千葉神社

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千葉神社
千葉神社社殿
社殿 (2012年4月12日)
所在地 千葉県千葉市中央区院内1-16-1
位置 北緯35度36分42秒 東経140度7分25秒 / 北緯35.61167度 東経140.12361度 / 35.61167; 140.12361
主祭神 天之御中主大神経津主命日本武尊
社格 県社
創建 1000年長保2年)9月13日
例祭 8月16日から1週間 妙見大祭(だらだら祭り)
主な神事 お酉さま(毎年11月酉の日)
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千葉神社(ちばじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社旧社格は県社。

祭神

略縁起

千葉氏の守護神である妙見菩薩を本尊とする寺院千葉妙見宮)として建立され、千葉氏の祖平忠常の子覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝えられる。以降千葉宗家のみならず千葉氏一族の信仰が篤く、千葉氏宗家の元服は代々この寺で行われた。また、千葉常胤の案内で同寺を参拝した事で知られる源頼朝からも手厚く保護されていた。

千葉妙見宮には本来、妙見菩薩とともに養和元年(1181年)に千葉常胤によって鶴岡八幡宮から勧請された八幡神が祀られていた。当初は八幡神が弓箭神とし、妙見菩薩は鎮守産土神農耕神的な役割を担っていたが、千葉氏の一族が多数連座した宝治合戦で一族が動揺した時期(13世紀中期)に一族の団結を維持するために従来の八幡神に代えて、千葉氏を含めた房総平氏において独自の篤い信仰を受けていた妙見菩薩に弓箭神の要素を加えて、千葉氏が妙見菩薩を庇護された存在であることを強調する“妙見説話”が形成された。その集大成が『源平闘諍録』であり、後世に千葉妙見宮(千葉神社)を描いた縁起絵巻にも反映されている[1](現在も末社の1つに八幡神社があるのはその名残である)。

1591年(天正19年)徳川家康関東に入部し、この寺を参詣して寺領安堵ならびに太刀一振を寄進したとされ、同時に朱印地200石と十万石の格式が与えられた。

江戸時代には北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗の寺院[2]であったが、明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心とされてきている事には変わりがない。

例祭

毎年8月16日から一週間行われ、「だらだら祭り」とも称されることもあるが、正式名称「妙見大祭」である。

脚注

  1. ^ 丸井敬司『千葉氏と妙見信仰』(岩田書院、2013年) ISBN 9784872947946 P52-53・131-135
  2. ^ ただし、妙見菩薩と北辰(北極星)を結びつける考え方が元々園城寺天台宗の考え方であること、戦国時代までは末社に山王社があったことが確認できることから、戦国時代以前の尊光院は園城寺と結びつきが強かった天台宗の寺院であった可能性が高いとされる(丸井敬司『千葉氏と妙見信仰』(岩田書院、2013年) ISBN 9784872947946 P54-55・87)。

外部リンク