有酸素運動
有酸素運動(ゆうさんそうんどう、Aerobic exercise)とは、生理学、スポーツ医学などの領域で、主に酸素を消費する方法で筋収縮のエネルギーを発生させる運動をいう。また、「十分に長い時間をかけて呼吸・循環器系機能を刺激し、身体内部に有益な効果を生み出すことのできる運動」とも定義される[1]。
概要
米軍軍医の、ケネス・H・クーパー(Kenneth H. Cooper)が心肺機能を改善させる運動プログラムを開発、これを "AEROBICS" と名づけて1967年に発表した。このプログラムでは12分間走(クーパーテスト)により評価した体力区分と年齢をもとに各自に合った運動を実施する。これが日本では「有酸素運動」と訳された。 その後、上述のように定義が変更された[2]。
有酸素運動では、体内の糖質や脂肪が酸素とともに消費される。 これに対して、酸素を消費しない方法で筋収縮のエネルギーを発生させる運動を無酸素運動(むさんそうんどう; Anaerobic exercise)という。 多くのスポーツは有酸素運動と無酸素運動の両方の要素を持つ[3]。
一般的には、「身体にある程度以上の負荷をかけながら、ある程度長い間継続して行う運動」はすべて有酸素運動とみなす事ができる。例えば長距離走は有酸素運動であるが、短距離走は無酸素運動である。 有酸素運動を「好気的な」運動、無酸素運動を「嫌気的な」運動とも呼ぶことも多い。
骨格筋のエネルギー発生の仕組み
骨格筋の直接のエネルギー源はアデノシン三リン酸(adenosine triphosphate:ATP)である。ATPがアデノシン二リン酸(ADP)とリン酸に分解されるときに発生するエネルギーが筋収縮に用いられる。しかしATPの貯蔵量は少なく数秒程度で使い切ってしまうため、体内ではエネルギーを使って再合成が行われている。
ATP再合成のためのエネルギー発生の仕組みにはリン酸系、解糖系、有酸素系の3種類がある。
リン酸系はCP系とも呼ばれ、クレアチンリン酸(Creatine phosphate:CP)の分解によりエネルギーを発生させるものであり、最高の運動強度で約10秒間持続可能である。解糖系は乳酸系ともよばれ、グリコーゲンがブドウ糖、ピルビン酸を経て乳酸に分解される過程でエネルギーが発生する。最高の運動強度で持続時間は1~2分間程度である。リン酸系でも解糖系でも酸素は消費されない。
これらに対して有酸素系では酸素を消費し、長時間に渡り持続できる。グリコーゲン、乳酸あるいは脂肪からアセチルCoAが生成され、ミトコンドリア内でアセチルCoAが酸素を消費する反応を含んだ化学反応を経てエネルギーが発生する(化学反応の詳細はクエン酸回路、電子伝達系、脂肪酸のβ酸化を参照)。
主としてこの有酸素系から多くのエネルギーを取り出す運動が有酸素運動であり、有酸素系以外(リン酸系と解糖系)からエネルギーを取り出す運動が無酸素運動である。
有酸素運動の効果
有酸素運動を行うことによって多くの健康促進効果が期待できる。
- 心肺機能、酸素摂取能力の改善
- 冠動脈疾患の危険性の減少[4]
- 安静時の血圧を低下させる。
- 血液中のLDLコレステロール[注 1]、中性脂肪を減少させ、HDLコレステロール[注 1]を増加させる。
- 体脂肪を減少させる。
- 慢性疾患の発症率低下。特に、冠動脈疾患、高血圧、大腸がん、2型糖尿病、骨粗鬆症の発症率を低下させる[5]。
- 不安や抑うつ感を軽減し、健全感を高める[4]
体脂肪と血液中の中性脂肪が減少するのは、有酸素運動で脂肪を消費するためである。ミトコンドリアへの脂肪酸の輸送についてはβ酸化#脂肪酸の動員及びβ酸化#脂肪酸の活性化とミトコンドリア内への輸送を参照のこと。ミトコンドリアにおける脂肪酸のβ酸化についてはβ酸化#β酸化反応および酵素群を参照のこと。ミトコンドリアのマトリックスで生成されたアセチルCoAは酸素を消費してクエン酸回路でエネルギーに変換される。
また、骨粗鬆症の発症率が低下するのは、運動により身体に適度の衝撃が加わり骨の形成が促進されるためであると考えられている[6]。
がん予防については、世界がん研究基金とアメリカがん研究協会による「食べもの、栄養、運動とがん予防[7]」(2007年11月1日)でのがん予防10か条の1つで、毎日少なくとも30分の運動、が推奨されている。また、心臓病予防については、アメリカ心臓協会による2006年版の食と生活の勧告で心臓病と闘うための健康的な食事と生活スタイルのなかの1つで、ほとんど毎日少なくとも30分の適度な運動、が推奨されている[8]。
有酸素運動の例
- 主に屋外で行われるもの
- 主に屋内で行われるもの
- プールで行われるもの
運動強度と脂肪燃焼
運動強度
有酸素運動の運動強度は、運動する本人の酸素摂取能力を基準に数値で表す。運動中の酸素摂取量と最大酸素摂取量の比率、すなわち「酸素摂取能力の何パーセントを使用しているか」で表現する。また、予備酸素摂取量(最大酸素摂取量と安静時酸素摂取量の差)を用いることも多い。ただし、酸素摂取量を測定するには機材が必要であるため、運動指導の現場では酸素摂取量の代わりに心拍数を用いることが多い[9]。 →詳細は運動強度を参照
糖質と脂肪の燃焼
運動強度を徐々に上げてゆくと、やがて酸素摂取量を酸素消費量が上回り酸素不足となる。この状態に至ると血液中に乳酸が増加し続け[注 2]、呼吸数、換気量が著しく増加する。その直前の運動強度、すなわち血中乳酸濃度が上昇し続けず運動を継続可能な最大の運動強度を無酸素性作業閾値 (Anaerobics Threshold: AT) という。
トレーニングを積んだスポーツ選手などではATが高い。すなわち、心肺機能を強化し酸素摂取能力を高めると高い運動強度でも酸素不足がおきにくくなる。
運動時の糖質と脂肪の燃焼割合は運動強度により異なる。AT以下の運動強度では、糖質と脂肪の燃焼割合はほぼ50%ずつである。それよりも強度が高くなると酸素不足のため脂肪を燃やせなくなり、脂肪よりも糖質を多く燃焼させる[10]。糖質の燃焼が進むと乳酸の蓄積が進みアシドーシスが進む。 過剰に蓄積した乳酸の一部は肝臓でのコリ回路により再度糖質に再合成されアシドーシスを緩和する[11]。酸素供給不足を伴う運動時、この乳酸の代謝除去を乳酸蓄積が上回る限界点があり、血中乳酸濃度が急速に増加を始める時点を乳酸蓄積閾値(または乳酸閾値, lactic acid threshold, LT)と呼ぶ。有酸素運動のトレーニングでは、LTを酸素供給の指標として利用し、運動強度の設定に利用することがある[12]。
エアロビクスダンスとの関係
上述のとおり、「エアロビクス」(AEROBICS)とはもともとクーパー博士が開発した運動プログラムの名称であるが、現在の日本ではダンス形式の有酸素運動すなわちエアロビクスダンス(エアロビックダンスエクササイズ)を指すことが多い。これは1980年代に日本のマスコミが、この種の運動を指すのに長い名称を避け、より短い「エアロビクス」という言葉を使用したためである[13]。 エアロビクスダンスのレッスンとは往々にして、インストラクターの指示に従って、音楽に合わせた早いリズムでステップを踏むものである。このスタイルは1970年に先述のクーパー博士が著書『The New Aerobics』を出版して以来特に有名になった。1980年代にはジェーン・フォンダ、リチャード・シモンズなどの有名人がテレビのエアロビ番組やビデオに出演したりして、空前のエアロビ・ブームが起こった。
短所(及び長所)
上述したように有酸素運動には心肺機能改善などの効果があるが、筋力、筋持久力向上の効果は少ないとされる(特に上半身)[14]。 また、嫌気性代謝にかかわる経路(解糖と乳酸発酵)をその人の限界速度まで機能させられないため、運動能力の上限を底上げすることは難しい。 このため、アスリート(陸上競技選手)、自衛官、警察官、消防士など、高い身体能力が要求される職業に従事する人々にとっては、有酸素運動だけでは十分なトレーニング効果を享受できない可能性が高い。しかし有酸素運動を既存のトレーニングに追加した場合、高い効果が得られるであろうことは間違いない。
注釈
出典
- ^ 小沢治夫・西端泉 『Fitness Handy Notes 30』補訂版 (社)日本エアロビックフィットネス協会、2001年、54頁-55頁。
- ^ 小沢治夫・西端泉 『Fitness Handy Notes 30』補訂版 (社)日本エアロビックフィットネス協会、2001年、8頁。
- ^ 小沢治夫・西端泉 『Fitness Handy Notes 30』補訂版 (社)日本エアロビックフィットネス協会、2001年、55頁。
- ^ a b アメリカスポーツ医学会『運動処方の指針』原著第6版 日本体力医学会体力科学編集委員会監訳、南江堂、2001年、4頁
- ^ アメリカスポーツ医学会『運動処方の指針』原著第6版 日本体力医学会体力科学編集委員会監訳、南江堂、2001年、5頁
- ^ http://yamaken.ed.niigata-u.ac.jp/~health/osteo.html
- ^ World Cancer Research Fund and American Institute for Cancer Research (2007). Food, Nutrition, Physical Activity, and the Prevention of Cancer: A Global Perspective. Amer. Inst. for Cancer Research. ISBN 978-0972252225
- ^ Our 2006 Diet and Lifestyle Recommendations (英語)(AHA - American Heart Association)
- ^ アメリカスポーツ医学会『運動処方の指針』原著第6版 日本体力医学会体力科学編集委員会監訳、南江堂、2001年、142頁-147頁
- ^ 小沢治夫・西端泉 『Fitness Handy Notes 30』補訂版 (社)日本エアロビックフィットネス協会、2001年、60頁
- ^ http://www.hoken.med.yamaguchi-u.ac.jp/Wiki/?%C5%FC%BF%B7%C0%B8
- ^ http://square.umin.ac.jp/mbpt/4abst/4th-7.html
- ^ 『月刊フィットネスジャーナル』2011年9月号 p.13
- ^ アメリカスポーツ医学会『運動処方の指針』原著第6版 日本体力医学会体力科学編集委員会監訳、南江堂、2001年、157頁