旭川劇場

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旭川劇場
Asahikawa Gekijo
情報
通称 旭劇
正式名称 旭川劇場
完成 1955年
開館 1955年11月11日
開館公演 日本人の勲章 無頼の谷
閉館 2003年2月2日
最終公演 ニュー・シネマ・パラダイス
客席数 384席
設備 DOLBY SR
用途 映画上映
運営 株式会社スガイ・エンタテインメント(現・SDエンターテイメント
所在地 070-0035
北海道旭川市5条通6丁目右10
最寄駅 JR旭川駅から徒歩10分
最寄バス停 道北バス旭川電気軌道「5条昭和通り」停留所
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旭川劇場(あさひかわげきじょう)は、かつて北海道旭川市5条通6丁目にあった映画館。経営はスガイ・エンタテインメント(旧「須貝興業株式会社」。現在のSDエンターテイメント)。略称は旭劇

歴史[編集]

1955年(昭和30年)11月11日に開業した。オープニング興行は『日本人の勲章』と『無頼の谷』の二本立て。開館当時の座席数は、1・2階が478席、3・4階が240席、計718席の1スクリーンだった。戦後の旭川市には数多くの映画館があり[1]、1960年(昭和35年)時点では旭川劇場も含めて19館[2]、1980年(昭和55年)時点では旭川劇場も含めて12館あった[3]

1994年(平成6年)からは市内の映画サークルである旭川映画村が主催する上映会が年数回行われており、ミニシアター向きの中規模系作品が多く上映されていた[4]

築48年が経って老朽化が進み、2003年(平成15年)2月2日をもって閉館となった[5]。70mmに対応した大画面を誇り、2階席もあった映画館だったが、末期は座席数が580席から384席に減少していた。跡地は駐車場となっている。

旭劇閉館から3か月後の2003年(平成16年)5月31日、代替施設として大雪通5丁目にシネマコンプレックスのディノスシネマズ旭川が開業した[6]。2018年(平成30年)12月19日、ディノスシネマズ旭川の運営はSDエンターテイメントからスガイディノスへ移管されたが、ディノスシネマズ旭川はスガイディノスの民事再生手続においてディノスシネマへの譲渡対象外となったため、2022年(令和4年)9月19日に閉館した。

最終興行[編集]

2003年(平成15年)2月1日と2日、映画サークル「旭川映画村」の主催により、同館48年の歴史を締めくくる特別上映会「さよなら旭川劇場・メモリアル上映会」が行われた。新作アニメから名作映画まで8作品が上映された。

上映作品[編集]

同じスガイ系列の札幌劇場(後のディノスシネマズ札幌劇場)と同様、主に松竹東急系でかかる洋画の封切館として、『ジョーズ』、『スーパーマン』、『E.T.』、『ラストエンペラー』、『バットマン』、『ボディガード』、『マトリックス』、『ハリー・ポッターと賢者の石』など多数のヒット作や大作を上映していた。末期は『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』、『ミッション:インポッシブル2』など、東宝洋画系作品も上映していた。

近隣施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ アンコール・ワタシの好きな旭川 VOL.18 なつかしの映画館・劇場あれこれ もっと知りたい! 旭川、2015年3月22日
  2. ^ 出典は『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。同文献を出典とする1960年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
  3. ^ 出典は日本映画製作者連盟配給部会『映画館名簿 1980年』時事映画通信社、1979年。同文献を出典とする1980年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
  4. ^ 旭川映画村 過去上映作品一覧
  5. ^ “旭劇の半世紀 上 興隆 文化の風を届ける 全盛期は入場待ちの行列”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年1月30日)
  6. ^ “エコノミー最前線 さんぎょう・びじねす 市内2軒目のシネコン、31日開業 既存映画館も個性で勝負 郊外型や邦画専門 業界の相乗効果に期待”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年5月20日)