ミネアポリス・セント・ポール・アンド・スー・セント・マリー鉄道

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ミネアポリス・セント・ポール・アンド・スー・セント・マリー鉄道(ミネアポリス・セント・ポール・アンド・スー・セント・マリーてつどう、Minneapolis, St. Paul and Sault Ste. Marie Railroad、略称MStP&SSM)はかつて アメリカ合衆国中西部に存在した一級鉄道である。報告記号SOOカナダ太平洋鉄道(CP)の子会社である。正式名称の Saultの音から、スー・ラインと呼ばれた。以下、現SOOと区別するために、本鉄道を便宜的にMStP&SSMと記すが、略称として使用されていたのはSOOであることに注意されたい。

1961年1月1日 に他のCPの子会社、すなわちダルース・サウス・ショア・アンド・アトランティック鉄道(DSS&A)とウィスコンシン・セントラル鉄道(WC)と合併し、スー・ライン鉄道(SOO)となった。

時が経つにつれ、MStP&SSMの機関車はMStP&SSMの塗装パターンからCPのそれに塗り替えられつつある。

旅客サービス[編集]

MStP&SSMが結んでいたルートの一部、イリノイ州シカゴミネソタ州ミネアポリスとの間では、競合する鉄道がいくつもあった。すなわち、ミルウォーキー鉄道(MILW)、シカゴ・アンド・ノース・ウェスタン鉄道(C&NW)、シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)である。また、ウィスコンシン州ミルウォーキーに直結していたわけでもなかった。そのため、MStP&SSMは旅客輸送において大きな実績をあげることはなかった。

MStP&SSMが運行していた旅客列車は以下の通りである。

その他に、シカゴ-ミネアポリス・セントポール、ダルース・スペリオル-ミネアポリス・セントポール、ダルース-ミネソタ州シーフ・リバー・フォールズ、そしてマウンテニアを補完する夏期のみ運行する列車があった。

社長[1][編集]

年表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Gjevre (1990). pp.203–207.

参考文献[編集]

  • Gilchinski, Steve (February 1997). “Soo Line 2-8-2 back in steam”. Trains magazine 57 (2): pp.24–25. 
  • Gjevre, John A. (1990) [1973]. Saga of the Soo, west from Shoreham (second edition ed.). Morehead, Minnesota: Gjevre Books. LOC: 90-90283 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]