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横山松三郎

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自画像(写真油絵)

横山松三郎(よこやま まつさぶろう、1838年11月26日天保9年10月10日) - 1884年明治17年)10月15日)は、幕末 - 明治初期の写真家、洋画家。城郭、社寺などの写真が、重要文化財として残っている。

生涯

択捉島に生まれた。祖父と父は高田屋嘉兵衛および金兵衛に仕え、冬期を除き、箱館から択捉島に出向いて漁場を管理し、高田屋の没落後も、それを続けていた。

1848年(嘉永元年)(10歳)、父が没し、1852年から箱館の呉服屋に丁稚奉公した。画を好み、夜分葛飾北斎の漫画を写した。2年後肺を病んで家に戻った。肺患が生涯の持病であった。1854年、ペリーの米艦隊が箱館に上陸したときに、初めて写真を知った。1855年商店を開き2年後に畳んだ。この頃、写真機の製作を試みた。

1859年(安政6年)、箱館が自由貿易港となって米・露・英人が住むようになり、彼らから洋画・写真術を学びあるいは盗み見る機会が増えた。特にロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチからは昆虫の実写画を頼まれ、その代わりに写真術を学んだ。

1862年(文久2年)(24歳)、箱館奉行の香港バタヴィア行貿易船「健順丸」に乗り込み海外で写真を学ぼうとしたが、一旦は品川港で渡航中止となった。しかし、翌1864年に今度は上海へ渡航でき、約1ヶ月半滞在して欧米の洋画・写真を見聞した。帰国後、横浜下岡蓮杖に印画法を教わり、箱館に帰った。

1865年(元治2・慶応元)(27歳)、再び下岡蓮杖に写真と石版術を教わった。

1868年(明治元)(30歳)、下岡に更に石版印刷を学んだのち、江戸両国元坊に写真館を開き、上野池之端に移って通天楼を称した。箱館戦争が勃発して、現地の母を見舞った。

1871年(明治4年)(33歳)、3月、蜷川式胤の依頼で、荒れた江戸城を撮影し、その写真の一部は翌年蜷川により、『旧江戸城写真帖』に編集された。1872年、湯島聖堂大成殿で文部省博物局が3月 - 4月一杯催した日本初の博覧会を、撮影した[1]。5月から10月まで、町田久成、蜷川式胤らが、伊勢・名古屋・奈良・京都の、古社寺・華族正倉院の宝物を調査した『壬申検査』に、同行した[2]

1873年(明治6年)(35歳)、通天楼に洋画塾を併設した。1874年、漆紙写真と光沢写真を作った。1876年、通天楼を譲渡して陸軍士官学校教官となり、フランス人教官アベル・ゲリノー(Abel Guérineau)から石版法や墨写真法などを教わり、研究した。1877年、電気版写真を完成し、ゴム写真の研究した。

1878年(明治11年)(40歳)、士官学校の軽気球から日本初の空中写真を撮った。蜷川式胤が、松三郎の写真を編集した『観古図絵城郭之部』を刊行した。1879年、京都の洋画展に油絵を出品した。

1881年、肺病再発のため、陸軍士官学校を辞し、『写真石版社』を銀座に開いた。この頃、写真油絵法を完成した。

1884年、(明治17年)(46歳)、市谷亀岡八幡宮近くの隠居所に没し、遺骨は函館の高龍寺に、遺髪は高輪泉岳寺に埋められた。

重要文化財に指定されている作品

江戸城関係

壬申検査関係

  • 「壬申検査関係写真」ステレオ写真386枚、四切写真109枚、四切写真ガラス原板70枚、1872年5月 - 10月撮影、東京国立博物館蔵
東寺五重塔、桂離宮(笑意軒、梅馬場、園林堂、松琴亭など)法隆寺(金堂、五重塔、夢殿など)、正倉院宝物などの写真を含む。[5]
  • 「壬申検査関係ステレオ写真ガラス原板」257枚、1872年5月 - 10月撮影、東京都江戸東京博物館蔵

参考文献

  • 東京都写真美術館監修 日外アソシエーツ株式会社編集、『日本の写真家 近代写真史を彩った人と伝記・作品集目録』、日外アソシエーツ(2005) ISBN 9784816919480
  • 「『日本の写真家1 上野彦馬と幕末の写真家たち』、岩波書店(1997) ISBN 4000083414」巻末の、「木下直之・石井亜矢子編、写真史年表」
  • 千代肇、『西洋画・写真術の先覚者横山松三郎伝』、市立函館博物館研究紀要第1号(1990年)[6]
  • 『月刊文化財』441号、453号、477号、489号、第一法規(2000、2001、2003、2004)(新指定重要文化財の解説あり)

外部リンク


脚注