ラ・リューヌ

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ラ・ルーヌ峰
雪に覆われたラ・ルーヌ峰
標高 950 m
所在地 フランスの旗 フランスアキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県
スペインの旗 スペインナバーラ州
位置 北緯43度18分33秒 西経01度38分08秒 / 北緯43.30917度 西経1.63556度 / 43.30917; -1.63556座標: 北緯43度18分33秒 西経01度38分08秒 / 北緯43.30917度 西経1.63556度 / 43.30917; -1.63556
山系 ピレネー山脈
ラ・ルーヌ峰の位置(ピレネー山脈内)
ラ・ルーヌ峰
ラ・ルーヌ峰
プロジェクト 山
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ラ・ルーヌ峰またはラ・リューヌ峰フランス語: La Rhune)は、ピレネー山脈最西端にある。スペイン語またはバスク語ではラルン峰またはラルン山スペイン語: Larrún, バスク語: Larhun)。かつてはフランス語でLarrunやLarhuneとも表記した。

地理

山頂の標高は905メートル、山麓からの比高は670メートル。山頂はフランス・アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県とスペイン・ナバーラ州にまたがっており、バスク地方ラブールとナバーラの境界でもある。北側斜面(フランス領)に降った雨はやがてニヴェル川となってサン=ジャン=ド=リュズビスケー湾に注ぐ。南側斜面(スペイン領)に降った雨はやがてビダソア川となってチングディ湾都市圏(アンダイエイルンオンダリビア)でビスケー湾に注ぐ。

一般的にはラ・ルーヌ峰がピレネー山脈の最西端にある山だとされ、この山より西側には大西洋に至るまで著名なピークは存在しない。しかし、チングディ湾都市圏を隔ててさらに西側にあるハイスキベル(547m)がピレネー山脈の最西端であるとされることもある。このような位置にあることから山頂からの視界は開けており、ビスケー湾、サン・セバスティアン都市圏(スペイン)やビアリッツ都市圏(フランス)の町並み、ピレネー山脈西部の稜線を見渡すことができる[1]。フランス側の山麓にはフランスの最も美しい村に登録されているサールアイノアフランス語版がある。

歴史

19世紀初頭のスペイン独立戦争末期にはこの山が防御地点としてフランス軍に使用された。1813年11月10日のニヴェルの戦いでは、イギリス=スペイン同盟軍のウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの軍隊が、フランス軍のニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト大元帥の軍隊に勝利した。

初めて登頂した著名人は、1859年に登頂したウジェニー・ド・モンティジョナポレオン3世妃)である[1]。この頃は登山鉄道の建設前であるため、ウジェニーはラバの背中に乗って登頂したとされており、山頂のオベリスクに彼女の名が刻まれている[1]

フランス=スペイン国境に近いことから、ラ・ルーヌ峰の山麓は何世紀にもわたって重要な密輸ルートとして使用された。1930年代後半のスペイン内戦や1940年代の第二次世界大戦の際には亡命者がこの山を超えた。

文化

魔女伝説

ラ・ルーヌ峰にはドルメンストーンサークル、他の新石器時代の遺物があり、バスク人の文化において象徴的な地位を占めている。ラ・ルーヌ峰はバスク神話における聖地であり、エレンスゲ(竜)の住処とされている。バスク地方における魔女の集会(サバト)であるアケラレ英語版や魔術儀式の場として知られている。18世紀までこの地域の村々は、魔女が村々に近づかないよう、また良い風が吹くように、ラ・ルーヌ峰の頂上で隠遁者として生きる修道士に金銭を支払っていた。

現代の文化

今日のラ・ルーヌ峰は散策やハイキングに人気の場所であり、西端の大西洋から東端の地中海までピレネー山脈を800kmに渡って貫いているピレネー高原自然遊歩道英語版(HRP)の最初のピークである。斜面では牛、ポトック(馬)、マネック(羊)が放牧されている。ラ・ルーヌ峰は現在でもバスク文化の象徴的な場所であり続けており、この地域の多くの宿屋や食堂がラ・ルーヌという名前を冠している。

登山鉄道

ラ・ルーヌ登山鉄道
Petit train de la rhune
基本情報
フランスの旗 フランス
所在地 ピレネー=アトランティック県
ラ・ルーヌ登山鉄道の位置(フランス内)
ラ・ルーヌ登山鉄道
ラ・ルーヌ登山鉄道
起点 コル・デ・サン=ティニャス
終点 ラ・ルーヌ峰山頂
駅数 2
開業 1924年6月30日
運営者 EPSA
路線諸元
路線距離 4.2km
軌間 1,000mm
線路数 単線
電化方式 3,000V、50Hz、三相交流方式
高低差 905m
最高速度 9km/時
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ラ・ルーヌ登山鉄道はラック式鉄道(Strub方式)の登山鉄道であり、ビスケー湾岸のサン=ジャン=ド=リュズから東10kmの距離にあるコル・デ・サン=ティニャスとラ・ルーヌ峰の山頂付近を結んでいる。軌間は1,000mm(メーターゲージ)。ラ・ルーヌ峰の山頂はスペインとフランスにまたがっているが、登山鉄道の線路自体は全線がフランス領にある。現在でも三相交流方式を用いている世界で4つしかない路線のひとつであり、開業当時の車体が現在も使用されている[1]。運行期間は3月中旬から11月初旬までであり、冬季は運行されていない[2][3]

鉄道の歴史

1908年に初めてラ・ルーヌ峰の頂上まで鉄道を敷く計画が提案され、1912年に通過した法律で建設と運営がミディ鉄道交通局(VFDM)に委託された。1912年に線路の敷設が開始されたが、第一次世界大戦の影響で中断され、開業したのは1924年6月30日のことであった。19世紀末から20世紀初頭にかけてビスケー湾岸のサン=ジャン=ド=リュズベル・エポックの別荘地として開発され、浜辺でのバカンスに飽き足らない富裕層がこの登山鉄道の顧客となった[1]。1924年から1989年まではミディ鉄道交通局が運行を担った。

1978年の住民投票にて、山麓のサールの住民はラ・ルーヌの頂上に至る自動車用道路を建設するという提案を拒否し、これによってラ・ルーヌ登山鉄道は存続した[2][4]。1989年から1995年にはSHEMが運行を担い、1995年から2012年にはCFTAが、2012年以降はEPSAが運行を担っている。

鉄道の詳細

  • 路線長 : 4.2km
  • ラック方式 : Strub式
  • 山麓駅の標高 : 169m
  • 山頂駅の標高 : 905m
  • 最大勾配 : 25%
  • 所要時間 : 30分間
  • 運行速度 : 9km/時
  • 電力供給 : 3,000V、50Hz、三相交流方式

脚注

  1. ^ a b c d e ラ・リューヌの登山鉄道”. フランス観光. 2015年11月11日閲覧。
  2. ^ a b History of the line”. ラ・ルーヌ登山鉄道. 2015年11月11日閲覧。
  3. ^ Home”. ラ・ルーヌ登山鉄道. 2015年11月11日閲覧。
  4. ^ Operation of the line”. ラ・ルーヌ登山鉄道. 2015年11月11日閲覧。

外部リンク