熊久保信重
生年月日 | 1970年2月10日 |
マシン | トヨタ・チェイサー(JZX100) ↓ 日産・シルビア(S15) ↓ スバル・インプレッサ(GDB) ↓ 三菱・ランサーエボリューションIX(CT9A) ↓ 三菱・ランサーエボリューションX(CZ4A) ↓ ローレル(C33) |
所属チーム | チームオレンジ(プライベート) →チームオレンジ(ユークス所属) |
初参戦 | 2001年 第1戦 |
最高位 | 優勝2回 |
熊久保 信重(くまくぼ のぶしげ、1970年2月10日 - )は、福島県二本松市出身のD1ドライバー、エビスサーキット支配人。O型。祖父は東北サファリパークの創業者、熊久保勅夫。主な愛称は「支配人」「クマ」など。
来歴
全日本プロドリフト選手権での活動と、田中一弘、末永直登との団体ドリフトユニット・チームオレンジを結成し、ADM(アドバンドリフトミーティング)をはじめ全国のサーキットで各種走行ショーを行っている。
本業は福島県エビスサーキットの支配人(祖父が隣接の東北サファリパークを経営していた背景あり)及びカーショップk-styleの代表でD1ドライバーの中では資金的に豊富であり、いち早くシーケンシャル・ミッションを搭載するなど、車両、チーム環境に強い。熊久保が駆るインプレッサ及びランエボはJUNオートメカニックが製作した『4WD→FR化』『ラジエターの後方移設』などの技術を導入している(土屋圭市はチューニング費用2000万円と発言)。
かつてはドリフトにはまったく興味が無く、エビスサーキットでドリフトをした車両にブラックフラッグを振ったこともある。しかし古口美範がブラックフラッグを振られているにもかかわらず、ドリフトの練習をやめることは一切しなかったため、次第に熊久保も「まわりをよく見て、迷惑がかからないようにやってくれれば」と態度を軟化させていった。そして従業員仲間にドリフト経験者がいると聞いた彼は、古口にドリフトを一通り教わり実践してみると、モトクロスでの経験も手伝ってすぐにできるようになったとのこと。後にドリフトに力を入れることになり、従業員や古口、そして彼と同郷の平岡英郎らとともに「Team K style with Rapid」を結成。いか天東北大会において団体戦優勝を果たし、今日の活動へと繋がっている。
主な活動
- 2006年8月 『最も苦手なサーキット』とコメントしてきた、エビスサーキットでの優勝を遂げ、シリーズランキングトップを保守。
- 2006年9月 カースタントマンとして田中一弘、末永直登らと参加したハリウッド映画・ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFTが公開される。
- 2006年11月 野村謙とのタイトル争いを最終戦で制し、2006年のD1チャンピオンを獲得する。
- 2007年3月 07シーズン初戦エビスサーキットで優勝。
- 2007年8月 マシンをランサーエボリューションIX(CT9A)に変更。
- 2009年から マシンをランサーエボリューションX(CZ4A)に変更。
- 2011年から マシンをローレル(C33)に変更。
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外部リンク
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