杵埼型給糧艦
杵埼型給糧艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 運輸艦(給糧艦) |
艦名 | 岬の名 |
前級 | - |
次級 | - |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:910トン |
長さ | 全長:62.29m 垂線間長:58.00m |
全幅 | 9.40m |
吃水 | 3.11m |
機関 | 艦本式23号甲8型ディーゼル2基 2軸 1,600馬力 |
速力 | 15.0ノット |
航続距離 | 12ノットで3,500カイリ |
燃料 | 重油57トン |
乗員 | 67名 |
兵装 | 40口径3年式8cm高角砲 1門 13mm連装機銃1基 九五式爆雷8個 |
その他 | 冷凍糧食84.6トン (杵埼は冷凍糧食82トン) 補給用真水71.7トン[1] |
杵埼型給糧艦(きねさきがたきゅうりょうかん)は、日本海軍の給糧艦。同型艦4隻。
概要
1939年(昭和14年)年度のマル4計画で1隻、1940年(昭和15年)度のマル臨計画で3隻が追加された中型冷凍船。1940年から1943年(昭和18年)にかけて竣工した。第1艦は雑役船として竣工したが後に特務艦に変更となり「杵埼」と改称された。
第1艦の「杵埼」は「野埼」と同時期の計画で、比較検討のため艦型を1,000トン型に拡大した。糧食搭載量が「野埼」の2倍となり、翌年度に「杵埼」型の3隻が追加されることとなった。また多種類の糧食を積む「間宮」「伊良湖」と違って、冷凍糧食や生鮮品に特化した艦としたので冷凍船や冷凍庫を持つ遠洋漁船タイプの艦型となった。
同型艦
- 杵埼(きねさき)
- 1940年9月30日、日立桜島で雑役船「公称4006号」として竣工。10月25日「南進」に改名。1942年4月1日特務艦(運送艦)に類別し「杵埼」と改名。トラックやマーシャル・ギルバート方面への補給に従事。1944年ころよりサイパン方面への船団護衛、ついで南西諸島方面への船団護衛や補給に従事する。1945年3月1日に奄美大島付近で空襲により戦没。
- 早埼(はやさき)
- 1942年8月31日、日立桜島で竣工。連合艦隊付属に編入されラバウル方面の、1944年以降は中部太平洋からスラバヤ方面での糧食補給に従事。シンガポールで終戦を迎える。戦後は復員輸送艦を務めた後、賠償艦となる。1947年7月、基準艦[2]となりナホトカを往復。同年10月3日にナホトカでソ連に引き渡し。
- 白埼(しらさき)
- 1943年1月30日、日立桜島で竣工。連合艦隊付属に編入され千島方面の補給任務に従事。大湊で終戦。復員輸送艦の後、1947年7月に編隊基地艦[2]となる。上海や青島を3往復。1947年10月3日に青島で中国に引き渡し、「武陵」と改名された。1970年5月1日除籍。
- 荒埼(あらさき)
- 1943年5月29日、日立桜島で竣工。連合艦隊付属に編入されラバウル方面で糧食輸送。1944年以降はシンガポール、スラバヤ方面で糧食輸送。1945年2月1日スラバヤ西方で触雷により損傷。シンガポールで終戦。復員輸送艦の後、賠償艦引き渡しの編隊基地艦[2]となる。その後アメリカへ引き渡されたが日本に返還されて1948年4月に水産大学校練習船「海鷹丸」となった。1956年民間に売却され「高知丸」のちに「なにわ丸」と改称する。1967年フィリピンに売却された。
参考文献
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6
- 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦艇史』(海人社、1997年3月号増刊No522)
脚注
- ^ 『世界の艦船』による。『写真日本の軍艦第13巻』によると杵埼で補給用真水57.7トン、早埼で71.7トン。
- ^ a b c いずれも賠償艦が引き渡し地へ航行する際に同行し、引き渡し後には回航した日本人乗員を乗せて日本に引き返している。