岩崎直子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩崎 直子(いわさき なおこ、1944年2月24日[1] - )は、日本アナウンサー

東京都世田谷区出身[1]東京学芸大学国文学科卒業[1]

略歴[編集]

1966年4月TBSに入社[2][3]1970年2月、TBSを退社[4][5]1970年3月、フリーに。1987年11月、『JALミュージックツアー』でゴールデンマイク賞を受賞[6]

人物[編集]

NHKのアナウンサーだった伯父の影響で放送界を目指す[1]。学生時代はラジオドラマ製作に携わっていた[1]

1966年4月、TBSにアナウンサー11期生として入社(同期には遠藤泰子川戸惠子藤田恒美堀川友子[2][3]。アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部(1967年11月15日)[5][7]、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部(1969年3月)[5]、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付(1969年4月)[5]に所属。入社したその年に『大学対抗バンド合戦』で大橋巨泉のアシスタントを務めたのが初の番組レギュラー[1]1970年2月にTBSを退社後もフリーアナウンサーとして1980年代後期の頃までTBSや他局にてラジオ等で活躍した。

小林克也と一緒にニューヨークに行ってビリー・ジョエルと当時のその婚約者をゲストに招いて衛星生放送を行った『JALミュージックツアー』の録音テープは、その後もニューヨークの放送博物館に保存されていた[1]

幼稚園から高等学校まで全てにおいての国語教員免許を持つ[1]

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、32頁。NDLJP:12276264/17 
  2. ^ a b 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。"1966.4<11期生>  5人入社(女5) 岩崎直子 遠藤泰子 川戸(堀川)恵子 藤田恒美 堀川友子"。 
  3. ^ a b 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20頁。"66.4 <11期生>5人入社 応募538名 岩崎 直子 遠藤 泰子 堀川 恵子 堀川 友子 藤田 恒美"。 
  4. ^ a b c 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。"岩崎直子[1970.2退社] R「ニュースショー(1969)」 TV「ベルトクイズQ&Q(1969)」"。 
  5. ^ a b c d e f 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、20頁。"岩崎 直子…[67.11 アナウンサー研修室付兼R局第一制作部][69.3 アナウンサー研修室付兼R局放送部][69.4 R局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付][70.2 退社] R「ニュースショー(69)」 TV「ベルトクイズQ&Q(69)」"。 
  6. ^ 東京放送 編「VII 各種表彰 2.TBS主催の外部表彰」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、295頁。"2.ゴールデンマイク賞 贈呈日 1987.11 贈呈者 小林克也 岩崎直子 担当番組名 JALミュージックツアー"。 
  7. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室設置』 <アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務者>今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎"。 

参考文献[編集]

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

関連項目[編集]