奥山茂彦

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奥山 茂彦(おくやま しげひこ、1942年9月4日 -)は日本政治家衆議院議員を2期務めた。

経歴

京都市伏見区出身。京都府立桃山高等学校及び東京農業大学を卒業、慶應義塾大学を中退した。前尾繁三郎に共鳴し政治を志し1974年の補選で伏見区選挙区から京都市議に当選した。1986年市議会議長、1995年第13回統一地方選挙で7期目となる連続当選を果たした。

1996年第41回衆議院議員総選挙自民党新人として京都3区から出馬し日本共産党の現職寺前巌に敗北したが比例復活で初当選を果たした。京都府政界の実力者野中広務の所属する総裁派閥平成研究会に入会した。文部科学委員会の理事を務め2000年第42回衆議院議員総選挙では小選挙区での当選を果たした。その後、厚生労働省内閣府大臣政務官を務め、選択的夫婦別姓制度導入に賛同し[1]例外的に夫婦の別姓を実現させる会の活動なども行った。

2003年第43回衆議院議員総選挙民主党新人の泉健太に敗れ比例復活もならず落選し政界を引退した。

関連項目

  • 清水鴻一郎 - 自民党京都府第3区の後継候補、第44回衆議院議員総選挙で比例復活当選を果たした。

脚注

  1. ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
公職
先代
仲道俊哉阪上善秀渡辺博道
日本の旗 内閣府大臣政務官
亀井郁夫嘉数知賢と共同

2002年
次代
阿南一成木村隆秀大村秀章
先代
(役職設置)
日本の旗 文部科学大臣政務官
田浦直と共同

2001年
次代
田浦直佐藤勉