太原郡

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太原郡(たいげん-ぐん)は中華人民共和国山西省にかつて設置された郡。現在の太原市一帯に相当する。

秦代

前246年秦朝により太原郡が設置され、県治が晋陽(太原市南西部汾水東岸)に置かれた。始皇帝の時代には7県を管轄していた。

漢代

前205年漢麻は秦制をしたが、前201年に太原郡を廃止、管轄する21県は韓国に統合された。しかし同年、韓王の劉次匈奴に投降したことにより韓国は廃止、旧地には太原郡及び雁門郡が設置された。前196年、両郡は再び廃止され代国が設置、前114年元鼎3年)に代国が廃止され再び太原郡が設置されている。前106年元封5年)には并州刺史部の管轄とされた。

後漢が成立すると太原県の管轄県は16県に削減、213年建安18年)に并州が廃止されたのに伴い太原郡は冀州に移管されている。

魏晋南北朝時代

220年黄初元年)、は并州を再設置、太原郡を太原国と改め管轄県は12県に減少、続いて西晋の時代になると13県を管轄するようになった。

西晋末年以降は北方民族がこの地に侵入し政権を樹立する五胡十六国時代を迎えることになる。太原郡は前趙後趙前燕前秦後燕などの支配を受けたが、太原郡の行政区画名称は各政権で継承されている。575年武平6年)、北斉は太原郡治を竜山県に移転、以下10県を管轄する郡となり、北周に継承されている。

隋代

583年開皇3年)、隋朝により太原郡は廃止され、管轄県は并州直轄となった。なお607年大業3年)の州制廃止に伴い太原郡が設置されているが、これは并州を改称したものであり、別の行政区画である。

行政区画

太原郡の行政区画変遷
前漢 後漢 西晋 北斉
7県 21県 21県 16県 12県 13県 11県
晋陽県
界休県 界美県 界休県 -
鄔県
兹氏県 兹同県 兹氏県 -
離石県 -
楡次県 大原亭 楡次県
霍人県 葰人県 -
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