獅子座 (映画)

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獅子座
Le Signe du lion
監督 エリック・ロメール
脚本

エリック・ロメール


ダイアローグ
ポール・ジェゴフ
エリック・ロメール
製作 AJYMフィルム
製作総指揮 クロード・シャブロル
出演者 ジェス・ハーン
音楽 ルイ・サゲール
撮影 ピエール・ロム
編集 アンヌ=マリー・コトレ
マリー=ジョゼフ・ヨヨット
配給 フランスの旗 レ・フィルム・デュ・ローザンジュ
日本の旗 シネセゾン
公開 フランスの旗 1962年5月2日 パリ
西ドイツの旗 1963年12月31日
イギリスの旗 1966年10月
スウェーデンの旗 1967年1月27日
アメリカ合衆国の旗 1970年5月5日 ニューヨーク市
フィンランドの旗 1973年5月4日
日本の旗 1990年12月8日
上映時間 103分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランスの旗 フランス語
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獅子座』(Le Signe du lion)は、1959年(昭和34年)製作、1962年(昭和37年)公開、エリック・ロメール監督によるフランスの長篇劇映画である。

略歴・概要

本作は、リセの教師をつとめる傍ら「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」を主宰し、1950年(昭和25年)5月からは、伝説の映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の前身、『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』を編集して批評活動を行い、また同年から、シネクラブの若い仲間のポール・ジェゴフジャン=リュック・ゴダールらと協力し、4本の短篇映画を監督したエリック・ロメールのデビュー長篇映画である。

製作資金は、クロード・シャブロルが同年の1月に公開した自身のデビュー作『美しきセルジュ』(1958年)がヒットし、得た資金を充てた。シャブロルがプロデューサーになり、製作会社はシャブロルの会社AJYMフィルムである。1959年(昭和34年)夏、ロメールの勤務先のリセの夏休みを利用して、パリ市内で撮影を行った。脚本のうち、ダイアローグに関してはポール・ジェゴフが執筆し、ロメールは書いていない[1]。撮影監督には、ジャック・ベッケルが戦前に監督した『最後の切り札』(1942年)や詩人のジャン・コクトーが監督した『オルフェ』(1950年)を手がけたヴェテランのニコラ・エイエを起用している。

画像外部リンク
en:File:Godard-leo.jpg
ゴダールの出演シーン

主演のジェス・ハーンは、作中の設定通りのアメリカ・イリノイ州生まれだが、アメリカ映画への出演歴はほとんどなく、デビューは1953年(昭和28年)のフランス映画で、ロメールの同世代である。主人公ピエールの友人を演じるヴァン・ドゥードは、オランダ・ハールレム生まれで、やはり1949年(昭和24年)のデビュー以来、フランス映画に出演をつづけていた。

カメオ出演も、ゴダール、ジャン・ドマルキら『カイエ・デュ・シネマ』のメンバーのほか、ジャン・ルーシュの所属した人類博物館の研究者で、ドキュメンタリーの監督作もあるエンリコ・フルキニョーニロベルト・ロッセリーニ監督の『インディア』の脚本を書いたイランの知識人で後に国連大使となったフレイドン・ホヴエイダらが出演している。

本作は、商業的には成功できなかった[2]。「六つの教訓話」シリーズは短篇映画で始めざるを得ず、本作の次の長篇劇映画は1967年(昭和42年)の『コレクションする女』まで、8年を待つことになる。

日本では、長らく商業公開はされなかったが、古くから東京日仏学院が16ミリプリントを所蔵しており、数多く上映されていた。完成後30年が経過した1990年(平成2年)12月8日、シネセゾンの配給で日本初公開された。

スタッフ・作品データ

キャスト

ノンクレジット アルファベット順

ストーリー


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


6月22日、アメリカ出身、38歳の自称作曲家ピエール・ヴェセルラン(ジェス・ハーン)が電報を受け取る。伯母が死去し、莫大な遺産が従兄とピエールに相続されるという話だ。ピエールは、『パリ・マッチ』誌に働く友人のジャン=フランソワ(ヴァン・ドゥード)を呼び出し、派手なパーティを開いた。当面の資金は借金した。

7月13日、ヴァカンスが始まり、友人たちはパリを出てしまった。伯母の遺言が発見され、遺産はすべて従兄の手に。ピエールには遺産は転がり込まず、ピエールは家賃滞納でアパルトマンを追い出されていた。いまはホテル暮らしだが、やがて資金は尽きる。ジャン=フランソワは出張中で電話に出ない。

7月30日、セーヌ川のほとりに立ち並ぶ露天の古本屋に本を売却し、食事を得た。ホテルも追い出され、途方に暮れて歩いていると、友人が仕事を紹介してくれた。場所は郊外なので電車賃もなく歩いていくと、その元締めは留守であった。また歩いてセーヌ川へ戻ってくるピエール。ついにピエールは万引きを働くが、すぐに店主につかまり、殴られる。助けてくれたのは、ひとりの浮浪者(ジャン・ル・プーラン)であった。ピエールは、カフェの店先で芸を見せる浮浪者の助手になった。

8月22日、ヴァカンスも終末を迎え、友人たちはパリに戻ってきた。出張から帰ってきたジャン=フランソワは、ピエールがいないことに気づく。当然のことながら、ピエールに何が起きていたのかは、だれも知らない。そんなとき、新聞にある記事が掲載された。ピエールの従兄が突然死去し、遺産を相続するのはピエールであると。ジャン=フランソワがみつけたピエールは、すっかり浮浪者に変わり果てていた。

関連事項

外部リンク