
登呂遺跡(2012年7月)
復元された水田と竪穴建物 地図
登呂遺跡の位置(静岡県内)
登呂遺跡
静岡県における位置
所在地 静岡県静岡市駿河区登呂五丁目
座標 北緯34度57分22秒 東経138度24分29秒 / 北緯34.95611度 東経138.40806度 / 34.95611; 138.40806座標: 北緯34度57分22秒 東経138度24分29秒 / 北緯34.95611度 東経138.40806度 / 34.95611; 138.40806
種類 集落遺跡
歴史
時代 弥生時代
管理者 静岡市
文化財指定 1952年(昭和27年)国の特別史跡指定

登呂遺跡(とろいせき)は、静岡県静岡市駿河区登呂五丁目にある、弥生時代の集落・水田遺跡。国の特別史跡に指定されている。弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定される。「登呂」はこの地域の小字1973年住居表示実施により町名にも採用)。

概要

4年間の発掘調査が行われ「国指定の特別史跡」に[1]
農耕文化の起源が解明された「田んぼの下から住居跡」[1]
発見当初の様子。(1943年)

遺跡は、戦時中1943年(昭和18年)7月10日、軍事工場建設の際発見された[2]。戦後間もない1947年(昭和22年)には考古学人類学地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われ、8万平方メートルを超える水田跡や井戸の跡、竪穴建物(正確には竪穴系平地建物)・高床倉庫の遺構が検出された。この他にも、農耕や狩猟、漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた骨などが出土した[3]

また、1999年平成11年)から5カ年計画で再発掘調査が行われ、新たに銅釧や漆が塗られた槽づくりの琴、祭殿跡などが出土している。またそれまで大型の畦畔による大区画水田と思われていた水田跡[4]の中に、前調査時に認識されなかった小畦畔があることが確認され、小区画水田であることが判ってきた[5]

現在遺跡は、登呂公園として整備され、住居などが復元されているほか、遺跡についての資料がある静岡市立登呂博物館が隣接して建てられている。

博物館は、施設建て替えのため2007年(平成19年)6月をもって一時閉館し、現行の施設は2010年(平成22年)10月3日に開館した[6]

常設展示室の観覧料は、大人300円、大学生・高校生200円。中学生以下50円[7]

また、弥生時代の水田を研究する際の基準となった。[8]

登呂遺跡は、安倍川の分流の洪水時に押し流された土砂が堆積し、自然に形成された堤防の上に造られている。村は、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して住居12棟、高床倉庫2棟が建っており、水田は、その南につくられている。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 静岡県登呂遺跡出土品(考古資料) - 内訳は次の通り。静岡市立登呂博物館保管。2016年(平成28年)8月17日指定[9]
    • 土器・土製品 54点
    • 木器・木製品 321点
    • 石器・石製品 74点
    • 金属製品 16点
    • ガラス小玉 5点
    • 骨角製品 6点
    • 織物・編物残欠 6点
    • 樹皮製品 7点
    • (附指定)土器片 126点

以上1943年(昭和18年)-1965年(昭和40年)出土

    • 土器・土製品 12点
    • 木器・木製品 77点
    • 石器・石製品 64点
    • 銅環 5点
    • ガラス小玉 1点
    • 灼骨残欠 1点

以上1999年(平成11年)-2003年(平成15年)出土

国の特別史跡

  • 登呂遺跡 - 1952年(昭和27年)3月29日に国の史跡に指定、同年11月22日に国の特別史跡に指定、1978年(昭和53年)12月21日に史跡範囲の追加指定[10]

静岡県指定文化財

  • 有形文化財(考古資料)
    • 登呂遺跡出土遺物 附 調査関連資料 696点 - 2004年(平成16年)2月27日指定[11]

ギャラリー

交通アクセス

主な出来事

脚注

  1. ^ a b 『写真集 明治大正昭和 静岡』ふるさとの想い出 13、小川龍彦著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
  2. ^ 静岡市立登呂博物館「静岡市立登呂博物館 館報 第23号(平成28年度)」 2017年(平成29年)9月15日 p.2
  3. ^ 日本考古学協会 1954
  4. ^ 都出 1989 pp.43~60
  5. ^ 岡村 2002 pp.113~122
  6. ^ 静岡市 2018年(平成30年)
  7. ^ 登呂博物館利用案内
  8. ^ 黒田日出男監修、帝国書院編集部編『図説 日本史通覧』帝国書院、2014年、30ページ
  9. ^ 平成28年(2016年)8月17日文部科学省告示第116号。
  10. ^ 登呂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. ^ 「静岡県公報 第1550号」 2004年(平成16年)2月27日 p.3341
  12. ^ 登呂遺跡またも放火 復元家屋四度目のご難『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月28日夕刊、3版、3面

参考文献

  • 都出比呂志「第1章 農業技術の発達と耕地の開発 2.古代水田の二つの型」『日本農耕社会の成立過程』岩波書店 1989年 pp.43~60

関連項目

外部リンク