今野勉
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本のプロデューサー・演出家・脚本家。秋田県秋田市仁井田[1]出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。東京夕張会会長。
略歴
北海道夕張南高等学校を経て、1959年(昭和34年)に東北大学文学部を卒業してTBSに入社[1]。以来、テレビ草創期の名ディレクターとして数多くのドラマやドキュメンタリーの制作に携わる。日本人で初めてテレビドラマ(「土曜と月曜の間」)でイタリア賞を受賞[1]。1970年(昭和45年)にTBSの仲間25人と共に同社を退社[1]。日本初の独立系テレビ番組制作会社・テレビマンユニオンを創立[1]。また、1998年(平成10年)の長野オリンピックの開会式・閉会式のプロデューサーとしても知られている[1]。1964年(昭和39年)には国映でピンク映画の『裸虫』を変名で監督した。
現在、テレビマンユニオン取締役を務めつつ、多くの演出作品を輩出している[1]。また、武蔵野美術大学映像学科教授もつとめた[1]。
受賞歴
演出
- 1964年:東芝日曜劇場「土曜と月曜の間」(TBS) イタリア賞大賞
- 1965年 - 1968年:「七人の刑事」TBS、40本) 日本放送作家協会演出者賞
- 1970年 - 1976年:「遠くへ行きたい」(読売テレビ、44本) ギャラクシー選奨
- 1973年:「天皇の世紀」(TBS、6本) ギャラクシー選奨
- 1975年:木曜スペシャル「欧州から愛をこめて」(日本テレビ) テレビ大賞優秀番組賞
- 1976年:「燃えよ!ダルマ大臣 高橋是清伝」(フジテレビ) ギャラクシー選奨
- 1977年:「海は甦える」(TBS) テレビ大賞優秀番組賞 / エランドール賞特別賞
- 1982年:「ドキュメンタリー特集・生命潮流」(日本テレビ) テレビ大賞優秀番組賞
- 1985年:TIME21「日本の音・春〜音でつづる日本の四季」(日本テレビ) ATP賞優秀賞
- 1987年:TIME21「ああ妻よ、泣くのはあした」(日本テレビ) 日本民間放送連盟賞優秀番組賞
- 1989年:水曜グランドロマン「凍れる瞳」(日本テレビ) 放送文化基金賞個人賞
- 1991年:「真珠湾奇襲〜ルーズベルトは知っていたか」(日本テレビ) ギャラクシー選奨
- 1993年:NHKスペシャル「地の底への精霊歌」(NHK) ギャラクシー選奨
- 1995年:NHKスペシャル「こころの王国〜童謡詩人金子みすゞの世界」(NHK) 芸術選奨文部大臣賞
- 2008年:「日中戦争秘話 ふたつの祖国をもつ女諜報員 鄭蘋如の実像」(読売テレビ)民間放送連盟賞優秀番組賞
脚本
- 1989年:「光れ隻眼0.06」(日本テレビ) 放送文化基金賞ドラマ部門本賞
- 1994年:「続・病院で死ぬということ」(TBS) ATP優秀番組賞 / 放送文化基金賞ドラマ部門優秀番組賞
イベント
- 1968年:日本万国博覧会 日本電信電話公社(電電公社)パビリオン(企画委員)
- 1996年 - 1998年:長野オリンピック 開会式・閉会式(会場演出/映像監督)
- 2000年 - 2001年:ワールドゲームズ2001秋田 開会式(総合プロデューサー)[1]
- 2003年:第54回全国植樹祭千葉(総合演出)
舞台
著書
- 『お前はただの現在にすぎない - テレビになにが可能か』 田畑書店、1969年(萩元晴彦・村木良彦との共著)。
- 2008年に朝日新聞出版「朝日文庫」から再版。
- 『今野勉のテレビズム宣言』(フィルムアート社、1976年)
- 『歴史の涙 - 炎のかげの女たち』(現代史出版会、1983年)
- 『10分間足の裏バランス健康法 - 元気になる、不快症状をとる』(オリジン社「主婦の友健康ブックス」、1990年)
- 『真珠湾奇襲・ルーズベルトは知っていたか』(読売新聞社、1991年)
- 2001年にPHP研究所「PHP文庫」から再版。
- 『ジャック・アンド・ベティ物語 - いつもアメリカがあった』 (開隆堂出版、1992年、堀川とんこうとの共著)
- 『テレビの嘘を見破る』(新潮社「新潮新書」、2004年)
- 『金子みすゞふたたび』(小学館、2007年)
- 『テレビの青春』(NTT出版、2009年)
- 『鴎外の恋人―百二十年後の真実』(日本放送出版協会、2010年)
- 『柳美里対談集 沈黙より軽い言葉を発するなかれ』(創出版、2012年)