独裁者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Galala (会話 | 投稿記録) による 2012年5月20日 (日) 09:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎専制君主との違い)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

独裁者(どくさいしゃ)とは、独裁政治において政治を一人で操ることができる人物である。いくつもの権力が集中している人物を指す言葉とも言われる。

語源

: Dictatorの語源は、共和政ローマの官職の一つ、独裁官(どくさいかん、: dictator、ディクタートル)である。これは国家の非常事態に任命され、6ヶ月間に限り、国政を一人で操ることができた。このように期間が限定される事によって独裁官の権限には制約があったのだが、 紀元前44年ガイウス・ユリウス・カエサルは自らを終身独裁官に任命したことにより、実質上共和政は解体した。後に一人支配が常となる元首政(プリンキパトゥス)が誕生する礎となった。

概説

近代に入って、法律上国民または有識者に選ばれた形になっているが、現実には一人の人物に権力が集中し、その者が国政を操っている状態を独裁制、そしてその権力が集中した人物のことを独裁者と呼ぶ。

多数決の原則によるとされる民主主義であるが、これはその一面に過ぎず、実際には少数意見をも取り入れる事こそ要である。それゆえに、実際の政策を決める際には多くの話し合いや手続き(多数意見の中に少数意見を盛り込み妥協する。少数意見にも耳を傾けて議論を尽くした上で多数意見を採択する。etc...)を要する。独裁制は、多方面からの了承を必要とする民主主義に付き物の数々の煩雑な手続きが無くなるため、目的を達成する効率が良い。

また民主政治の場合、手続きが煩雑というにとどまらず、少数意見を取り入れた結果が多数派も少数派も共に納得できない政策に変質したり、あるいは時間をかけているうちに最適の時期を逸してしまうといった問題が生じ、結果として国民の支持を得られない事態に陥る事もある。それに対して独裁政治の場合は、独裁者が有能な場合は、国民の大多数の意見を伺ってそれに従うよりも、より高所に立った合理的判断をすることができ、それが結果的に大多数の国民の支持を得る事もある。

このような例の一つとして、独裁政治の支持者が引くのは、ベニート・ムッソリーニである。当時のイタリアは議会の過半数を獲得できない少数政党が乱立しており、議員数の配分こそ国民の意思の反映であったものの、国民の意思に即した政策が実行できないという不合理な状態にあった。そんな中で登場したムッソリーニは、「選挙で25%以上の得票率を得た第一党が議会の議席の3分の2を獲得する」という選挙法改訂によって独裁権を確立した。これは少数政党乱立に辟易していた国民の意思を反映していたのである。 いま一つの典型はアドルフ・ヒトラーである。当時のドイツ国は伸び悩む労働者階級および大戦以来国家との結びつきが弱まるも縛られる大企業と、外国との自由貿易を重視する中流階級との間で対立が起きており、共和制はこうした中でどっちつかずであった。その中で登場したヒトラーが国家社会主義思想と指導者原理に基づく独裁体制を確立し強硬な姿勢を取った。それは政策に反対する国民を弾圧するものであったが、賛成者には圧倒的支持をもって迎えられた。どっちつかずの政策が結果として国民の意思を汲み上げていない事と比較すれば、当初、国民にはよりましな選択肢に見えたのである。

問題は、独裁者の判断が偏狭または不合理であっても、それを止める方法が合法的に存在しないことにある。システムとしての独裁制には、独裁者の暴走へのチェック機能が存在しないことが問題点となり、常に暴政に変貌する危険を秘めている。国民の意思に反する独裁者の独断はもちろんであるが、国民の支持を取ろうとして、多方面への容量を超えたご機嫌取り、雑多な要望の受領による支持の確保に回る場合においても、しばしば支持に裏打ちされた暴政を生む。国民の支持を得るための安易な方法として、少数民族・意見者をスケープゴートにしたり(粛清民族浄化など。ヒトラーのユダヤ人政策はその典型である)、対外強硬姿勢、ひいては戦争といった、過激な政策を取る例がしばしば見られる。前述のムッソリーニやヒトラーも、結局それで破綻したと言える。

独裁者が暴政を行った場合、その国は非常に不安定となる。またそうなった場合、その国全体が人の生活を低下させるだけでなく、命の危険に晒される。また、独裁者の命も例外ではない。独裁国家の場合、独裁者本人(つまりその国のNo.1の人間)は常に政敵からの暗殺の危険に怯えなくてはならず、他の政治形態の最高指導者と比較すると猜疑心が強くなる。そのため、独裁者に次ぐ人間(No.2やNo.3の人間以下政権中枢の人間)は常に独裁者からの粛清の危険に晒される。実際に独裁者には妄想性パーソナリティ障害を持つ者が多く、元は正常者であっても独裁者となって以降はこの障害を持つ例が多いとされる(詳細・出典は該当項目参照)。

そして、そういった暴政には多くの場合、言論の自由が制限される。報道機関は管制され、一般国民も自由に意見を述べる権利が大幅に削られることが多い。大多数の国民の支持によって独裁者が誕生した時は、それは国民の大多数の利益に反する者を排除するという事で、多くの国民に支持される政策であったものが、独裁者が多数意見と乖離した時には、大多数の国民に対しての権利侵害となるのである。独裁者は一般的に民族や国家を自分と同一視させる。そして自分に反対する者を民族、国家の裏切り者として弾圧する傾向にある。そのように独裁者によって引き起こされた悲劇は、枚挙に暇が無い。

イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは独裁制に魅力を感じる風潮を戒め、次のように述べている。「民主主義は最悪の政治体制といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除いた場合だが。」

ただし以上で概略を述べたが、明確に何者かを独裁者と定義するようなことはできない。自他ともに独裁者と認める(られる)人物も存在するが、独裁者として扱うか意見が分かれるケースが多い。恣意的な要素によって成り立つこともあれば、偶然この形態になっているだけのこともある。民主政治であろうとも、現実には国のトップには他者よりも強い権力が存在するのは当然である。少数意見を尊重しようにも限界というものがあり、最終的には多数派の意見に基づくのも当然の事であり、少数派からの非難は避けられない。また個々の政策決定について逐一議論と国民の支持を得る訳ではなく、時として国民の多数意見に反する政治判断を迫られる場合もあり、上記の「高所に立った合理的判断」は独裁者に限らず全ての国のトップに求められる資質である。現実にはすべての支配者は、独裁者としての面をいくらか持っているため、その中でその害悪を最小化できなかったものを独裁者と呼ぶことになる。例えば現政権を批判する側が、自らの側の意見を現政権が全く顧みないと主張する際に、現政権のトップを独裁者だとして非難する場合が見られる。

専制君主との違い

独裁者と専制君主の違いは諸説ある。概して、独裁者は国民の圧倒的支持によって誕生した者、専制君主は国民の支持とは関係なく誕生した者とされる。もっとも独裁者の中には、明らかに世襲や軍事力といった、国民の支持とは無関係にその地位に就いた者もいる。ただしそれら独裁者は、不正選挙、あるいは議会の議決を暴力で強制するなど、多数意見を反映しているという偽装を行っているケースが多い。また、現政権に対する国民の不満が軍隊による叛乱という形で発現する場合もあるので、軍事力で現政権を打倒して独裁者の地位に就いた人物であっても、専制君主的とは言えない場合もある。

またこれは、独裁者が国民の支持を失って以降も政権を維持しようとしたり、地位の世襲を目論んだ場合は、事実上専制君主と化す事を示している。ドイツ・ワイマール時代の政治学者カール・シュミットは、独裁制と専制政治の違いを「具体的例外性」に見いだしている。シュミットによると、独裁性は例外的事態であり、この具体的例外性を失えば専制政治に転化することになる。

ケマル・アタテュルクは(反対意見もあるが)、現在も成功者として、トルコの国父と称えられている独裁者である。彼は一党独裁制の限界をよく知っており、将来的に多党制への移行を考えていたとされる。つまり独裁制が例外的事態である事を知悉していたと言える。蒋経国は世襲によってその地位に就いたという意味では専制君主的な人物であるが、自らは世襲を行わず、台湾の民主化をなしとげた。

集団による独裁

特定個人が国政を握るのではなく、特定集団が政治を握る寡頭制による独裁もある。独裁者として扱うか意見が分かれている歴史上の人物については、「独裁権力を持った集団の第一人者に過ぎない」という場合がある。

関連項目