森下昌毅

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もりした まさき

森下 昌毅
生誕 1955年
東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 紙芝居師
活動期間 2009年 -
影響を受けたもの 森下正雄
森下正雄
親戚 森下貞義(伯父)
家族 森下貞三(祖父)
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森下 昌毅(もりした まさき、1955年昭和30年〉- )は、日本紙芝居師東京都出身。

経歴

生涯現役を貫いた昭和時代の紙芝居師・森下正雄の長男。祖父の森下貞三も紙芝居師にして日本画劇教育協会の設立者であり、いわば紙芝居一家の生まれだが、次第に衰退してゆく紙芝居師の道を選ばず、大手事務機メーカーに技術者として就職。しかし父が喉頭癌にともなう声帯摘出で声を失ってもなお録音テープで紙芝居を演じる姿に心を動かされ、2008年平成20年)の父の死の前日、跡を継ぐことを父に宣言する[1]

独学での紙芝居の練習の末、2009年(平成21年)5月、父が最も愛した下町風俗資料館(東京都台東区)で、父の追悼公演として初めて人前で紙芝居を上演。祖父や父に師事した経験がないにもかかわらず、父の友人やファンから「そっくりだ」と驚かれた。本業でこなしていた営業プレゼンテーションの経験も役に立った[1]

その後も会社員の本業の傍ら、父の得意であった紙芝居演目『黄金バット』などを公共施設のイベントなどのボランティアで上演しており[2]、小気味の良い表現、独特の語り口と多様な声色が人気を呼んでいる[3]。『厳選!いい宿[4]』(テレビ東京)、『出没!アド街ック天国[5]』(同)、『はなまるマーケット[6]』(TBS)などのテレビ番組でも取り上げられた。

脚注

  1. ^ a b 「TOKYO発 黄金バット三代 紙芝居師一家 50代会社員が襲名へ 闘病の父に約束 ゼロから勉強」『中日新聞中日新聞社、2010年10月14日、朝刊、28面。
  2. ^ 「紙芝居 3代受け継ぐ 荒川の森下さん、法被姿で「黄金バット」きょう新宿で」『毎日新聞毎日新聞社、2010年1月17日、東京版、29面。
  3. ^ 大槻宮子「語りの達人たち声色使い紙芝居 伊勢で大会」『中日新聞』、2012年8月20日、広域三重 朝刊、16面。
  4. ^ 上野・御徒町・日暮里・南千住の観光ガイド”. 厳選!いい宿. テレビ東京 (2011年). 2015年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月8日閲覧。
  5. ^ 区立 あらかわ遊園(西尾久)”. テレビ東京 (2011年1月1日). 2020年11月15日閲覧。
  6. ^ 「はなまるマーケット」2010年2月4日(木)放送内容”. 価格.com. カカクコム (2010年2月4日). 2020年11月15日閲覧。