沓掛時次郎 遊侠一匹

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沓掛時次郎 遊侠一匹
監督 加藤泰
脚本 鈴木尚之
掛札昌裕
出演者 中村錦之助
池内淳子
東千代之介
渥美清
音楽 斎藤一郎
撮影 古谷伸
編集 宮本信太郎
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1966年4月1日
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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沓掛時次郎 遊侠一匹』(くつかけときじろう ゆうきょういっぴき)は、1966年(昭和41年)4月1日公開の日本映画である。加藤泰監督、東映京都撮影所製作、東映配給。カラー映画(フジカラー)、シネマスコープ、8巻 / 2,472メートル(1時間30分)。

概要

長谷川伸作品の映画化である。監督の加藤泰と主演の中村錦之助のコンビはすでに『瞼の母』(1962年)を映画化しており、本作品は2度目の長谷川伸ものとなる。加藤の回想によれば、本作品は時代劇が衰退した1966年当時において、中村が最後にもう一度時代劇をやらせてほしいと東映首脳部に懇願し、時代劇と任侠ものの二つの性格を持った本作品の企画が立ち上がったのだという[1]。一方、加藤は水野和夫(水野晴郎)によるインタビューでは「ヤクザ映画全盛の風潮に錦之助が我慢ならなかった」と語り、「どうしても(錦之助は)もう一度時代劇がやりたい。(錦之助は)時代劇をもう一度作るためにヤクザ映画にも出演して」本作品の企画を通したのだと証言している[2]。この時、もう一本『丹下左膳』の企画も通っているが、加藤は「時代劇の仕事をしとって、やっぱりあの『沓掛時次郎』という映画はどうしても一度作ってみたい」と本作品の企画に飛びついたという[1]。本作品は、そうした「もう時代劇が作れないかも知れない」という主演俳優の危機感と念願の題材を与えられた監督の情熱が作品に緊張感を与え、のちに「映画史に残る」とも絶賛される名作となった[3]

製作

撮影

風と女と旅鴉』(1958年)以来加藤泰映画のトレードマークとなっている極端なローアングル、シンクロ(同時録音)は本作品でも頻繁に使用されている。また、スタジオ内に再現された四季の移ろいや、雪景色、夕焼け空の鰯雲などがやや誇張された形で表現されているのも本作品の大きな特徴である[4]。前作『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)においては、男女が情感を通わせるさまが、真夏の河原で女が男にを渡す行為で表現されていたが、本作品でも中村錦之助演じる沓掛時次郎に池内淳子演じるおきぬが晩秋の渡し舟の上で真っ赤に熟れたを渡す場面があり、その行為を契機として男女の情感が高まっていく演出がなされている。この「季節の果物を渡す」行為の抒情性は、後に山根貞男などの評論家や観客によって、「加藤泰美学」と呼ばれるようになった[3]。後半、おきぬと離れ離れになった時次郎が、真冬の夜の居酒屋で女将(中村芳子)相手に自分の身の上を架空の「友達」に託して語り、自身の不甲斐なさを嘆く場面は、約3分間にわたるフィックスショットによる長回しで撮影され、その息詰まる場面が終わった途端、聞き覚えのある音楽に感極まった時次郎が表に飛び出すとおきぬと再会するという場面展開になっている。こうしたいつ果てるとも知れない緊張が、その後に来る情感の開放を極限まで高める演出も、高く評価されている[5]

脚本

本作の高評価は脚本の鈴木尚之と掛札昌裕の貢献もある[6][7]。加藤は自身の中に完全に理想化された"長谷川伸の世界"があり、それをそのまま撮りたいと主張した[6]渥美清が演じた身延の朝吉や岡崎二朗の昌太郎は長谷川の原作にはない鈴木と掛札の創作だが、加藤は「そういうものは余分だ」と拒否した[6]。しかし鈴木と掛札は「身延の朝吉がいるから映画が深くなるんだ」とぶつかって埒が明かず、結局当時の東映京都撮影所所長・岡田茂(のち、同社社長)を交えて話し合い[6]、鈴木が絶対に引かず、加藤に脚本を一行も直させないで撮らせた[6][7]桂千穂は「渥美清なんか最高。直さなかったから良かったんでしょう」と評している[7]。この時、加藤と鈴木に確執が生まれたが、後に中国へシンポジウムで一緒になり仲良くなったという[6]

評価

強烈な魅力を持った本作品は、熱烈なファンがいることでも知られている。1960年代に雑誌ガロで漫画評論を執筆していた山根貞男は、本作品を観たことがきっかけで映画評論へと移行することになった[5]。山根の最初の本格的な映画評論は『加藤泰研究』(1972年、幻燈社※4号まで刊行された同人誌)である[5]。また、山根がガロで活躍していた頃、同誌の編集者だった権藤晋も本作品をきっかけにして加藤泰ファンを自称するようになり、加藤を扱った書籍を幻燈社北冬書房から出版し、ワイズ出版から刊行された『加藤泰映画華』(1995年)にも監修者として参加している[8]。幻燈社から1972年に出版された最初の本格的な加藤泰の研究本は、本作品のタイトルを借用して『遊侠一匹 加藤泰の世界』という書名となっている。一方、公開当時から本作品を熱烈に支持していた評論家には水野晴郎(当時は水野和夫)がいた。水野は加藤泰作品の初期から支持を表明し作品を見続けてきた唯一の批評家である[9]。『遊侠一匹 加藤泰の世界』の刊行と同じ1972年には、水野もキネマ旬報社から『世界の映画作家シリーズ』の14巻として刊行された『加藤泰 山田洋次』の編集・執筆に携わっている。

多く作られた『沓掛時次郎』映画の掉尾を飾るものである。主題歌『遊侠一匹』が流れる中を子連れで進む姿は小池一夫原作・小島剛夕画の劇画子連れ狼』とも重なる。

あらすじ

旅烏の時次郎は、自分を慕ってついてくる身延の朝吉とともに気ままな旅を続けていたが、草鞋を脱いだ佐原の勘蔵一家と牛堀の権六一家の縄張り争いに巻き込まれそうになる。かつて飯岡助五郎笹川繁蔵の争いに一宿一飯の義理で助っ人を申し出た時次郎は、多くの人間を斬り殺したことでやくざに嫌気がさしており、勘蔵の娘・お葉の懇願を振り切って立ち去るが、男を上げたい朝吉は時次郎を罵り、単身牛堀一家に殴りこんで返り討ちにあってしまう。

朝吉の供養を済ませた時次郎は、渡し舟で子供を連れた女から真っ赤な柿を手渡され、しばしその母子と旅を共にして悲しみを癒す。その後訪れた鴻巣では鴻巣金兵衛一家のいざこざに巻き込まれる。もう人を斬りたくない時次郎は早々に立ち去ろうとするが、鴻巣一家と対立していた中野川一家最後の生き残りである六ツ田の三蔵を殺せば一宿一飯の義理は問わないと金兵衛に直接頼まれて、三蔵を殺しに行くことになる。三蔵を一騎打ちで討ち取った時次郎は、今わの際の三蔵から妻と子を連れて、妻のおきぬの故郷である熊谷の伯父の元へと送り届けてほしいと頼まれる。ところが、その家族のところへ行ってみると、三蔵の妻子おきぬと太郎吉とは、渡し舟で柿を手渡してくれ旅を共にした母子だと知って、時次郎は愕然とする。時次郎は涙ながらに自分が一宿一飯の義理で三蔵を斬ったと苦しい告白をした。熊谷に着いてみるとおきぬの伯父は年貢の厳しい取り立てを苦にして首をくくりすでにこの世になく、身寄りを失ったおきぬ母子に時次郎は「自分の故郷、信州・沓掛へ行こう」と誘う。しかし、時次郎と旅をするうちに彼に心を許し、いつしか恋心さえ抱くようになってしまったおきぬは、亡き夫への思いとの板挟みを苦にして時次郎の元から消えてしまう。

一年後、真冬の高崎宿で、悲嘆にくれる時次郎は、外で門付の母子が弾く追分節の三味線を聞いて表に飛び出し、今は流れ者の門付にまで身を落としているおきぬ母子と再会を果たす。その追分節は、かつて別れる前日におきぬが時次郎を慰めるために歌った、時次郎の故郷の唄だった。こうして二人は再会するが、おきぬは肺を病んでおり、床に伏してしまう。おきぬを助けるためには高価な薬が必要であり、その金を稼ぐために時次郎は一度は捨てた刀を再度手にとって、もう一度だけと草鞋を脱いだ八丁徳一家の喧嘩の助っ人をする決意をするのだった。

子どもを連れた時次郎を追ってくる男がいた。「昌太郎さん、悪いことは言わねぇ。百姓に戻りなせぇ。やくざってぇのはねぇ、虫けらみたいなもんさ」ととどめるが襲われ、殺めてしまう。

スタッフ

キャスト

参考文献

  • 世界の映画作家 14『加藤泰 山田洋次』、キネマ旬報社、1972年。
    • 『加藤泰・自伝と自作を語る』インタビュー・水野和夫(水野晴郎)、同書、P.61-92.
  • 『加藤泰映画華』、加藤泰、ワイズ出版、1995年、ISBN4948735310
    • 第4章『加藤泰監督作品』、同書、p.273-366.
    • 『加藤泰略歴』、鈴村たけし作成、同書、p.380-381.
    • 『あとがきにかえて』、権藤晋、同書、p.382-383.

脚注

  1. ^ a b 『第4章 加藤泰監督作品』、加藤泰映画華、p.328.
  2. ^ 『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.82.
  3. ^ a b 『加藤泰略歴』、加藤泰映画華、p.381.
  4. ^ 『第4章 加藤泰監督作品』、加藤泰映画華、p.328-329.本作品で美術監督を担当した井川徳道の証言。
  5. ^ a b c 神戸映画資料館山根貞男連続講座『加藤泰の世界8』報告、2008年9月6日(土)。2011年8月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 日本シナリオ作家協会 鈴木尚之 人とシナリオ出版委員会『鈴木尚之 人とシナリオ』日本シナリオ作家協会、1998年、30-31頁。ISBN 4-915048-08-X 
  7. ^ a b c 桂千穂「掛札昌裕」『にっぽん脚本家クロニクル』青人社、1996年、735頁。ISBN 4-88296-801-0 
  8. ^ 『あとがきにかえて』、加藤泰映画旅、p.382-383.
  9. ^ 『編集者から』、世界の映画作家 14、p.278.

関連項目

外部リンク

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